「ふつう展」日記

ひとつの展覧会の裏側には、展覧会を訪れただけでは見えない、さまざまなプロセスと試行錯誤があります。「ふつう展」日記は、「ふつうの系譜 「奇想」があるなら「ふつう」もあります 京の絵画と敦賀コレクション」展、略して「ふつう展」に関わるスタッフが、折々に皆さんにお伝えしたいことを発信するブログです。


再びの開幕です!

2年前、「ふつうの系譜」展は会期途中で閉幕しました。なんとか閉館を回避できないものかと、館内で激しく議論し、その末に悔しい思いをしたことが思い出されます。また、私自身も諦めきれず、この「ふつう展日記」で、「もう一度開催できる可能性だってあるのでは?」と、その時の気持ちについてお話ししました(2020年5月7日「ふつう展」の開幕と閉幕、これからのこと)。

 

 

▲展覧会場の冒頭タイトル。左が2020年、右が今回、2022年開催のもの。

 

再開催について館内で話し合ったのは、途中閉幕となった直後でした。あらがいようのないものに負け、無念さに打ちひしがれていた職員の全員が、強く、そして希望を抱くような気持ちで合意した、あの会議の時の雰囲気が忘れられません。

 

その後、去年の春に開催した「与謝蕪村」展も、途中閉幕となり、何人かの方から再開催の要望も寄せていただきました。しかし、作品をご出品いただかなければならない相手先の方々が30件近くあり、しかも国宝や重要文化財が12点もあった蕪村展をもう一度開催するのは、さすがに無理です。「ふつうの系譜」展を再び開くことができたのは、全106点の出品作品のうち95点が敦賀市立博物館のコレクションだったことと、そして何より、同館の全面的なお力添えをいただけたおかげです。

 

一昨年の開館日数は、予定の会期51日のうち21日。その間、3,231人のお客様にご来場いただきました。しかし、いつもの春の江戸絵画まつりには、おおおよそ1万人から2万人の方が来てくださっていたことを思うと、まだまだ多くの方が、「行きたかったのに行けなかった」と、残念な思いをされたと考えられます。閉幕後も、図録だけは通信販売などで売れ続け、残部僅少となりました。それもまた、展覧会を楽しみにされていた方が大勢いらっしゃった証だと思います。

 

▲今回のために、図録、増刷いたしました。

 

▲精魂込めて作った図録、今回は気合を入れて、紹介コーナーを作りました。

 

展覧会史上異例とも言える今回の再開催ですが、私たちスタッフも特別な喜びで一杯です。会場の設営から作品の展示まで、計6日の作業が終わって、出来上がった会場を見渡した時、私も「本当にまた同じ展覧会ができるなんて……」と、なんだか不思議な気持ちになりました。

 

内容は前回と同じですが、前期と後期の作品の振り分けや、会場での作品の配置は、前回とは違います。一つ一つの作品がもっともっと魅力的に感じられるよう、もう一度考え、工夫を試みました。

 

▲上が2020年の展示会会場、下が2022年。

 

澄み切った色。柔らかで優しげな、あるいは研ぎ澄まされた形。そんな美しい掛軸や屛風が並ぶ会場は、思わず「きれい」と声を上げたくなるような、透明感のある爽やかな空気に包まれています。もちろん図録も、売り切れないように第2刷を製作しました。今なお感染症は収束していませんが、当館としてできる限りの対策をしています。みなさまにも気をつけていただいて、この特別な展覧会にぜひお出かけいただきたいと思います。

 

(府中市美術館学芸員、金子)

 

 

家光をめぐる散策その1ー三島編

さて、動物展日記でも「散策」レポートを綴って参ります。

へそ展に続き動物展でも皆様を熱狂させている、徳川家光。
家光画伯、いや将軍をめぐる散策を2回に分けてお届けしようと思います。

ちなみに、家光をめぐってはへそ展日記で府中との不思議な縁について散策しましたので、ご興味のある方はお読みください。

図録の表紙にもなった、養源寺の「木兎図」。2019年の「へそまがり日本美術」展で初公開され、今回の展覧会を前に修復されたことは、図録やこのブログでもご紹介した通りです。ぜひ、図録でもご覧ください。

木兎図修復の様子
▲修復される木兎図

 

