「動物展」日記

ひとつの展覧会の裏側には、展覧会を訪れただけでは見えない、さまざまなプロセスと試行錯誤があります。「動物展」日記は、「動物の絵 日本とヨーロッパ」展、略して「動物展」に関わるスタッフが、折々に皆さんにお伝えしたいことを発信するブログです。


額縁も気になります!

以前、金子学芸員が「表具も気になる」と題して、掛軸の表具についての日記を書きました。絵に描かれているものや雰囲気に合わせて、布を選び、誂える表具。絵柄だけトリミングされている写真やポスターでは分からない掛軸全体の様子を見ることは、展覧会ならではの楽しみのひとつではないでしょうか? そこで、今回は、ヨーロッパ編「額縁」です。

 

▲ギュスターヴ・モロー《一角獣》の額縁。全体は木製、デコレーションは石膏、金色に塗って仕上げています。一般的な額縁の製法です。

 

▲「LA LICORNE(一角獣)」とタイトルが記されています。

▲アカンサスの葉は定番の装飾モチーフ。ゴージャスな雰囲気を盛り上げます。

 

表具と同じように、額縁も「いつの時代のものか?」「誰が作ったのか?」ということを正確に知ることは難しい場合が多いです。絵の制作に合わせて作られることもありますし、絵よりも額縁の方がずっと古い時代のものもあります。古色をつけて、わざと古めかしくした額縁もよく見かけます。額縁を選んだ人物も、コレクターや画商などさまざまです。また、多くの場合、専門の職人の手で作られますが、画家本人が作ることもあります。例えば、職人的な手作業にこだわった藤田嗣治は好みの額をよく自作しました。

▲キャンバスから額縁まで自作した藤田。乳白色の下地の美しさと滑らかさを際立せるために、額の木枠はわざと荒っぽく削って、素朴に仕上げています。

 

額縁が絵に「似合っている」ことはもちろんのこと、室内の雰囲気に合っていることも大切です。額縁の流行は、家具や室内装飾の流行りにも左右されます。家を新築する際に「ここにこの絵を飾るから、額縁も合わせて作ろう」といった場合もあったようです。例えば、このマルティネッティの作品は、壁にはめ込まれていたような跡があり、家具や建物の一部として作らたと考えられます。19世紀のブルジョア市民の邸宅に飾られたものでしょうか? きっと木製の額が家具や調度によく合っていたことでしょう。

▲金色には塗らず、木肌を生かしてニスで仕上げています。

 

違う用途で作られたものを額縁に仕立て直すケースもあります。このデッサンは、マリー・ローランサンが親友の作家マルセル・ジュアンドーの本のために描いた挿絵の原画です。ジュアンドーの手元に所蔵されていた際には、衝立のような形にして飾っていたそうです。この額縁は、その衝立をばらして、一枚づつ飾れるように仕立て直したものです。エキゾチックでモダンな雰囲気の額からは、当時の流行やジュアンドーの趣味も感じられます。

▲2匹の龍を模したようなモチーフが向かい合っています。

 

他にもマリー・ローランサンの作品は、素敵な額に納められたものが多いです。アール・デコの流行を取り入れた鏡貼りの額や、手描きの模様の額など凝った仕立てのものをよく見かけます。ローランサン本人が額縁のデザインや制作にどこまで関わったかは、はっきりとは分かりません。ただ、舞台美術やテキスタイルも手がけたローランサンのデザイン感覚が生かされた作品は、「部屋に飾って楽しむ絵」としてとても人気だったので、それに合わせる額縁も特別なものにしようと考えた人が多かったのかもしれません。

▲愛らしい植物文様が手描きされています。おそらく額縁職人によるものですが、絵のかわいらしさともよく合っています。

 

最後に、額縁が変わると作品がさらに輝いて見える例をご覧いただきましょう。18世紀フランスの画家リエ=ルイ・ぺランの作品です。この写真は、展覧会の準備のために、2018年にランス美術館で調査をさせていただいた際の写真です。この時、作品はごくシンプルな金色の額縁に収められていました。美術館でもよく見かけるタイプの額です。

ところが、作品が到着して、作品が収められた箱を開けたら、違う額縁が付けられていて、驚きました。作品自体は変わっていないはずなのに、作品の力まで増したように感じられたのです。後日、ランス美術館の学芸員に問い合わせたところ、私が調査で拝見した後に、作品制作当初のオリジナルの額縁が見つかり、修復を経て、この度の展覧会のために、その額縁に納めていただいたそうです。

▲ゴージャスな額縁に、びっくり!

