「ふつう展」日記

ひとつの展覧会の裏側には、展覧会を訪れただけでは見えない、さまざまなプロセスと試行錯誤があります。「ふつう展」日記は、「ふつうの系譜 「奇想」があるなら「ふつう」もあります 京の絵画と敦賀コレクション」展、略して「ふつう展」に関わるスタッフが、折々に皆さんにお伝えしたいことを発信するブログです。


うっとり!草花いっぱいの屏風

美術館の目の前の公園の桜が、満開を迎えようとしています。そこで今日は、桜とともに楽しんでいただきたい、草花いっぱいの作品をご紹介します。

 

金箔の地に四季の草花が華やかに散りばめられ、展示室のなかでも一際目立つ屏風。土佐光孚(とさ・みつざね)の《花丸文様屏風》です。

 

遠くから見ても豪華で、空間を一瞬にして華やがせる力に圧倒されますが、近づいて見ると花々や草木の生命感あふれる描写にさらに引き込まれます。

 

円を描くように草花を構成した「花丸文様」は、日本伝統の文様のひとつで、着物などにもよく用いられます。「文様」としての美しさを追求するために、植物は図案化され、定型的な表現であることがほとんどです。

 

しかし、この屏風の花丸文様を構成する草花は、実に生き生きとしていて、種類が特定できるくらいリアルに描れています。そこが、この作品の大きな魅力です。「これは桜。こっちは朝顔。菊に、露草も……」「この花はなんだろう?」などと、それぞれの花を目で追っていくうちに、すっかり夢中になってしまうのです。

 

では、いくつかの図柄をご覧いただきましょう。

 

まずは桜。 白い花びらの先が薄く色づいた花と、赤っぽい葉。ヤマザクラでしょうか?

 

たくさんの草花のなかでも一際目を引く大輪の牡丹は、ゴージャスの一言。

 

可憐な都忘れ。花びらの描写がとても繊細です。

 

紅白の椿。このままアクセサリーにしたいかわいらしさ!モダンです。

 

水仙。実物の水仙は、しゅっと直線的な葉が印象的ですが、円を形作るために、ぐにゃっと思いきり曲げられています。

 

真っ赤な葉の葉鶏頭(はげいとう)。エキゾチックな植物というイメージですが、江戸時代初期には日本に渡ってきていたそうです。

 

紫陽花。かなり図案化して描かれているのに、すぐに紫陽花だと分かります。模様としても素敵ですね。

 

河骨(こうほね)は、スイレン科に属する浮葉植物。葉の形も特徴をよく捉えています。

 

この地味さが、色とりどりの草花の中ではかえって目立つ稲。潔くシャープな線がかっこいいです。

 

なんと猛毒で知られる鳥兜(とりかぶと)の花も!

 

かなり無理矢理に丸にされているのは、竹。

 

柘榴。実だけでなく、赤い花も描かれています。

 

さて、丁寧な描写で造形化の工夫が凝らされた草花は、どれも見応えたっぷりで、思わず見入ってしまいます。さらに、屏風全体を見渡すと、花丸文様の配置が絶妙で、色や形のバランスも見事な、デザイン性の高い構図になっていることに気づきます。つまり、この屏風は、じっくりと見て楽しむ「絵」としても、室内を豊かに彩るインテリアのひとつとしても、実に完成度の高いものなのです。

 

「ふつうの系譜」のど真ん中、土佐派という日本絵画の正統派の作品。「日本的」なのは当然といえば当然なのですが、西洋美術史を専門とする私にとっては、この「絵としても、部屋の飾りとしても楽しめる作品」というところが、とりわけ「日本的」だと映ります。というのは、ヨーロッパでは「絵画」とインテリアなどの「工芸品」は全くの別物、という考え方が長くあったからです。それぞれ住み分けをするのが当たり前で、絵画としてもインテリアとしても優れている作品などあり得なかったのです。だから例えば、もし19世紀のヨーロッパの人々がこの屏風を見たら、きっと心の底から驚き、衝撃を受け、その斬新さに私たち以上に魅了されるかもしれません。

 

そんなことを考えると、美術の「ふつう」ってなんだろう?という疑問がふと頭をよぎりますが、実際に作品を目の前にすると、難しいことは後にして、まずはこの美しい世界を楽しもう!という気持ちが、勝ってしまいます。それほど見事な屏風なのです。ぜひとも会場で実物をたっぷりとご堪能いただき、美の世界に浸っていただきたいです。

 