この修復が行われたのは、伊豆に工房を構える「春鳳堂」さん。三島駅から伊豆箱根鉄道に乗り継いで修善寺方面、大仁駅近くにその工房はあります。

乗り換えのために降り立った三島には家光ゆかりの地がある、ということで取材の前に少し散策してきました。

三島にはかつて「御殿地」と呼ばれたエリアがありました。御殿があった場所。そう、徳川家光が江戸から上洛する際の宿泊地が置かれていたのです。
三島市のwebサイトによると総面積は推定1万坪以上だったとか。1635年以降に将軍の上洛が行われなくなってからは廃止されたそうですが、現在もその面影が少しだけ遺されています。

御殿神社
▲御殿神社

 

御殿を護るために祀られていた稲荷神社がこの「御殿神社」です。街の景色に溶け込んで、まったくもって目立たず、ひっそりしていて通り過ぎてしまいそうですが、御殿地がここにあった証です。

御殿神社

お詣りを済ませ、御殿神社の前の道を少し歩くとせせらぎが。御殿地の東側を流れる「御殿川」です。

御殿川
▲御殿川

 

富士山の湧水をルーツとする四筋の川が流れ、水の都と言われた三島らしいこの風景を、家光も眺めたのでしょうか。そしてこの御殿地でも何か絵を描いたのでしょうか。せせらぎの音を聴きながら、そんなことを考えました。

御殿川沿いに三島駅方面へ戻る途中、気になるスポットに出会いました。

孝行犬
▲これです

 

日蓮宗の古刹・円明寺には江戸時代から「孝行犬」のお話が伝わっていて、その孝行犬の墓があるのです。
お寺の本堂の床下に暮らす母犬と5匹の子犬。ある日子犬のうち一匹が死んだことをきっかけに母犬が病に臥してしまいます。子犬たちは母犬のためにエサを集めるなど奔走しますが、必死の看病むなしく、母犬は半年後に死に、遺された4匹の子犬たちも後を追うように死んでしまったというのです。

孝行犬の墓
▲孝行犬の墓

 

その様子を見守っていたお寺の住職が供養のために建てたのがこの孝行犬の墓。毎年4月18日には供養祭が行われるのだとか。6匹の犬へのやさしいまなざしに、動物展のテーマに通ずるものを感じました。

孝行犬の墓
▲母犬の名「タマ」、子犬たちの名「トク」「ツル」「マツ」「サト」「フジ」が刻まれています。

 

家光に触れ、思いがけず動物へのまなざしについて考える。ついでのつもりの散策で、なんだかトクをした気分になりました。

家光をめぐる散策、次回は後期出品作に関連する散策をお届け予定です。

(図録制作チーム、藤枝)

 

 

 

 

 

敦賀を歩く(2)建築を巡ってみよう

敦賀市立博物館で『「ふつうの系譜」おかえり展』開催も決まりまして、敦賀行きを計画している方も多くいらっしゃると思います。

ということで、敦賀散策ネタ第2弾です。
前回ご紹介したように、敦賀は歴史ある街。散策していると様々な文化財を観ることができます。今回は、建築物で巡る敦賀です。

 

まずは、前回も登場した「敦賀赤レンガ」から。こちらは「旧紐育スタンダード石油会社倉庫」で、北棟、南棟、煉瓦塀がそれぞれ国の登録有形文化財に指定されています。

 

▲敦賀赤レンガ(旧紐育スタンダード石油会社倉庫)

 

1905年に建設された、石油貯蔵用の倉庫。wikipediaによると、外国人による設計で、フィート単位で造られ、オランダ製煉瓦が使用されているとか。

▲こちらが南棟。煉瓦の積み方は「イギリス式」ですね
▲北棟には前回ご紹介した「ジオラマ」があります。社名が確認できます

▲この「塀」も登録有形文化財です

 

▲ジオラマでは往時の姿を観ることができます。このジオラマの楽しさついては、前回の記事をご覧ください

 

敦賀にはもう一つ建築的に重要な「倉庫」があります。赤レンガから徒歩7〜8分の海沿いにあるのが、敦賀倉庫。こちらも国の登録有形文化財。

▲旧敦賀倉庫株式会社新港第1号・第2号・第3号倉庫

こちらは1933年竣工、当時最先端のデザインが採用された鉄筋コンクリート造りです。

▲この端正さ。かっこいいです!
▲奥に見える木造のものは第4号〜第8号倉庫で、戦後に建てられたもの

 