 

▲「L. L. PERIN」と作者の名前が刻まれています。上部中央に華やかで大きな装飾をつけるのはロココ時代の額の特徴のひとつです。

 

▲作者の孫のフェリックス・ペランからランス美術館に寄贈されたと記されています。19世紀に記されたものでしょう。

 

額縁装飾の頂点を極めたと言われるロココ時代らしいスタイルの額縁です。木の部分には丁寧に彫刻が施され、さらにそこに可愛らしく繊細なブーケの装飾が石膏で加えられています。豪華かつ可憐な雰囲気の額縁から、この絵が飾られた部屋の様子にまで想像が広がります。例えば、ベルサイユ宮殿のような空間にもぴったりではないでしょうか。

 

ぜひ額縁にも注目して、展覧会を楽しんでいただけたら幸いです。(府中市美術館学芸員、音)

庚申様の旅(下)

「動物の絵 日本とヨーロッパ」展でご覧いただける庚申様。それは、原在照(はら・ざいしょう)の《三猿図》です。作者は江戸後期の京都の画家で、宮廷の仕事をする地下官人(じげかんじん)でもあり、春日大社の仕事をする春日絵所の絵師でもありました。描き方がきちんとしていて、色づかいも典雅で、一言で言えば、「みやび」を絵に描いたような作品が得意でした。

 

《三猿図》といっても三匹ではなく、一匹だけで「見ざる、言わざる、聞かざる」をしています。後ろ足も動員して、球のように体を丸めていますが、そうするとお尻が丸見えになってしまいます。そこで、もう一本の足、つまり尻尾を使ってカバーです。これと同じような三猿は、円山応挙の作品や当時の工芸品にもあります。最初に誰が考えたのかはわかりませんが、みんなに面白がられていたのでしょう。

 

 

在照は、薄めの墨を使って、体の毛を細かく重ね、リアルに描いています。でも、丸まった猿の大きさは、直径で言えば12センチほど。小さい猿ですが、濃淡も丁寧に施され、ふっくら、かつ、こんもりとして、ぎゅっと丸まった感じがかわいらしいお猿さんです。

 

▲小さな描写ですが、指の柔らかさや爪の先まで、上手に表されています。

 

猿の下には作者の落款があって、安政7年(1860)に描かれたことがわかりますが、この年の干支は庚申です。しかも「初庚申」、すなわち、その年の最初の庚申の日に描いたと書かれています。作者がみやびな世界で活躍したことや、絵の雰囲気から察するに、もしかしたら、宮廷や貴族らが催す庚申待のために描いたのでしょうか。

 

▲「安政七庚申年初庚申日写之 春日画所正六位上近江介平朝臣在照」と書かれ、「原在照印」と「字子写」というハンコが押されています。

 

さて、ご覧のとおり、この作品は掛軸に仕立てられていますが、よく見ると普通のそれとは違います。普通は、画家が完成させた絵に、表具師がさまざまな裂を取り合わせて、一幅の掛軸に仕立てます。つまり、絵が描かれた絹と表具は別々のものです。ところがこの作品は、絵の部分だけでなく、周りの表具も、すべてが一枚の絹に描かれているのです。

 

絵の周りの「中廻し」と呼ばれる所だけでなく、絵の上下にある細い「一文字」も、また、上と下の淡い茶色の「天」「地」も、更には、上から下がる「風帯」と呼ばれる二本の帯も、すべて一枚の絹に描かれています。

 

▲下の両端の赤い軸端をのぞいたすべてが、一枚のつながった絹に描かれています。

▲絵の左下の拡大写真。右上の黄色く見えるのが絵の部分。絹目を見ると、それ以外も一枚の絹に描かれていることがわかります。

▲(参考)これは普通の表具の場合です。右上の茶色っぽいところが絵で、その下と左は表具裂です。別々のものを組み合わせて作られているのがわかります。

 

こうしたやり方は、「描表具(かきひょうぐ)」「描表装(かきびょうそう)」などと呼ばれています。まるで西洋のだまし絵のようにも思えますが、日本では古くから仏画などにも見られる手法です。「この絵にどんな表具をつけようか?」と思案するのは、絵を手に入れた人が掛軸を仕立てる時の楽しみですが、絵を描く画家が「こういう掛軸にしたい」という強いイメージを持っている場合もあるでしょう。一つの想像にすぎませんが、イメージに合う表具裂がなければ、表具の部分も描いてしまおうと考えるかもしれません。

 

そうして描かれた「描表具」の、何とかわいらしいことでしょう。渋めに抑えた緑色で地を塗って、その上に、ピンクや白の絵の具で、現代風に言えばパステルカラーで、こまごまと、なにやらかわいらしい物を描いています。それに、明るい茶色と墨のグラデーションが表された天と地、真っ白な所にくっきりと輪繋(わつなぎ)の文様が描かれた一文字と風帯。すべてがこんなにも柔らかく、かわいらしい掛軸は、普通の作り方では、なかなかできそうにありません。

 

 

この描表具を見た何人かの人が、「なんとなく美味しそう」と口にしました。それもそのはずで、ピンクや白や緑で描かれた色々な物は、実は、庚申様にお供えする「七色菓子」なのです。下のリンク先は、明治時代の画家、川崎巨泉が描いた七色菓子の図です。

http://e-library2.gprime.jp/lib_pref_osaka/da/detail?tilcod=0000000019-00021595

 

府中駅から始まる庚申様の旅は、いかがでしたか? 前編でご覧いただいた、けやき並木の庚申塔が建てられたのは天保7年(1836)、「新宿庚申塔」は嘉永5年(1852)。そして、在照が《三猿図》を描いたのは、安政7年(1860)のこと。風雨に耐えながらも摩耗してきた石塔と、きのう描いたかのように綺麗な在照の絵のありさまは激しく違いますが、どちらも同じ時代の一つの信仰から生まれたかたちなのです。

 

(府中市美術館学芸員、金子)

 

 

庚申様の旅(上)

 

 