(府中市美術館学芸員、音)

敦賀ゆかりの絵師・橋本長兵衛について

はじめまして。敦賀市立博物館学芸員の加藤です。今回「ふつうの系譜」展が再開催されるにあたり、ふつう展日記にお邪魔させてもらえることになりました。

 

 府中の地でしかも再開催という形で、多くの方に再び敦賀コレクションをご覧いただけるなんて、所蔵館としても胸がいっぱいです。

 

 ぜひ、桜咲く春の府中市美術館で、きれいで楽しい敦賀コレクションをご鑑賞ください。

 

さて、ふつう展ブログということですので、前期に展示されている6幅の《仙人図》の作者、橋本長兵衛について少しご紹介しようと思います。

 

▲初代橋本長兵衛《仙人図》 敦賀市指定文化財(敦賀市立博物館所蔵)

 

橋本長兵衛は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけて敦賀で活躍した絵師です。初代から三代まで続きました(《仙人図》の作者は初代です)。

 

 居住地は中橋町(現在の相生町)で、博物館のご近所にあります。

 

中橋町だった通り(博物館から歩いて30秒もかかりません!)

 

橋本長兵衛は鷹を専門に描く鷹絵師として活躍し、長兵衛の描いた鷹画は「長兵衛鷹」「敦賀鷹」と一種のブランドのように評価されていたようです。

 

 長兵衛は、秀でた画力と豊富な鷹の知識によって時の敦賀城主蜂屋頼隆や小浜藩主に重宝され、日光東照宮や徳川将軍家に二代長兵衛の鷹画が献上されています。

 

ふつう展で橋本長兵衛を初めて知った方は、《仙人図》が長兵衛の第一印象になっていて、逆に長兵衛の鷹の絵ってどんなの?と思われるかもしれません。

 

こんな絵です。

 

 

初代橋本長兵衛《架鷹図》 敦賀市指定文化財(敦賀市立博物館所蔵)

 

 

初代橋本長兵衛《架鷹図屏風》 敦賀市指定文化財(敦賀市立博物館所蔵)

 

 どうですか。「同じ作者なの?!」とびっくりされる方もいらっしゃるでしょうか。「架鷹図(かようず)」といって、止まり木(架・ほこ)に繋ぎ緒という紐で繋がれた鷹の絵です。

 

鷹は、階級社会における権威の象徴として権力者に好まれ、江戸時代には徳川将軍家の統治の中で鷹狩が管理されました。幕府と朝廷、諸国大名との間で、鷹や鷹狩で捕らえた獲物の進上、贈答の儀礼が行われていましたが、小浜藩主が東照大権現の御前に二代長兵衛の架鷹図を奉納したように、鷹の絵も大名と将軍間での贈答に用いられたのではと考えられます。

 

初代橋本長兵衛《架鷹図》

 

 仙人図の力の抜けた雰囲気とは対照的に、キリッとした緊張感のある鷹の姿がかっこ良いですね。

 

室町から桃山時代にかけて活躍した曽我派が鷹の絵のスタイルを確立させましたが、長兵衛もその影響を受けています。鷹の整った精悍な姿が印象的ですが、羽の模様は細かい線と墨のぼかしを用いて一つ一つ丁寧に描いています。

 

 一方で水墨作品の《仙人図》では、生き生きとした軽妙な筆遣いが印象的です。いい具合なゆるさの仙人たちがユニークで、見ていて楽しいですね。

 

墨をぼかしたり滲ませたり、濃くしたり薄くしたりと、その表情を上手く使いこなしていて、長兵衛の高い画力が感じられます。

 

▲《仙人図》のうち、琴高図(鯉の目も、琴高の表情もたまりません)

 

 長兵衛の鷹画はいくつか現存していますが、人物画は特に珍しく貴重です。

 

 《仙人図》を見ていると、鷹しか描けないわけじゃないぜ、なんでもこなせるぜ、と作者から言われているような愉快さがあります。

 

 「長兵衛=鷹絵師」「完璧」「威厳」「真面目」のイメージがあった私は、「仙人図」を見た時に、長兵衛の意外な一面を知ったような気がしました。肩書きや代表作以外を知ることで、画家の人物像も深まります。

 

 ふつう展での《仙人図》が長兵衛との初対面だった人は、鷹絵師の長兵衛はどう見えるでしょうか?

 

(敦賀市立博物館 加藤)

額縁も気になります!

