はじめまして。敦賀市立博物館学芸員の加藤です。今回「ふつうの系譜」展が再開催されるにあたり、ふつう展日記にお邪魔させてもらえることになりました。
府中の地でしかも再開催という形で、多くの方に再び敦賀コレクションをご覧いただけるなんて、所蔵館としても胸がいっぱいです。
ぜひ、桜咲く春の府中市美術館で、きれいで楽しい敦賀コレクションをご鑑賞ください。
さて、ふつう展ブログということですので、前期に展示されている6幅の《仙人図》の作者、橋本長兵衛について少しご紹介しようと思います。
▲初代橋本長兵衛《仙人図》 敦賀市指定文化財(敦賀市立博物館所蔵)
橋本長兵衛は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけて敦賀で活躍した絵師です。初代から三代まで続きました(《仙人図》の作者は初代です)。
居住地は中橋町(現在の相生町)で、博物館のご近所にあります。
▲中橋町だった通り(博物館から歩いて30秒もかかりません!)
橋本長兵衛は鷹を専門に描く鷹絵師として活躍し、長兵衛の描いた鷹画は「長兵衛鷹」「敦賀鷹」と一種のブランドのように評価されていたようです。
長兵衛は、秀でた画力と豊富な鷹の知識によって時の敦賀城主蜂屋頼隆や小浜藩主に重宝され、日光東照宮や徳川将軍家に二代長兵衛の鷹画が献上されています。
ふつう展で橋本長兵衛を初めて知った方は、《仙人図》が長兵衛の第一印象になっていて、逆に長兵衛の鷹の絵ってどんなの?と思われるかもしれません。
こんな絵です。
▲初代橋本長兵衛《架鷹図》 敦賀市指定文化財(敦賀市立博物館所蔵)
▲初代橋本長兵衛《架鷹図屏風》 敦賀市指定文化財(敦賀市立博物館所蔵)
どうですか。「同じ作者なの?!」とびっくりされる方もいらっしゃるでしょうか。「架鷹図(かようず)」といって、止まり木(架・ほこ)に繋ぎ緒という紐で繋がれた鷹の絵です。
鷹は、階級社会における権威の象徴として権力者に好まれ、江戸時代には徳川将軍家の統治の中で鷹狩が管理されました。幕府と朝廷、諸国大名との間で、鷹や鷹狩で捕らえた獲物の進上、贈答の儀礼が行われていましたが、小浜藩主が東照大権現の御前に二代長兵衛の架鷹図を奉納したように、鷹の絵も大名と将軍間での贈答に用いられたのではと考えられます。
▲初代橋本長兵衛《架鷹図》
仙人図の力の抜けた雰囲気とは対照的に、キリッとした緊張感のある鷹の姿がかっこ良いですね。
室町から桃山時代にかけて活躍した曽我派が鷹の絵のスタイルを確立させましたが、長兵衛もその影響を受けています。鷹の整った精悍な姿が印象的ですが、羽の模様は細かい線と墨のぼかしを用いて一つ一つ丁寧に描いています。
一方で水墨作品の《仙人図》では、生き生きとした軽妙な筆遣いが印象的です。いい具合なゆるさの仙人たちがユニークで、見ていて楽しいですね。
墨をぼかしたり滲ませたり、濃くしたり薄くしたりと、その表情を上手く使いこなしていて、長兵衛の高い画力が感じられます。
▲《仙人図》のうち、琴高図(鯉の目も、琴高の表情もたまりません)
長兵衛の鷹画はいくつか現存していますが、人物画は特に珍しく貴重です。
《仙人図》を見ていると、鷹しか描けないわけじゃないぜ、なんでもこなせるぜ、と作者から言われているような愉快さがあります。
「長兵衛=鷹絵師」「完璧」「威厳」「真面目」のイメージがあった私は、「仙人図」を見た時に、長兵衛の意外な一面を知ったような気がしました。肩書きや代表作以外を知ることで、画家の人物像も深まります。
ふつう展での《仙人図》が長兵衛との初対面だった人は、鷹絵師の長兵衛はどう見えるでしょうか?
(敦賀市立博物館 加藤)