府中駅を降りて西側へ出ると、大國魂神社に続く立派なけやき並木があります。深く重厚な木々の光景が目に入った瞬間、「ああ、ここは府中なんだ」と、歴史の町の、何か特別な空気のようなものを感じる方も多いことでしょう。

 

▲庚申塔は、府中駅から1分くらいのところにあります。

 

そのけやき並木に、二つの庚申塔(こうしんとう)があります。覆屋に守られ、今も地元の方によって花や水が供えられています。そのうち右の一基には、青面金剛(しょうめんこんごう)という仏様と、三匹の猿が彫られています。

▲時折、手を合わせていく人がいます。

 

▲上には、邪鬼に乗る青面金剛。6本の腕があり、剣などを持っています。邪鬼の下には、3匹の猿が彫られています。

 

庚申信仰は、中国の道教の世界で生まれました。人の体内に住んでいる「三尸(さんし)」という虫が、その人の悪事を天帝に告げると、その人の寿命は短くなるというのです。その三尸虫(さんしちゅう)が体から抜け出して、天帝のところへ報告に行くのは、「庚申」の日の夜だとされました。そこで庚申の日に、人々が集まり、眠い目をこすって、一晩中寝ないで、三尸虫が体外に出ないようにするという対策が講じられたわけです。それが「庚申待(こうしんまち)」と呼ばれる行事です。

 

庚申待は、遅くとも平安時代の初めには、宮廷や貴族らの間で行われていました。その頃の人たちが三尸虫のことをどこまで信じていたかは謎ですが、長生きを願う行事として、宴や遊興とセットで行われていたようです。それがやがて庶民にも広がり、特に江戸時代から近代にかけて、日本各地の町や農村などで行われました。

 

庚申待の講中、つまりグループで、石塔を建てることもありました。それが庚申塔です。庚申の日は年に6回ありますが、それを3年続けて、合計18回を達成した記念に建てることもあったようです。もちろん、健康と長寿を祈願して建てられることもあったでしょう。府中のけやき並木の、青面金剛と猿が彫られたそれには、天保7年(1836)の年紀があります。

 

庚申待は道教から生まれたものなので、仏教や神道とは元来は無関係ですが、日本では、仏様や神様など色々な信仰と結びつきました。察するに、ただ徹夜して三尸虫が外に出るのを防ぐだけでなく、神仏を拝みながら催せば、効果が一層強力になると考えたのでしょう。そうした庚申待の時のご本尊は、「庚申様」と呼ばれています。庚申様になった神仏は色々ですが、その一つが、病魔退散の力を持つ青面金剛でした。

 

▲左から、目をふさいだ「見ざる」、耳をふさいだ「聞かざる」、そして口をふさいだ「言わざる」。

 

また、「三猿」、つまり「見ざる、聞かざる、言わざる」の三匹の猿が、庚申様になることもありました。三猿が選ばれた理由としては、「庚申」は申の日だからという説や、三尸虫とは逆に、その人の悪事を「見ざる、聞かざる、言わざる」ものだから、という説などがあります。けやき並木の一基には、青面金剛と三猿、二つの庚申様が彫られているわけです。

 

▲摩滅した「言わざる」が愛らしさを醸し出しています。

 

さて、府中駅に戻って、美術館を目指して少し歩くと、「庚申様のまち」、府中駅東口商店街があります。この通りの入口に、嘉永5年(1852)に建てられた「新宿庚申塔」があるのです。宿場町時代、府中には三つの町があり、その一つ「新宿(しんしゅく)」の人たちが建てた庚申塔で、石碑の正面には「庚申塔」、側面には「新宿講中」と彫られています。私もしばしばここを通りますが、現代の町の中に、こんな風に昔の人たちの暮らしぶりを伝えるものがあるのは、いいものです。

 

▲ 左下が「新宿庚申塔」。ゲートの上で、2匹の猿が迎えてくれます。

 

 

さて、この「庚申様のまち」から15分ほど歩けば、府中市美術館です。そして、開催中の「動物の絵 日本とヨーロッパ」展でも、とっておきの「庚申様」をご覧いただけます。(続く)

 

(府中市美術館学芸員、金子)

 

春日大社へ行って鹿をひたすら見つめただけの話

動物展、後期展示の見どころのひとつ、『春日鹿曼荼羅図』(展示は11月14日まで)と、『鹿図屏風』。

▲重要文化財『春日鹿曼荼羅図』
▲『鹿図屏風』

 

展示室でモローの『一角獣』から振り返って、この2点が並ぶ様は、まさに「ファンタスティック」! 『春日鹿曼荼羅図』が描いた、得も言われぬ空気感がもたらす神秘さ。『鹿図屏風』の大きさと金箔の輝きで迫り来る鹿たちの躍動感。その神々しさ、美しさに思わず息を呑みます。

 

神の使いとされ、神々しさをもって描かれた鹿。ご存じのように、奈良公園一体には今なお棲み続けています。

 

ということで、今回は図録制作にあたり『鹿図屏風』の作品撮影のため訪れた春日大社で、ただひたすら鹿にまみれて、その「神秘」を体感してきたというレポートをお届けします。

 

JR奈良駅から春日大社のある奈良公園をめざしていると、さっそく。

 