以前、金子学芸員が「表具も気になる」と題して、掛軸の表具についての日記を書きました。絵に描かれているものや雰囲気に合わせて、布を選び、誂える表具。絵柄だけトリミングされている写真やポスターでは分からない掛軸全体の様子を見ることは、展覧会ならではの楽しみのひとつではないでしょうか? そこで、今回は、ヨーロッパ編「額縁」です。

 

▲ギュスターヴ・モロー《一角獣》の額縁。全体は木製、デコレーションは石膏、金色に塗って仕上げています。一般的な額縁の製法です。

 

▲「LA LICORNE(一角獣)」とタイトルが記されています。

▲アカンサスの葉は定番の装飾モチーフ。ゴージャスな雰囲気を盛り上げます。

 

表具と同じように、額縁も「いつの時代のものか?」「誰が作ったのか?」ということを正確に知ることは難しい場合が多いです。絵の制作に合わせて作られることもありますし、絵よりも額縁の方がずっと古い時代のものもあります。古色をつけて、わざと古めかしくした額縁もよく見かけます。額縁を選んだ人物も、コレクターや画商などさまざまです。また、多くの場合、専門の職人の手で作られますが、画家本人が作ることもあります。例えば、職人的な手作業にこだわった藤田嗣治は好みの額をよく自作しました。

▲キャンバスから額縁まで自作した藤田。乳白色の下地の美しさと滑らかさを際立せるために、額の木枠はわざと荒っぽく削って、素朴に仕上げています。

 

額縁が絵に「似合っている」ことはもちろんのこと、室内の雰囲気に合っていることも大切です。額縁の流行は、家具や室内装飾の流行りにも左右されます。家を新築する際に「ここにこの絵を飾るから、額縁も合わせて作ろう」といった場合もあったようです。例えば、このマルティネッティの作品は、壁にはめ込まれていたような跡があり、家具や建物の一部として作らたと考えられます。19世紀のブルジョア市民の邸宅に飾られたものでしょうか? きっと木製の額が家具や調度によく合っていたことでしょう。

▲金色には塗らず、木肌を生かしてニスで仕上げています。

 

違う用途で作られたものを額縁に仕立て直すケースもあります。このデッサンは、マリー・ローランサンが親友の作家マルセル・ジュアンドーの本のために描いた挿絵の原画です。ジュアンドーの手元に所蔵されていた際には、衝立のような形にして飾っていたそうです。この額縁は、その衝立をばらして、一枚づつ飾れるように仕立て直したものです。エキゾチックでモダンな雰囲気の額からは、当時の流行やジュアンドーの趣味も感じられます。

▲2匹の龍を模したようなモチーフが向かい合っています。

 

他にもマリー・ローランサンの作品は、素敵な額に納められたものが多いです。アール・デコの流行を取り入れた鏡貼りの額や、手描きの模様の額など凝った仕立てのものをよく見かけます。ローランサン本人が額縁のデザインや制作にどこまで関わったかは、はっきりとは分かりません。ただ、舞台美術やテキスタイルも手がけたローランサンのデザイン感覚が生かされた作品は、「部屋に飾って楽しむ絵」としてとても人気だったので、それに合わせる額縁も特別なものにしようと考えた人が多かったのかもしれません。

▲愛らしい植物文様が手描きされています。おそらく額縁職人によるものですが、絵のかわいらしさともよく合っています。

 

最後に、額縁が変わると作品がさらに輝いて見える例をご覧いただきましょう。18世紀フランスの画家リエ=ルイ・ぺランの作品です。この写真は、展覧会の準備のために、2018年にランス美術館で調査をさせていただいた際の写真です。この時、作品はごくシンプルな金色の額縁に収められていました。美術館でもよく見かけるタイプの額です。

ところが、作品が到着して、作品が収められた箱を開けたら、違う額縁が付けられていて、驚きました。作品自体は変わっていないはずなのに、作品の力まで増したように感じられたのです。後日、ランス美術館の学芸員に問い合わせたところ、私が調査で拝見した後に、作品制作当初のオリジナルの額縁が見つかり、修復を経て、この度の展覧会のために、その額縁に納めていただいたそうです。

▲ゴージャスな額縁に、びっくり!

