「動物の絵 日本とヨーロッパ」展でご覧いただける庚申様。それは、原在照(はら・ざいしょう)の《三猿図》です。作者は江戸後期の京都の画家で、宮廷の仕事をする地下官人(じげかんじん)でもあり、春日大社の仕事をする春日絵所の絵師でもありました。描き方がきちんとしていて、色づかいも典雅で、一言で言えば、「みやび」を絵に描いたような作品が得意でした。
《三猿図》といっても三匹ではなく、一匹だけで「見ざる、言わざる、聞かざる」をしています。後ろ足も動員して、球のように体を丸めていますが、そうするとお尻が丸見えになってしまいます。そこで、もう一本の足、つまり尻尾を使ってカバーです。これと同じような三猿は、円山応挙の作品や当時の工芸品にもあります。最初に誰が考えたのかはわかりませんが、みんなに面白がられていたのでしょう。
在照は、薄めの墨を使って、体の毛を細かく重ね、リアルに描いています。でも、丸まった猿の大きさは、直径で言えば12センチほど。小さい猿ですが、濃淡も丁寧に施され、ふっくら、かつ、こんもりとして、ぎゅっと丸まった感じがかわいらしいお猿さんです。
▲小さな描写ですが、指の柔らかさや爪の先まで、上手に表されています。
猿の下には作者の落款があって、安政7年(1860)に描かれたことがわかりますが、この年の干支は庚申です。しかも「初庚申」、すなわち、その年の最初の庚申の日に描いたと書かれています。作者がみやびな世界で活躍したことや、絵の雰囲気から察するに、もしかしたら、宮廷や貴族らが催す庚申待のために描いたのでしょうか。
▲「安政七庚申年初庚申日写之 春日画所正六位上近江介平朝臣在照」と書かれ、「原在照印」と「字子写」というハンコが押されています。
さて、ご覧のとおり、この作品は掛軸に仕立てられていますが、よく見ると普通のそれとは違います。普通は、画家が完成させた絵に、表具師がさまざまな裂を取り合わせて、一幅の掛軸に仕立てます。つまり、絵が描かれた絹と表具は別々のものです。ところがこの作品は、絵の部分だけでなく、周りの表具も、すべてが一枚の絹に描かれているのです。
絵の周りの「中廻し」と呼ばれる所だけでなく、絵の上下にある細い「一文字」も、また、上と下の淡い茶色の「天」「地」も、更には、上から下がる「風帯」と呼ばれる二本の帯も、すべて一枚の絹に描かれています。
▲下の両端の赤い軸端をのぞいたすべてが、一枚のつながった絹に描かれています。
▲絵の左下の拡大写真。右上の黄色く見えるのが絵の部分。絹目を見ると、それ以外も一枚の絹に描かれていることがわかります。
▲(参考)これは普通の表具の場合です。右上の茶色っぽいところが絵で、その下と左は表具裂です。別々のものを組み合わせて作られているのがわかります。
こうしたやり方は、「描表具(かきひょうぐ)」「描表装(かきびょうそう)」などと呼ばれています。まるで西洋のだまし絵のようにも思えますが、日本では古くから仏画などにも見られる手法です。「この絵にどんな表具をつけようか?」と思案するのは、絵を手に入れた人が掛軸を仕立てる時の楽しみですが、絵を描く画家が「こういう掛軸にしたい」という強いイメージを持っている場合もあるでしょう。一つの想像にすぎませんが、イメージに合う表具裂がなければ、表具の部分も描いてしまおうと考えるかもしれません。
そうして描かれた「描表具」の、何とかわいらしいことでしょう。渋めに抑えた緑色で地を塗って、その上に、ピンクや白の絵の具で、現代風に言えばパステルカラーで、こまごまと、なにやらかわいらしい物を描いています。それに、明るい茶色と墨のグラデーションが表された天と地、真っ白な所にくっきりと輪繋(わつなぎ)の文様が描かれた一文字と風帯。すべてがこんなにも柔らかく、かわいらしい掛軸は、普通の作り方では、なかなかできそうにありません。
この描表具を見た何人かの人が、「なんとなく美味しそう」と口にしました。それもそのはずで、ピンクや白や緑で描かれた色々な物は、実は、庚申様にお供えする「七色菓子」なのです。下のリンク先は、明治時代の画家、川崎巨泉が描いた七色菓子の図です。
http://e-library2.gprime.jp/lib_pref_osaka/da/detail?tilcod=0000000019-00021595
府中駅から始まる庚申様の旅は、いかがでしたか? 前編でご覧いただいた、けやき並木の庚申塔が建てられたのは天保7年(1836)、「新宿庚申塔」は嘉永5年(1852)。そして、在照が《三猿図》を描いたのは、安政7年(1860)のこと。風雨に耐えながらも摩耗してきた石塔と、きのう描いたかのように綺麗な在照の絵のありさまは激しく違いますが、どちらも同じ時代の一つの信仰から生まれたかたちなのです。
(府中市美術館学芸員、金子)