▲商家をのぞきこむ鹿
▲何かを待っているのでしょうか

 

奈良公園とその周辺一帯に生息する「奈良のシカ」は現在1200頭弱。奈良公園は街と一体化した都市公園ですから、鹿さんたち普通に路上をフラフラしています。街の風景に鹿が溶け込んでいます。

いよいよ公園に入っていきます。

神様の使いとして、1000年以上も大切にされてきた鹿。本来とても臆病ですが、その歴史からか、まったく人を恐れる様子はありません。ヨーロッパでは人と動物の境界が宗教でしたが、日本ではその宗教観ゆえに、野生動物とこんな距離感で共生してきた、その不思議にあらためて思いを馳せます。

それにしても、いくら眺めていても飽きません。

ベンチで休んでいても、気がつけば横に佇んでいます。

▲か、かわいい

 

訪れたのは8月の暑い盛り。この日も猛暑日でしたから、水浴びするコたちが気持ちよさそうです。

そして、一心不乱に水草を食べるコ。鹿は基本草食で、主食はノシバとのことですが、こんなものも食べるのですね。

▲おいしいのでしょうか?

もちろん、春日大社の参道にもたくさんいます。

▲つよそうなコに会いました
▲鹿の角は毎年生え替わるそうです

 

売店前に陣取るのは「鹿せんべい」待ちでしょうか。

そして、やっぱり鹿せんべい、あげてみたいですよね。でもこれが、なかなかの恐怖体験。あちらこちらで、子どもや女性の叫び声が!

鹿せんべいを手にするやいなや、群れで突撃してきます。そして、あっという間に吸い込んでいきます。もぐもぐ食べる優雅な様子を想像していましたが、本当に吸い込むんです。一瞬です。

なくなったら即解散。この間1分もありません。

そんな散策を続けるなか、参道脇でこの日もっとも神々しい光景にめぐりあいました。

授乳中の親子です。授乳中の母鹿は攻撃的になるため不用意に近づいてはいけないとのことで、望遠レンズで捉えています。

▲この脚の角度!

こうした生命の営みをこの距離感で見つめていて、その姿に奇跡というか、神を感じる。それが絵画に描かれる……そんな「まなざし」について考える散策でした。

『春日鹿曼荼羅』の展示は今週末の14日(日)まで。『鹿図屏風』は会期末まで展示されます。どうか動物展で「奇跡」に触れてください。

 

(図録制作チーム、藤枝)

家光の動物画、どこがいいの?③

ー家光の作品、絵そのものだけでなく、表具もすごく気になります。

金子 そうですよね。葵の御紋入りの裂を使った表具が多いので、ついついそこに目がいってしまいますよね。

▲徳川家光《竹に小禽図》個人蔵/いろんな種類の葵の御紋の裂が用いられています。

 

ー表具は家光自らが選んだものではないんですよね?

金子 確かなことはわかっていませんが、おそらく、今に伝わる家光作品には、表具のついていない「まくり」の状態で大名に下賜されたものが多いでしょう。

 

ーそれで、もらった方が掛軸にする。

金子 例えば、大正9年(1916)刊行の図録に掲載されている木兎の絵があるのですが(注:本展出品作ではありません)、その裏書きには、家光からその絵を拝領した館林藩主・老中の松平乗寿(のりなが)がたいそう喜び、早速、表装して「幕下」、つまり将軍に仕える者たちに見せることにした、というようなことが書かれています。

 

ーなるほど、下賜された側が表装していますね。葵御紋入りの表具が多いのは、そういう決まりだったのですか?

金子 どうなんでしょうね。その辺りのことは全く研究がされていないので、わからないことだらけです。どこで作られていたのか、どんなところで表装したのか……。それにしても、こうして見てみると、表具のデザインパターンもいろいろですよね。中廻し全体に葵の御紋がびっしり入った《鳳凰図》から、上下だけに葵も御紋の入った《鶏図》まで。家綱の《枯木うそ図》のようにとびきり大きな葵の御紋入りもある。

▲徳川家光《鳳凰図》德川記念財団蔵/絵のぐるりを葵の御紋が囲みます。

 

 

▲徳川家綱《枯木うそ鳥図》個人蔵/特大の葵の御紋入り。

 

ーすごい圧ですよね。現代人の私ですらそうなのですから、江戸時代の人がこれを見たら……と想像すると面白いですね。

金子 葵御紋入りの裂なんて、当然のことながら勝手に織ることはできなかったはずなので、幕府が何らかの許可を与えたりしていたのだと思いますが、実態はわかっていません。

 

ーわからないといえば、そもそも、家光の作品にはサインのようなもの、ありませんよね。どうしてそれで家光の作品だとわかるのですか?

金子 はい、ありません。例えば、今回出品されている《枯木梟図》は徳川家ゆかりの久能山東照宮の宝物ですが、かつては幕臣の家で大切にされ、明治時代に奉納されたものです。また、今回出品されている作品の中にも、今なお大名家のご子孫が家宝とされているものがあります。そうしたしっかりした伝来を持つ作品を比べていけば、たとえサインがあるものが一つもなくても、これが家光の描き方だろう、という特徴がおおよそ見えてきます。また、先にお話ししたように、作品の中には、沢庵宗彭が賛を着けたものがいくつかありますが、それが間違いなく沢庵の書であれば、絵も家光のものと判断できるでしょう。

▲徳川家光《枯木梟図》久能山東照宮博物館蔵

 

ーつまり、もしかして全ての作品が「伝・家光」ということですか?