 

▲「L. L. PERIN」と作者の名前が刻まれています。上部中央に華やかで大きな装飾をつけるのはロココ時代の額の特徴のひとつです。

 

▲作者の孫のフェリックス・ペランからランス美術館に寄贈されたと記されています。19世紀に記されたものでしょう。

 

額縁装飾の頂点を極めたと言われるロココ時代らしいスタイルの額縁です。木の部分には丁寧に彫刻が施され、さらにそこに可愛らしく繊細なブーケの装飾が石膏で加えられています。豪華かつ可憐な雰囲気の額縁から、この絵が飾られた部屋の様子にまで想像が広がります。例えば、ベルサイユ宮殿のような空間にもぴったりではないでしょうか。

 

ぜひ額縁にも注目して、展覧会を楽しんでいただけたら幸いです。(府中市美術館学芸員、音)

庚申様の旅(上)

 

 

府中駅を降りて西側へ出ると、大國魂神社に続く立派なけやき並木があります。深く重厚な木々の光景が目に入った瞬間、「ああ、ここは府中なんだ」と、歴史の町の、何か特別な空気のようなものを感じる方も多いことでしょう。

 

▲庚申塔は、府中駅から1分くらいのところにあります。

 

そのけやき並木に、二つの庚申塔(こうしんとう)があります。覆屋に守られ、今も地元の方によって花や水が供えられています。そのうち右の一基には、青面金剛(しょうめんこんごう)という仏様と、三匹の猿が彫られています。

▲時折、手を合わせていく人がいます。

 

▲上には、邪鬼に乗る青面金剛。6本の腕があり、剣などを持っています。邪鬼の下には、3匹の猿が彫られています。

 

庚申信仰は、中国の道教の世界で生まれました。人の体内に住んでいる「三尸(さんし)」という虫が、その人の悪事を天帝に告げると、その人の寿命は短くなるというのです。その三尸虫(さんしちゅう)が体から抜け出して、天帝のところへ報告に行くのは、「庚申」の日の夜だとされました。そこで庚申の日に、人々が集まり、眠い目をこすって、一晩中寝ないで、三尸虫が体外に出ないようにするという対策が講じられたわけです。それが「庚申待(こうしんまち)」と呼ばれる行事です。

 

庚申待は、遅くとも平安時代の初めには、宮廷や貴族らの間で行われていました。その頃の人たちが三尸虫のことをどこまで信じていたかは謎ですが、長生きを願う行事として、宴や遊興とセットで行われていたようです。それがやがて庶民にも広がり、特に江戸時代から近代にかけて、日本各地の町や農村などで行われました。

 

庚申待の講中、つまりグループで、石塔を建てることもありました。それが庚申塔です。庚申の日は年に6回ありますが、それを3年続けて、合計18回を達成した記念に建てることもあったようです。もちろん、健康と長寿を祈願して建てられることもあったでしょう。府中のけやき並木の、青面金剛と猿が彫られたそれには、天保7年(1836)の年紀があります。

 

庚申待は道教から生まれたものなので、仏教や神道とは元来は無関係ですが、日本では、仏様や神様など色々な信仰と結びつきました。察するに、ただ徹夜して三尸虫が外に出るのを防ぐだけでなく、神仏を拝みながら催せば、効果が一層強力になると考えたのでしょう。そうした庚申待の時のご本尊は、「庚申様」と呼ばれています。庚申様になった神仏は色々ですが、その一つが、病魔退散の力を持つ青面金剛でした。

 

▲左から、目をふさいだ「見ざる」、耳をふさいだ「聞かざる」、そして口をふさいだ「言わざる」。

 

また、「三猿」、つまり「見ざる、聞かざる、言わざる」の三匹の猿が、庚申様になることもありました。三猿が選ばれた理由としては、「庚申」は申の日だからという説や、三尸虫とは逆に、その人の悪事を「見ざる、聞かざる、言わざる」ものだから、という説などがあります。けやき並木の一基には、青面金剛と三猿、二つの庚申様が彫られているわけです。

 

▲摩滅した「言わざる」が愛らしさを醸し出しています。

 

さて、府中駅に戻って、美術館を目指して少し歩くと、「庚申様のまち」、府中駅東口商店街があります。この通りの入口に、嘉永5年(1852)に建てられた「新宿庚申塔」があるのです。宿場町時代、府中には三つの町があり、その一つ「新宿(しんしゅく)」の人たちが建てた庚申塔で、石碑の正面には「庚申塔」、側面には「新宿講中」と彫られています。私もしばしばここを通りますが、現代の町の中に、こんな風に昔の人たちの暮らしぶりを伝えるものがあるのは、いいものです。

 

▲ 左下が「新宿庚申塔」。ゲートの上で、2匹の猿が迎えてくれます。

 

 