 

 

そして、敦賀が誇る近代建築の文化財といえば、旧大和田銀行本店。そう、現敦賀市立博物館です。2017年に国の重要文化財に指定されました。昭和の銀行建築としては全国初の重文です。

▲敦賀市立博物館(旧大和田銀行本店)

 

1927年竣工。地上3階、地下1階で、地上部は鉄骨煉瓦造り、地下が鉄筋コンクリート造りです。設計は京都大学の一連の施設の建築で知られる永瀬狂三らで、施工は清水組京都支店。銀行としてだけでなく、レストランや公会堂なども置かれた、当時としては珍しい銀行建築です。
威厳と開放感を兼ね備えた、敦賀の街のシンボルだったのでしょう。

 

 

▲青空に映える、凜々しい建物です。

 

 

この建物の魅力は、『ふつうの系譜』展図録でもたっぷりご紹介しておりますので、ディテールはそちらでもぜひご確認ください。

 

 

▲重厚感あふれる玄関

 

▲1階には銀行窓口の名残

▲2階には貴賓室

▲3階は公会堂として使用されていました

▲国産最初期のエレベーターも観ることができます

▲意匠を見て回るのも楽しいです

 

ということで、敦賀市立博物館へ行くなら、赤レンガ、敦賀倉庫との「建築3点セット」をぜひお楽しみください。

 

おまけ。敦賀駅から敦賀市立博物館まで、歩いてみました

 

 

 

▲もう一つおまけ。赤レンガのジオラマにある旧大和田銀行本店。屋上にいる人は誰でしょう?

 

(図録制作チーム、藤枝)

 

 

敦賀を歩く(1) 敦賀で「鉄分」を補給しよう

会期中に無念の閉幕となってしまった『ふつう展』。ワタクシ街歩き担当(?)も写真で参加しておりましたので、本当に残念です。
それでも、作品が敦賀にある限り、お目にかかる機会は必ずやってくるはず。そう信じてます。そして、作品だけでなく、敦賀という街の魅力も皆さまにご案内したいーー。

 

そんな思いで、『へそ展』でもお送りした番外編、「街歩き」ネタを書いてみます。
外出自粛で旅を渇望していらっしゃる皆様のために、路上観察趣味の私が見た敦賀をお届けします。

 

私が敦賀を訪れたのは、図録の編集作業が佳境に差し掛かる前の昨年12月、東京から日帰りという強行軍でした。限られた時間で主題である博物館取材をし、日本海の海の幸を食べて帰らなくてはなりませんでした(←こういうことをしているから時間が足りなくなるのですが)ので、その魅力のごくごく一部にしか触れることができなかったことを、最初にお断りしておきます。

 

そんな短時間でも、敦賀の街にはたくさんの見所がありました。歴史好き、建築好き、路上観察好き……皆様の様々な趣味を満足させてくれると断言できます。

 

ということで、「敦賀を歩く」シリーズ第1回のテーマは、「敦賀で鉄分を補給する」です。そう、敦賀は日本の鉄道史上重要な「鉄道の町」で、散策でも存分に「鉄分」を補給することができます。

 

敦賀を訪れたのは2019年12月19日。北陸日本海側の寒さを覚悟して降り立ちましたが、この日はそれほど寒くなく、散策日和でした。

まずはタクシーで史跡「金ヶ崎城址」にある神社、金崎宮を目指していますと車中から、ガードレールで分断された線路、つまり廃線跡が見えます。

▲現在は使われていない線路

 

タクシーを降り立つと駐車場の隅にひっそりと煉瓦造りの小さな建物があるのに気づきます。国内最古の鉄道建築物のひとつ、「旧敦賀港駅ランプ小屋」です。

▲駐車場の隅にあまりにひっそりあるので、一瞬トイレかと……

 

そう、敦賀の鉄道の歴史は古く、日本の鉄道開通から10年後の1882年には敦賀港駅(当時は金ヶ崎駅)ー洞々口間(仮駅)で鉄道が運行されます。先ほどの廃線跡は旧敦賀港駅を終点とした敦賀港線で、このランプ小屋は敦賀港駅開業当初から残る鉄道遺産というわけです。