金子 それは極論かもしれませんが、考え方によってはそうかもしれません。ただ、サインの代わりといってはなんですが、「伝来」という、きわめて大事な判断材料があるわけです。また、表具や用紙など、色々なものから考えることができます。もし現代人が、単にサインがないというだけで「伝・家光」と処理をしてしまったら、どうなるでしょうか? 作品の一つ一つは、長い間、「家光自ら描いた大切な絵」という歴史をまとっているわけですが、作品一つ一つからそれを剥ぎ取ってしまうようなものでしょう。また、家光の描き手としての姿は、未来永劫、謎に包まれたままということになりかねません。

 

ー表具は、真筆かどうかの判断材料にもなるわけですね。

金子 プロっぽくない、一見拙いような絵に立派な表具が付いていれば、それなりに高い地位にあった人物が描いた絵かもしれない、と思います。そこに葵の御紋が入っていれば、徳川ゆかりの人物であった可能性が高くなるというわけです。そこに、伝来や描き方の共通点などを見つつ、判断しています。

▲徳川家光《竹に雀図》個人蔵/昨年、テレビ信州の情報番組で「発見」された作品。金子学芸員が長野まで足を運んで実見して、家光の真筆であることを確認しました。*前期展示(10/24まで)のため、現在は展示されていません。

 

ーところで、家光の絵、2019年に府中市美術館で開催された「へそまがり日本美術 禅画からヘタウマまで」で初めて知りましたが、それ以前の評価はどうだったのでしょうか。

金子 へそ展で初めて家光の絵を見て、その世界に魅了された方はたくさんいらしたようです。今回の動物展で初めてご覧になった方も多いようで、展覧会企画者としては、嬉しい声が届いています。へそ展以前、将軍や大名が描いた絵は、歴史分野の展覧会ではよく取り上げられるものの、美術としての注目度は今ひとつでした。でも、実は、かつてはちゃんと注目されていたんです。

 

ー江戸時代ですね。

金子 そうです。江戸時代の終わりの画人伝『古画備考』には、木兎の絵の略図入りで家光が紹介されていますし、明治21年(1888)の『扶桑画人伝』では、家光と家綱が「奇画」と評されています。二人の他に「奇画」とされたのは、曽我蕭白、岩佐又兵衛ら4人だけです。いかに、家光と家綱が画家として評価されていたかがわかるでしょう。

 

ー家光の絵は、あの将軍・家光が描いたと思うから、面白いんでしょうか?

金子 「純粋に美術的に見たとき、家光の絵はどうなのか?」という質問をよく受けます。「純粋に」というのはつまり、これが家光という将軍が描いたものでないとして、という意味だと思いますが、これらの絵が家光の手によるものだと知ってしまっている私たちは、もはや「純粋に美術的に」見ることはできず、作品を家光と切り離すことはできません。けれども、展覧会にいらっしゃるお客様たちの反応を見ていると、家光の絵には他の絵にはない魅力があるようです。そこにはもちろん、将軍という地位にあった人が、ヘタウマとも言えるような絵を描いたというギャップの面白さもあると思いますが、それだけではないようです。家光の絵に、心の底からかわらしさや得体の知れない怪しさを感じているのです。

 

ー確かに、家光の絵には、とにかく特別な魅力がありますよね。

金子 これだけ自由なアートの表現がある現代にあっても、やはり現代のアートは現代のアートとしての雰囲気を持っています。家光の絵からは、どんな作家にもない飛び抜けたものが感じられるようです。「ありのままでよいのだ」という泰然とした空気を、多くの人が感じ取っているのだと思います。まったく与り知らない世界から突如私たちの目の前に現れて、激しく心を揺さぶるもの、それが家光の絵の魅力かもしれませんね。

▲徳川家光《木兎図》個人蔵/「奇画」という言葉がしっくりする、風変わりな表情です。

 

ー金子先生も家光の絵が好きですか?

金子 はい、大好きです。本当にいいですよね、家光の絵。何より、私にとっては、「美術とは何か」という根本的な問題を考えるきっかけになりました。

(図録編集チーム、久保)

家光をめぐる散策その2ー久能山編

みんな大好き、家光作品の魅力は語り尽くせませんが、その一つは「眼」だと思っています。押しも押されもせぬ代表作となった兎も、本当にたくさん描いた木兎も、すべてその「眼」の描かれ方に「やられた」人は多いのではないでしょうか?