さて、この「庚申様のまち」から15分ほど歩けば、府中市美術館です。そして、開催中の「動物の絵 日本とヨーロッパ」展でも、とっておきの「庚申様」をご覧いただけます。(続く)

 

(府中市美術館学芸員、金子)

 

「姫」の描き方

途中で閉幕となった一昨年のふつう展でも、そして今回のふつう展でも、ポスターの主役は、土佐光起が描いた《伊勢図》です。ポスターの後に実物をご覧になって、あまりの小ささに驚かれた方も多いことでしょう。いつしかスタッフの間で「姫」と呼ばれるようになった作品です。

▲伊勢は、百人一首でも知られる平安時代の歌人。失恋の傷を癒やしに大和の国を訪れ、竜門寺というお寺に滞在して、滝を見て歌を詠んだエピソードを描いた作品です。

 

画面の縦の長さは、100.9センチ。その多くの部分が、墨だけで、しかも、かなりあっさり描かれています。ところが、「姫」だけが、くっきりと濃密に、色鮮やかです。薄暗くてほわっとした光景の中で、そこだけが、きりっと際立った美しさは、ありきたりの言葉ですが息をのむようです。

 

作者の光起は、江戸時代前期の土佐派の画家です。この派は、室町時代から続くやまと絵の派で、宮中の「絵所預」という役職をつとめてきました。社会的にはナンバーワンの地位にあった派といえるかもしれませんが、それだけでなく、日本独特の「やまと絵」の技術や美しさを代々守ってきた派です。そう考えると、今だったら芸術家としてだけでなく、伝統技術の保持者として注目されていても、おかしくないでしょう。

 

一昨年のふつう展の際、ポスターのデザイン案がデザイナーの島内泰弘さんから送られてきた時、本当に驚きました。実物は数センチほどの小さな「姫」の姿を、B2サイズのポスターにしようというデザインだったのです。「この作品を使ってデザインしてください」という依頼はしていなかったので、デザインを見た時、ほんの一瞬だけですが、「こんな作品あったっけ?」と思ったほどでした。次の瞬間には光起の《伊勢図》だとわかりましたが、実物の印象とはまた違う、絵としてのすさまじい完成度の高さを見せつけられる思いでした。

▲一昨年の「ふつうの系譜」展のポスター。

 

実物の印象しか頭になかった私には、およそ思いつかなかった作品の選択です。もしかしたら、デザイナーは、作品のデジタル画像を大きなディスプレイで一つ一つ拡大したりしながら、ポスターの主役を探したのかもしれません。現代の技術が、かつての名手の技と美の素晴らしさを教えてくれたような気がしますが、もし光起がこのデザインを見ても、きっと驚いたことでしょう。余談ですが、一昨年は、開幕後にその島内さんが実物の「姫」と対面して、その小ささに驚くのを楽しみにしていたのですが、展覧会は途中で閉幕となり、叶いませんでした。今年こそ、島内さんにも見てほしいものです。

 

ポスターになり、巨大化された「姫」を見ながら、日々、作者光起の巧みさに驚いていました。展覧会図録の文章でも紹介しましたが、光起は、自ら書いた秘伝書で、目や鼻を描く位置についての秘訣を記しています。ですが、それを知ったところで、細い筆の筆先を使って、目や鼻を、美しく、そしてイメージどおりの位置にちゃんと描くことなど、簡単にはできません。よほどの腕をもった人でなければ、筆を持つ手が震えたり揺れたりして、描けないでしょう。

▲「完璧」という言葉がぴったりな美しさです。

 

《伊勢図》の美しさがどうやって生まれたのか。もう一つのポイントが、彩色の技法です。

 

下の画像は、扇を持つ手の袖口のあたりの拡大写真です。「絵絹」と呼ばれる絵画用の絹に描かれているので、布目が見えます。左から、青色の部分、明るいベージュ色の部分、更に、朱色、ピンク色、少しピンクがかった白、普通の白が塗られ、一番右に暗い緑色の部分が見えます。この色の並びだけでも、とてもきれいです。

 

更に、青く塗られた部分に注目してみましょう。濃く見える部分と、薄く見える部分があるのがわかるでしょうか? 青い部分の形に沿って、濃いところがありますが、その内側は薄くなっています。

▲この写真の範囲は、実物では約1.5センチ四方です。

 

下の写真は、上の写真の一部分です。よくご覧ください。右の方の薄い部分では、青い絵の具は、格子状になった絹の糸の「向こう」にだけ見えています。つまり、絹の裏側から絵の具を塗っているのです。そして、濃い青のところは、絹糸にも色が着いていて、表側から塗られていることがわかります。