ランプ小屋はその名の通り、当時の鉄道に使われていた灯火の燃料を保管する場所。2015年に修復復元が行われ、現在はその内部も含めて公開されています。

 

▲回り込んでみます

 

▲中はこんな感じ。SLのランプが展示されてます。赤は旅客列車、青は貨物のサインです。

 

▲戦後の頃に使われていた灯油用のドラム缶です
▲鉄道開通当時の敦賀

 

敦賀港駅はウラジオストク航路と接続する欧亜国際連絡列車の拠点でした。列車で東京の新橋駅から金ヶ崎(敦賀港)駅まで。そしてそこから海路をウラジオストクへ渡り、シベリア鉄道に乗り継ぐ。大河ドラマ「いだてん」をご記憶の方も多いと思いますが。金栗四三たちもこのルートで、日本人初のオリンピック選手として、日本を出発したのです。
第二次大戦で航路が廃止になったことから、敦賀港線の旅客運輸は休止、1940年以降は貨物専用線(北陸本線貨物支線)となります。その貨物線も2006年に休止となり、その後敦賀港駅はORS(オフレールステーション。トラック輸送でコンテナを扱う貨物駅)となったため、線路は使われなくなったのです。

▲その後2019年に敦賀港線は完全に廃止となりましたが、現在もコンテナ輸送は行われているようです。

 

▲廃線跡としてはまだ「新しい」ので、今にも列車がやってきそうです

 

敦賀の鉄道の歴史については、旧敦賀港駅駅舎を模して造られた「敦賀鉄道資料館」で展示される様々な資料で深く知ることができます。

▲敦賀鉄道資料館。ランプ小屋からは徒歩10分ほどです。

 

 

▲いろいろ面白いものが展示されていますが、中でも古レールの刻印がカーネギー社で胸アツです!

 

そういった敦賀の鉄道史を一通りお勉強したら、ぜひ訪れていただきたいのが、「敦賀赤レンガ倉庫」です。国の登録有形文化財である「旧紐育スタンダード石油会社倉庫」を利用した商業施設ですが、ここにある巨大ジオラマでさらなる鉄分を補給しましょう。鉄道資料館からは徒歩数分です。

 

▲赤レンガ倉庫。国の指定文化財、旧紐育スタンダード石油会社倉庫です。建物についてはあらためて。

 

レストラン&ショップとオープンガーデン、ジオラマ館からなる施設ですがとにかく、このジオラマ館に入ってください。観光施設によくあるジオラマを想像して入館すると、これがすごかったのです。

 

赤レンガ倉庫のwebサイトに制作過程が公開されていますが、いろいろと執念を感じる、いつまで眺めていても飽きないジオラマです。

 

昭和20年当時の復元地図をもとに、敦賀の街並み1/80スケールで制作されており、ここで敦賀の鉄道が俯瞰できるのです。

 

▲福井方向から敦賀駅を眺めます

 

▲敦賀駅の敦賀第一機関区(現在は休止)と転車台
▲奥にある船のあたりが敦賀港駅

 

そしてこの鉄道模型、ただ動くだけでなく、マスコンを使って運転することができます。しかも、新疋田ー敦賀間に実際ある「ループ線」区間です。

 

▲ループ線を疾走するキハ52

 

 

鉄道が急勾配を克服するために造られるループ線。新疋田ー敦賀間のループ線は多くがトンネル区間のため「姿なきループ線」として知られています。敦賀から新疋田へ向かう際、敦賀を背にして進んでいたはずが、トンネルを出ると再び敦賀の街が見える……という不思議な体験をする、アレです。

 

▲文章だけではわかりにくいという方のために。これがループ線です。ループすることによって、非力な動力車でも上れるよう10パーミルの勾配になっています。この区間を2つのトンネルがほとんどを占めていて、第2衣掛トンネルを抜けて第1衣掛トンネルに入るまでの一瞬、敦賀の街並みが見えるというわけです。(川島令三編著『図説日本の鉄道 中部ライン 第5巻』講談社刊より)

 

このジオラマでは、キハ52の模型でこのループ線運転を体験できるのです。

 

▲運転は緊張しますね

 

とにかくこのジオラマ、規模といい、細部への作り込みといい、そして模型を動かせたりと、時間を忘れて楽しめます。

▲赤レンガ倉庫の脇にはキハ28-3019気動車(希少車両!)が保存展示されていますので、お見逃しなく!