 

なかでも私がいちばん惹かれたのが、久能山東照宮博物館蔵の「枯木梟図」。

兎や木兎と違って、「耳」がないだけで、「見つめられてる」感がぐっとアップして、ちょっと不思議な感情を抱いてしまうのです。

 

その久能山東照宮所蔵の「ふくろう」が、動物展の後期展示で府中市美術館へやってきました。作品は府中でじっくりご鑑賞いただくとして、今回はこの「ふくろう」をめぐる散策レポートです。

 

久能山東照宮といえば、徳川家康がその遺言によって葬られ、息子・秀忠、孫・家光が整備した、家光ゆかりの地の中でも最重要スポットのひとつ。参道の「1159段の石段」はあまりにも有名で、いつかは訪れてみたいと思っていたのですが、そんな話を金子学芸員としていたところ、

 

「久能山は、8月に行くべきです」

 

とのこと。

 

その理由については深く掘り下げなかったのですが、それでは、8月中になんとしても行かなくては、と、取り損ねていた夏休みを取得して行ってみたところ、散策どころか修行のような事態になりました、というレポートです。

▲この「まなざし」の虜になってしまったばかりに……

 

 

久能山へは徒歩で「1159段の石段」を登るルートと、ロープウェイの2つのルートがあり、「枯木梟図」はロープウェイで府中にやってきました。私は徒歩で登ってみます。

 

静岡駅からバスを乗り継ぐこと約50分、久能山下バス停に降り立ちます。

▲バス停から参道をめざして歩くと、すぐにお山の姿が。石段も見えます。久能山といえば、石垣いちごですね

 

▲一ノ鳥居に辿り着きました。さあ、いよいよ1159段の始まりです

 

麓からは、ややなだらかに石段が続きますが、進んでも進んでも石段です。

▲進んでも

 

▲進んでも

 

▲進んでも

 

眺めが変わりません。

 

当日の気温は31.8℃。曇り空のため猛暑というほどではありませんでしたが、湿気がまとわりつくような、じっとりした暑さで早くもバテてきました。

 

200段ほど登ったあたりからでしょうか、駿河湾が眺められるようになり、景色に変化が。

 

▲木々の間から海が!

 

それでも、まだ石段は続きます。カメラ機材を少し減らしてくればよかったと後悔するなどしながら、さらに上を目指します。

 

▲上を見上げると、石段は続くよどこまでも……

 

 

▲お詣りを済ませ、参道を下っていく母娘とすれ違いましたが、その姿が、輝いて見えました

 

▲600段、だいたい半分ですね

 

 

この辺りで完全に息が上がってしまいました。さすが武田信玄公が要害と目をつけ城砦を築いた山。一筋縄ではいきません。

 

▲眺めはどんどんよくなりますが、あまり見ている余裕もなく……

 

▲一ノ門に到着。あと一息です!

 

▲ついに楼門。重要文化財です

 

▲扁額は後水尾天皇筆

 

▲これも重要文化財の神厩。左甚五郎作と伝わる神馬の像が納められています

 

▲鼓楼。重要文化財

 

▲そして、権現造りの国宝、御社殿。二代将軍秀忠、つまり家光のお父さんの命によって造営された、最古の東照宮建築です

 

本殿の裏手に、徳川家にとってとても大切な場所があります。

 

▲神廟。徳川家康埋葬の地です。創建当初は木造でしたが、寛永17年(1640)に徳川家光が石造の宝塔に造り替えました

 

家光が祖父のために拵えた宝塔。これもまた家光の感性が生み出したものであり、久能山が家光にとって特別な場所の一つである証なのです。

 

久能山東照宮博物館には歴代将軍の武器・武具のほか、「動物展」にも作品が出品されている、谷文晁、狩野養信の作品なども展示されていました。

 

▲久能山東照宮博物館

 

暑さの中の、修行のような「1159段」の先は、見どころだらけで、疲れも吹き飛びました。そんな久能山からやってきた「枯木梟図」。ぜひ、後期展示でお楽し

みください。

おまけ。

▲静岡に戻って、家康が築いた駿府城も散策。天守台発掘調査の様子が公開されています。おすすめです。

 

(図録制作チーム、藤枝)

 

 

 

家光の動物画、どこがいいの?②

ー家光には「天然」で良いのだ、という確信があったとのことですが、その確信はどこからきたのでしょうか?

金子 もちろん、将軍という地位にあったことはその背景にあるでしょう。将軍たるもの、狩野派のようなお決まりの描き方ではなく、自分だけの表現でもよいと考えたとしても不思議ではありません。

 

▲徳川家光「竹に雀図」(部分)。昨年、長野県で新発見された作品。ヘルメットみたいな髪型とか、胸からピョロっと出た謎の描線とか、確かに、家光だけの表現です。前期(10/24まで)展示

 

ー確かに。狩野派風に描いたら、狩野派を越えることはできませんものね。

金子 そうなんです。逆に、唯一無二の表現をすれば、その絵そのものが、全てを超えた存在としての将軍という存在を物語っていることになるのです。そんな想像も浮かびますが、家光がこんな風に独自の絵を描いた背景としては、もうひとつ、禅の思想があると私は考えています。

 

ー禅ですか? 

金子 「木兎図」のように、家光の絵には沢庵宗彭(たくあん・そうほう)が賛を付けたものが何点かあります。漬物のたくあんで知られる沢庵和尚は、大徳寺の住持を務めた高名な禅僧ですが、家光はこの沢庵に熱心に帰依していたのです。

▲徳川家光「木兎図」。賛は沢庵宗彭で、家光の描いた木兎の「奇怪」さを詠う内容。後期(10/26〜11/28まで)展示

 

ー禅と絵画といえば、仙厓さんが思い浮かびますが…… 

金子 仙厓の絵も、他とは全く違う、突拍子もない描き方ばかりです。禅という別世界への案内役となるべき禅画には、常識を越えることを「描き方」によって示すことが求められるのです。

 

ー「描き方」によってですか?