▲右の方は、絹目の向こうに絵の具が見えます。

 

恐らく、青く表す部分全体を裏から塗って、一段階濃く表したい部分だけ、表からも塗ったのでしょう。青の絵の具は、岩絵具の「群青」ですが、一種類の絵の具だけで、しかし、それを裏と表から塗ることによって、強弱のある美しさを作り出しているのです。裏側から塗るこの技法は、「裏彩色」と呼ばれています。

▲着物の「地」の部分を塗った後に、金や赤、緑や白で模様を描いています。

 

裏彩色といえば、近年、伊藤若冲の《動植綵絵》に使われていることがわかり、話題になりました。《動植綵絵》の場合は絹目がとても詰んでいるので、表から見ただけではわからず、修理の時にはじめて見つかりました。しかし、ご覧いただいたように、この光起の作品の場合は絹の目が粗いので、拡大写真やルーペを使えば、表からでもある程度わかります。

 

絹という、透けるような素材に描く場合、その特性を生かして裏からも色を塗るのは、平安時代の昔からごく普通のことでした。古代や中世の仏画の研究をしている人たちなどは、作品調査の時に、裏彩色にも注意して観察するのが普通です。私も、江戸時代の絵画を調査する時、裏彩色があるかどうかをできるだけ見るようにしていますが、たとえば、浮世絵師の菱川師宣の作品にも使われていた例があります。若冲や光起のすごさは、裏彩色を使ったことではありません。その手法をどんなふうに使って、どんな効果を出すのか、その技術の生かし方が素晴らしいのです。

 

江戸時代以前の日本には、あまり多くの色の絵の具はありませんでした。しかし、きれいな絵を描くには、色の数が多ければよいというわけではありません。少ない種類の絵の具を使って、工夫を凝らして、見事な「美しいもの」を作り上げる。光起の「色彩の精密感」が醸し出す美しさには、そんな平安時代から続く歴史が生きているわけです。

 

▲こうして見ると、裏彩色の青色にも、濃淡が付けられているのがわかります。

 

(府中市美術館、金子)

表具も気になる

ポスターやウェブサイトで見たことがある絵でも、いざ会場で見ると、絵のまわりの「表具」に驚かされることがあります。写真に出ているのは、普通、絵の部分だけですが、実際には布や紙で掛軸に仕立てられていて、そのデザインが目を引いたり、絵との取り合わせが意外だったりするのです。

 

 

冨田渓仙《牡丹唐獅子図》 福岡県立美術館

強い紫色と、銀色のざっくりした大きな文様。奔放かつ素っ頓狂な絵を、重厚に、大胆に引き締めています。絵にも描かれているように、獅子といえば牡丹。表具の文様も牡丹です。

 

 

よく、「表具は、絵と同じ時代のものですか?」とか、「表具の布は、誰が選んだのですか?」といった質問を受けますが、かなり難しい問題です。

絵は、表具師の手で掛軸に仕立てられます。その時、どんな表具を選ぶかは、絵を手に入れた人が考えることもあれば、表具師にお任せのこともあったでしょう。また、ときには、画家が指示することもあったかもしれません。しかし、そうした事情を伝える記録はほとんどないのです。

 

 

彭城百川《初午図》

描かれているのは、お稲荷さんとお供え。初午の行事は二月。それに合わせた、かわいい梅の花です。

 

 

 

徳川家綱《闘鶏図》 德川記念財団

上手い下手を超えた力と味わいで、見る者の心を鷲づかみにします。波の中に刺繍で表されているのは、色とりどりの貝、魚、蟹、海老。風変わりで、そしてかわいらしいデザインです。へそ展に並ぶ掛軸の中でも、かなり目を引きます。

 

 

表具は布や紙でできていますが、それらの部品をつなぎ合わせているのは弱い糊なので、年月が経つにつれ、剥がれてきます。そうなった掛軸は、いったん分解して、再び仕立てる修理が必要です。50年に一度、あるいは70年に一度、などと言われます。

修理の時に、もし部材が傷んでいたら新しいものに取り替えます。元の布に似た布を探して使ったり、また、作品の持ち主の好みで、思い切って以前とは違うものにしたりしますが、その場合、古い布を使って趣を演出することもあります。

こんなわけで、表具がいつのものかを知るのは、かなり難しいのです。新しそうに見えても、絵と同じ時代のまま、ということもあるでしょう。逆に、古そうに見えて、意外に新しいこともあります。いずれにしても、どんな表具にしたら絵が引き立つか、面白い掛軸になるかを、それぞれの時代の人たちが考えて、作っているわけです。

 

 

 

円山応挙《山水図》

精巧に描かれたリアルな風景画。きりっとした緊張感や輝きがあります。表具は、ひときわ華麗で重厚です。表具には「三つ葉葵」の紋。作品の箱に「鈴鹿景」と書かれているので、あるいは、紀州徳川家に伝わった作品でしょうか?