 

ランプ小屋をスタートして、敦賀鉄道資料館、赤レンガ倉庫と散策には1時間ほどでしょうか。「鉄道の町」敦賀をコンパクトに堪能できる散策コース、オススメです。

 

(図録制作チーム、藤枝)

 

国分寺→府中、将軍様をめぐる散策

せっかくへそ展へ行くなら、周辺も散策してみよう! というこで、これまで府中通信施設浅間山公園をご紹介してきた「へそぶら」シリーズ。ゴールデンウィーク拡大版の今回はちょっと本格的にぶらぶらしてみたい人向けの散策ルートをご紹介します。

府中市美術館へ電車で行く方はほとんどが京王線府中駅か東府中駅、またはJR中央線武蔵小金井駅からバスをご利用かと思いますが、今回私が降り立ったのは、JR中央線西国分寺駅。

▲美術館との位置関係はこのようになっています。

今回はここから歩いて美術館を目指すのですが、2ヵ所寄り道します。「武蔵国分寺跡資料館」と「大国魂神社(おおくにたまじんじゃ)」です。寺社巡りといえばそれまでですが、これが、「へそ展」とおおいに関係があるのです。

▲ということで西国分寺駅南口を出発です。

まずは「国分寺」を目指します。聖武天皇の詔で全国に建立された国分寺のひとつ、武蔵国分寺跡です。武蔵国分寺は、鎌倉末期の戦で焼失(現存の国分寺は、その後新田義貞が再建した真言宗豊山派の寺院)し、今はその跡地が国の史跡に指定されています。武蔵国分寺は、全国の国分寺の中でも有数の規模だったそうで、とにかく広大。街中いたるところに史跡があります。

▲西国分寺駅から数分のところにある東山道武蔵路史跡。古代の官道(都と国府を結ぶ道)です。この東山道武蔵路の東側に僧寺、西側に尼寺(国分尼寺)が置かれていました。
▲竪穴式住居跡なんかを見つつ、さらに進んでいきます。
▲いよいよです。僧寺伽藍中枢部跡地。
▲本尊を安置する金堂や講堂、鐘楼などがあった中枢部。現在は緑地になっています。

 

ここまで来ると、お目当て「武蔵国分寺跡資料館」はもう少しです。

▲資料館は「おたかの道湧水園」にあり、入口の「史跡の駅 おたカフェ」で入場料を支払います。一般100円です。
▲園の入口は、「旧本多家住宅長屋門」で、市の重要文化財。江戸末期の建築です。
▲資料館に入ると、再現ジオラマがお出迎え。国分寺がどうなっていたかよくわかります。中央にあるのが、先ほど見てきた伽藍中枢部ですね。

さて、いよいよお目当てです。

▲これです!

なんだかわかりますか? 兎、ピヨピヨ鳳凰、木兎で皆様の心を鷲掴みにした、三代将軍家光の朱印状です。徳川将軍は寺院や神社を保護するために朱印地を与えましたが、その証文というわけですね。上様といえども、流石に本業ではお絵描きのような独創性を発揮する余地はなかったようです。

▲ギャップをお楽しみください。

 

国分寺史跡は、他にも七重塔跡地や、国分尼寺など見どころたくさんなのですが、いつまでたっても府中にたどり着けませんので、朱印状でテンションが上がったところで、移動します。

▲国分寺の史跡群を抜けると、異様な壁にぶつかりました。府中刑務所です。
▲東芝府中工場のエレベーター試験塔も見えます。

 

次に目指すは、府中市美術館とは府中駅の反対側に位置する大国魂神社。東京五社のひとつ、武蔵国の総大社です。府中街道をひたすら南下していきます。

▲しばらく歩くと美術館通り。左折すれば府中市美術館ですが、直進します。
▲甲州街道を越えると、そこは、
▲われらが京王線! 府中駅はすぐそこです。
▲天然記念物という銀杏並木を抜けると
▲大国魂神社です。
▲境内では間近に迫った「くらやみ祭り」の準備が着々と進んでいました。今年はへそ展とのセットもいいですね。
▲結婚式にも遭遇しました。おめでとうございます。
▲お詣りを済ませたら、目的の宝物殿へ。