金子 もちろん、描き方だけでなく、主題も重要です。例えば、家光は木兎や梟を好んで描きましたが、両者ともに古くから姿が奇妙で、奇っ怪とされた鳥でした。嫌われ者の鳥をあえて描く「へそまがり」の感性は、常識を疑う禅の精神に通じているのです。家光は、そんな非常識な題材を、上手い下手という価値基準を飛び越えた、自由な描き方で表したのです。立派な禅画と言ってもいいのではないでしょうか?

 

▲徳川家光「古木に木兎図」(部分)。同じ木兎が主題でも、全く同じ絵を描かないところが家光らしい。前期(10/24まで)展示

▲徳川家光「木兎図」(部分)。「奇っ怪な鳥とされた木兎を、あえてこんなに可愛らしく描く、というのもまた、常識では考えられない描き方です」と金子学芸員。なるほど、そう考えると、この可愛さも奥深いですね

 

家光の絵についてのお話、まだまだ続きます。次回は、ありがたき葵御紋の表具についても伺いたいと思います。お楽しみに!

(図録編集チーム、久保)

 

家光の動物画、どこがいいの?①

徳川家光の描いた動物画が人気です。さりげなくTwitterで紹介するだけで、「いいね」をしてくださる方が大勢いらっしゃいますし、「家光の絵が今回の展示作品の中で一番好き」という方も、少なくありません。私ももちろん大好きです、家光の動物画。家光の絵のどこがそれほどまでに、私たちの心に響くのでしょうか? その理由を、本展の企画者の一人である府中市美術館の金子学芸員に聞いてみました。

▲徳川家光の絵が並ぶ「家光の部屋」

 

ー家光の動物画、すごい人気ですね。私も好きですが、どこがいいのかと尋ねられると、うまく説明できなくて困ってしまいます。

金子信久(以下、金子) そうですよね。どの系列にも属さない絵ですから、説明が難しいのかもしれません。以前、BS日テレの「ぶらぶら美術・博物館」の収録の際に、山田五郎さんが「ルソークラスの画家」という表現をなさっていましたが、確かに、家光の絵にはルソーに通じるところがあるように思います。

▲徳川家光「木兎図」(部分)下関市立歴史博物館寄託 前期(10/24まで)展示

 

ー下手だということですか?

金子 意図していなことの強さ、と言ったらいいかもしれません。例えば、ルソーの絵は面白いけれど、ルソーのマネをした数多の作品のほとんどは、面白くないですよね。家光の絵は、見れば分かるように、非常に丁寧に、一生懸命に描かれています。おそらく本人も自分が普通の意味で「上手い」とは思っていなかったはずですが、本人の評価や意図はさておき、私たちが今見ると、まるでヘタウマの絵のようで、そこが面白いと映るのではないでしょうか。

▲徳川家光「兎図」(部分)前期(10/24まで)展示

 

ーでは、家光は何を意図していたのでしょうか?

金子 意図は色々あると思いますが、まず第一に「リアリズム」でしょう。作品からは、非常に細やかに動物の姿を再現しようとする意図がはっきり見て取れます。例えば「兎図」ならば、毛のもふもふ感にこだわって、紙を筆で撫でるような描き方をしています。また、耳の輪郭を破線で表していることも重要です。本物のウサギの耳には輪郭がないので、形をはっきりさせることと、本物のように描くことの間をとって、このような表現になったのだと思います。

▲耳と尻尾の輪郭は破線。

 

ー確かに、とてもリアルです。それでも、家光は自分で「上手い」と思っていなかった?

金子 家光は将軍です。そばには、狩野探幽、安信、尚信らの御用絵師がいて、彼らを呼んでは絵を鑑賞したりしていたことが記録でわかっています。日頃から一流の書画に親しんできたので、どんな絵がいわゆる「上手い」絵なのか、ということはもちろんわかっていたでしょう。

 

ー確かに、上手い系の絵もありますよね。

金子 そうです。今回の出品作では「竹に小禽図」などは狩野派風の描き方です。お手本通りに描こうと思えばできたんです。それでも家光は、あえて、見慣れた絵画とは違う描き方をしたのだと考えています。今風の言葉で言えば「天然」で良いのだという確信があったのだと思います。

▲徳川家光「竹に小禽図」(部分)後期(10/26から)展示

 

家光の絵の魅力について、お話しはまだまだ続きます。次回をお楽しみに!

(図録編集チーム、久保)

家光をめぐる散策その1ー三島編

さて、動物展日記でも「散策」レポートを綴って参ります。

へそ展に続き動物展でも皆様を熱狂させている、徳川家光。
家光画伯、いや将軍をめぐる散策を2回に分けてお届けしようと思います。

ちなみに、家光をめぐってはへそ展日記で府中との不思議な縁について散策しましたので、ご興味のある方はお読みください。

図録の表紙にもなった、養源寺の「木兎図」。2019年の「へそまがり日本美術」展で初公開され、今回の展覧会を前に修復されたことは、図録やこのブログでもご紹介した通りです。ぜひ、図録でもご覧ください。

木兎図修復の様子
▲修復される木兎図

 