 

 

伊藤若冲《鯉図》

風帯(上から下がる二本の帯)もなく、シンプルな掛軸ですが、墨だけで描かれた力強い造形にぴったりです。絵のテーマが鯉なので、表具は全面びっしりと、ただただ波です。

 

 

中村芳中《鬼の念仏図》

大津絵でおなじみの「鬼の念仏」を、もっと大胆奔放に、かつ「ゆるく」描いています。民芸品的な題材と、簡素な格子文様が、洒落た、良い雰囲気を出しています。

 

美術館の図録の場合には、絵の部分だけを掲載するのが一般的です。図録の大きさは限られているので、掛軸全体を載せると、絵が小さくなってしまうからです。また、あくまで画家自身が描いたのは絵のところだけなので、そうするのが普通です。しかし、やはり掛軸は表具あってのもの。会場では、全体の味わいや面白さをたっぷりと味わっていただきたいと思います。

(府中市美術館、金子)

 

 

「初公開」作品44点。 これってすごいことなの?

開幕までいよいよあと3日。

今日は「新発見」のことについて、少し考えてみました。

近年、展覧会の開催にあわせて、初公開作品のニュースが新聞やテレビなどで華々しく報道されたりしています。

「若冲の幻の作品、初公開!」といった具合に。

▲へそ展で展覧会初公開の徳川家光《兎図》。

 

「〈新発見〉ってどういう意味?」と思われる方もいらっしゃるでしょう。ここで言う「新発見」とは、近年の研究者に知られることなく、展覧会や本などでも紹介されたことのない作品のこと。本だけで紹介されたことがある場合には、展覧会「初公開」となるわけです。

 

そこで、へそ展の図録の制作が始まった昨年春頃、私も金子学芸員に聞いてみました。

「へそ展では初公開とか、新発見みたいな作品はあるんですか?」

すると金子学芸員からは

「ありますよ、おそらく数十点にもなるんじゃないでしょうか。

〈春の江戸絵画まつり〉はいつもそうです」

と、驚きの答えが返ってきました。

「研究の成果を展覧会で発表するのが学芸員の仕事。ですから、いわゆる“新発見”とか、”初公開”といった作品はいつもこれくらいになるんです」

なのだそうです。本当にびっくりしました。

でも、言われてみれば納得で、だから〈春の江戸絵画まつり〉ではいつも、「こんなの見たことない!」という面白い作品が並ぶんですね。府中市美術館での展示をきっかけに、その後、一躍、有名になった作品も思い浮かびます。

そして、金子学芸員の予想通り、へそ展での展覧会初公開作品は、最終的になんと44点になりました。

   

▲こちらも展覧会初公開、仙厓の《十六羅漢図》。「こんな十六羅漢は見たことがない」と金子学芸員。

 

しかも、そういった”新発見”だけでなく、美術史的にも重要と定評のある作品も、さりげなく出品されていることもすごいところなんです。ぜひ、見にきてください!

(図録制作チーム、久保)

おかしな猛禽類

へそ展には、猛禽類を描いた作品が3点出品されます。鷹や鷲ではなく、梟(ふくろう)と木兎(みみずく)です。どちらも同じフクロウ科ですが、耳のように見える「羽角」があるのが木兎です。羽角は耳ではなく、文字どおり、羽毛です。

 

まずは、以前にも図録制作チームのツイッターでご覧いただいた、徳川家光の《木兎図》。家光の乳母、春日局の子、稲葉正勝が創建したお寺、東京の千駄木にある養源寺に伝わった作品です。かわいらしさに心をわしづかみにされる方は多いと思います。

 

それから、博多の禅僧、仙厓さんが描いた《小蔵梅花図》。これもすでにツイッターでご紹介した作品です。梅の花にとまっているのは、梟。あまりに面白い描き方ですが、画面の真ん中の大きな文字も気になるところでしょう。実は、梟の鳴き声に関わる、あるダジャレです。その謎は、ぜひ、へそ展の会場や図録の解説をご覧ください。