 

大国魂神社の創建は西暦111年と、その歴史は古いのですが、府中市美術館の金子学芸員にうかがったところ、近世の歴史は徳川家康による大造営に始まるのだとか。その本殿は、1646年に火災で焼失したものを四代家綱が再建を命じて1667年に完成したもの。現存します。そう、家綱様です。へそ展とつながりましたね。

本殿は残念ながら特別な日にしか公開されないのですが、ここ大国魂神社にもやはり、将軍様の「朱印状」が残されています。徳川幕府からの社領寄進の朱印状として、六代・七代・十五代将軍を除く、歴代将軍の12通もの朱印状が残されているのです。この宝物殿には家光・家綱親子の朱印状が並んで展示されています。館内撮影厳禁なので、写真はご紹介できません。気になる方は、へそ展の親子展示と併せて、ぜひ皆様の眼でお確かめください。

▲家光・家綱親子、朱印状はともかく、自分たちの描いた絵が並べて展示されている未来を想像していたでしょうか?

 

いかがでしたか? へそ展で家光・家綱親子画伯に魅せられた私は、府中市美術館のこんなに近くでその痕跡に触れらるということに、とても不思議な感慨を覚えました。日本美術にこれまでにないムーブメントを起こしつつある秘密には、国分寺と大国魂神社という武蔵国二大パワースポットに残された将軍様たちの何かがあったとしか思えないのです。

 

今回の散策、なんと3時間に及ぶ大行軍となってしまいましたので、この後へそ展を鑑賞する体力が残っているかどうかは保証いたしかねます。国分寺と大国魂神社、どちらかだけというコースでも十分かもしれません。それでも武蔵国国府の史跡の数々を歩いていて、「府中がなぜ府中なのか」ということに少し触れられた気がした、そんな散策でした。

ぬこ
▲おまけ。今回の散策で遭ったねこ。

 

(図録制作チーム、藤枝)

 

 

 

仙厓さんの梅

昨年11月、仙厓の作品を撮影するため、へそ展担当学芸員の私と、講談社の図録制作チームで、博多の幻住庵を訪ねました。仙厓がたくさんの絵を描いた場所です。

非公開のお寺ですが、境内にある仙厓ゆかりの場所や石碑などを図録で紹介したいと思い、撮影終了後、ご住職に一つ一つ案内していただきました。

その一つが「雲井の梅」という梅の木。福岡藩主から仙厓が賜ったという、重厚かつ整った、見事な枝ぶりの古木です。そして、この時、つまり11月に撮った写真を、図録のコラム「仙厓さんのアトリエ」のページに入れて、こんなレイアウトを組みました。

さて、展覧会の開幕が近づいて、作品をお借りするため、私は再び幻住庵にうかがいました。図録の最終校正を残すのみとなっていた2月22日のことです。

冷たい空気の中、気を引き締めて門をくぐり境内に入った瞬間、今まで見たこともないような美しい紅梅が目に飛び込んできました。あの雲井の梅です。

あまりの素晴らしさに、作品の借用作業を終えると、すぐに写真を撮らせていただきました。そして、お寺を出発し、福岡市内を走る美術品専用トラックの中で、「そうだ、この興奮を、ツイッターでみなさんにお伝えしよう!」と思いつきました。

 

ツイッターを担当している図録制作チームの編集者に、画像のサイズを小さくしてメールで送ると、まもなく驚きの言葉が返ってきました。「図録の写真を差し替えるから、すぐに大きなサイズの画像を送ってください!」。すでに最終確認を残すのみだった図録の製作ですが、あまりに美しい梅を見て、なんとしてでも図版を差し替えようと考えたのです。

そうして出来上がったのが、このページです。雲井の梅は、花が大きく、花弁にはふっくらと厚みがあって、それはそれは見事です。本物の花の美しさをどれだけお伝えできているか、心もとないのですが、仙厓さんも愛でた梅を、ぜひ図録でご覧ください。

(府中市美術館、金子)

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