この修復が行われたのは、伊豆に工房を構える「春鳳堂」さん。三島駅から伊豆箱根鉄道に乗り継いで修善寺方面、大仁駅近くにその工房はあります。

乗り換えのために降り立った三島には家光ゆかりの地がある、ということで取材の前に少し散策してきました。

三島にはかつて「御殿地」と呼ばれたエリアがありました。御殿があった場所。そう、徳川家光が江戸から上洛する際の宿泊地が置かれていたのです。
三島市のwebサイトによると総面積は推定1万坪以上だったとか。1635年以降に将軍の上洛が行われなくなってからは廃止されたそうですが、現在もその面影が少しだけ遺されています。

御殿神社
▲御殿神社

 

御殿を護るために祀られていた稲荷神社がこの「御殿神社」です。街の景色に溶け込んで、まったくもって目立たず、ひっそりしていて通り過ぎてしまいそうですが、御殿地がここにあった証です。

御殿神社

お詣りを済ませ、御殿神社の前の道を少し歩くとせせらぎが。御殿地の東側を流れる「御殿川」です。

御殿川
▲御殿川

 

富士山の湧水をルーツとする四筋の川が流れ、水の都と言われた三島らしいこの風景を、家光も眺めたのでしょうか。そしてこの御殿地でも何か絵を描いたのでしょうか。せせらぎの音を聴きながら、そんなことを考えました。

御殿川沿いに三島駅方面へ戻る途中、気になるスポットに出会いました。

孝行犬
▲これです

 

日蓮宗の古刹・円明寺には江戸時代から「孝行犬」のお話が伝わっていて、その孝行犬の墓があるのです。
お寺の本堂の床下に暮らす母犬と5匹の子犬。ある日子犬のうち一匹が死んだことをきっかけに母犬が病に臥してしまいます。子犬たちは母犬のためにエサを集めるなど奔走しますが、必死の看病むなしく、母犬は半年後に死に、遺された4匹の子犬たちも後を追うように死んでしまったというのです。

孝行犬の墓
▲孝行犬の墓

 

その様子を見守っていたお寺の住職が供養のために建てたのがこの孝行犬の墓。毎年4月18日には供養祭が行われるのだとか。6匹の犬へのやさしいまなざしに、動物展のテーマに通ずるものを感じました。

孝行犬の墓
▲母犬の名「タマ」、子犬たちの名「トク」「ツル」「マツ」「サト」「フジ」が刻まれています。

 

家光に触れ、思いがけず動物へのまなざしについて考える。ついでのつもりの散策で、なんだかトクをした気分になりました。

家光をめぐる散策、次回は後期出品作に関連する散策をお届け予定です。

(図録制作チーム、藤枝)

 

 

 

 

 

展覧会を支える修復家さんの仕事

先日、家光の「木兎図」の修復の様子をご覧いただきましたが、今回は西洋編です。

 

日頃から、美術館は修復家さんにとてもお世話になっています。収蔵品の修理だけでなく、保存方法を相談したり、光学調査をお願いしたり、とても頼りになる存在なのです。さらに実は、展覧会でもとても重要な仕事をお願いしています。

 

それは展示の前後に行う作品の状態確認です。特に、海外から作品を輸送する場合や、複数の会場を巡回する展覧会の場合、修復家による入念な確認作業は欠かせません。

 

「動物の絵」展をご担当いただいたのは、「修復研究所21」所長の渡邉郁夫さん。油彩画の保存修復の第一人者で、海外の文化財の修復調査などの経験も豊富です。ヨーロッパの美術館の学芸員や修復家からの信頼も厚く、今回ぜひにとお願いしました。

 

 

画面や額を点検し、すでに傷や欠損のある箇所をチェックし、「作品調書」を作成します。この時、これから破損の恐れがある場所、取扱の注意点なども記入します。修復家さんがお医者さんだとすれば、作品調書はカルテのようなもの。会期終了後に作品に変化がないか、この作品調書をもとにしっかりと確認してから、所蔵館やご所蔵家に作品をお返しします。

▲ナント美術館所蔵の《鳥のコンサート》。ライトやルーペを使って、作品の隅々まで確認します。

 

▲輸送前に所蔵館が作成した作品調書。この状態から変化のないことを確認しつつ、新たに気づいたことや注意点を書き加えていきます。

 

 

幸いなことに、今回は必要はありませんでしたが、展示や輸送に際して危険な箇所が見かった場合、ご所蔵家や所蔵館に承諾を得た上で、例えば、額のひび割れを固定するなど、応急的な処置をしていただくこともあります。

 

 

▲額裏のチェックも大切です。

 

海外から作品を借りた場合、通常、こうした作品チェックは、修復家、私たち開催館の学芸員、所蔵館の学芸員の3者で行います。しかし、今回、渡航制限のため来日できなかった所蔵館の学芸員は、オンラインで作品のチェックを見守ってくれました。

▲輸送用木箱を開梱する際もビデオカメラでしっかり撮影。所蔵館にも確認してもらいながら行います。

 

 

この度の展覧会では、国内外から沢山の作品をお借りしました。どれもとても貴重な作品です。お預かりした大切な作品を、安全に安心して展示できるのは、渡邊さんのおかげです。きめ細やかで丁寧なお仕事で、展覧会の一番大切な部分をしっかりと支えてくださっています。(府中市美術館、音)

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