   

 

そして猛禽類を描いた三つめの作品は、江戸前期の京都の画家、狩野山雪の作品です。木にとまって、きょとんとする梟を、二羽の小鳥が見ています。画面に添えられた禅僧の言葉によると、どうやら梟という鳥は、姿や鳴き声が特異なせいで、かわいそうな身の上にあったようなのです。心なしか、山雪の描く梟も愁いを秘めているようで、しんみりとさせられます。

 

家光の作品は展覧会の全期間、仙厓の作品は後期、山雪の作品は前期に、ご覧いただく予定です。一度に展示できなくて申し訳ないのですが、ぜひ、おかしな猛禽類に会いにいらしてください。

(府中市美術館、金子)

 

 

麟祥院の襖絵

先日、ある取材の方から「今回の展覧会の準備で思い出深いことは何ですか?」と聞かれました。準備はまだ続きますが、今までを振り返っただけでも、思い起こすことはたくさんあります。

 

京都の妙心寺の塔頭、麟祥院には、海北友雪が描いた江戸時代前期の竜の襖絵があります。もちろん凄い竜なのですが、表情がとぼけているというか、見る人を不思議な世界に誘ってくれるような目をしています。一筋縄ではいかない禅の世界の奥深さを、見ただけで感じることのできる作品だと思い、ご出陳をお願いしようと決心しました。

 

伺ったのは、こともあろうに8月の後半。妙心寺の広い境内を歩いていると、滝のような汗が流れます。なんとか汗を拭って、ご住職にお目にかかりました。「へそまがり日本美術」などという展覧会で、「けしからん」と叱られるのを覚悟していたので、ご出陳のお許しをいただいた時は、夢のようでした。

 

そして10月の終わり。今度は最高に気持ちの良い季節に、カメラマンや図録編集チームのスタッフと、作品の撮影に伺いました。襖なのでお堂の所定の場所にはめられていますが、その状態とは別に、作品としての写真は、1面ずつきっちり、正面から撮らなければなりません。1面ずつ外して、立てかけて、ライティングの具合やカメラの位置をしっかり調整して撮影します。図録やチラシなどの印刷物にする時は、そうして別々に撮った写真をつなぎ合わせて使います。運搬用の箱を作るために、作品の厚みなどを含む正確な大きさも測りました。

 

撮影は順調に進み、良い写真を撮ることができました。しかし撮影の後、襖を元の位置に戻して、まだお堂の天井の電灯を点ける前に私たちが体験したのは、本当の自然の光のもとでの光景でした。昼でも薄暗い空間で、大きな竜が、自らが呼ぶという雨雲に包まれて姿を見せています。迫力、美しさ、凄さ……そんな言葉では言い表せません。鈍く輝く金色の竜の目に見つめられながら、紙と墨という物質が発する何かに包まれるような、不思議な体験でした。図録には、お堂の様子がわかる写真も載せる予定ですので、ぜひご覧ください。

(府中市美術館、金子)

床の間ってすごい! 掛軸撮影@京都・無鄰菴①

「へそまがりな絵」が、実際に暮らしの中にあったら、どんな雰囲気なのか──
昔の人たちの気持ちを少しでも想像することができたら、と考えて、掛軸を床の間に飾った写真を撮影し、「へそ展」の図録に掲載することにしました。
撮影の場所は、京都、南禅寺近くにある名勝・無鄰菴です。

先日、古書画屋さんで見せていただいて、出品が決まった長沢蘆雪の《猿猴弄柿図》。とてもアクの強い顔の猿なのですが、床の間にはすっと馴染みます。そして、なんとも品のある作品だということがわかりました。床の間の包容力、すごいです!

サイズを測るのも大事な仕事。

たくさん並んだ箱の中から、次に撮影する作品を、古書画屋さんに出していただきます。

   

無鄰菴は明治・大正時代の政治家山縣有朋の別荘でした。母屋・洋館・茶室の三つの建物と庭園から構成されていますが、何より素晴らしいのは、東山を借景に広がる庭園。ごく浅い水流がサラサラと流れているのが、とっても綺麗なのですが、これを保つため、日々、庭師の方々が手を入れているそうです。南禅寺界隈の別荘群では唯一、通年で公開されている庭園なので、今度はゆっくりと、訪ねて見たいと思いました!
(講談社図録制作チーム、久保)

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