「ふつう展」日記

ひとつの展覧会の裏側には、展覧会を訪れただけでは見えない、さまざまなプロセスと試行錯誤があります。「ふつう展」日記は、「ふつうの系譜 「奇想」があるなら「ふつう」もあります 京の絵画と敦賀コレクション」展、略して「ふつう展」に関わるスタッフが、折々に皆さんにお伝えしたいことを発信するブログです。


ふつう画から学ぶ ~タマゴが先か、ウズラが先か。~

はじめまして。敦賀市立博物館館長補佐(学芸員)の髙早です。
加藤学芸員に続いてお邪魔いたします。今回は美術を専門としない学芸員の「ふつう」話です。

 

個人的な話から始まって恐縮ですが、20世紀の終わりごろのことです。筆者は敦賀市立博物館の新米学芸員となって日本画、敦賀コレクションに出会いました。それまで特に日本画を観賞するのだと言う意識をもって美術館博物館を訪れたことはありませんでした(西アジア方面の展示が好きでした)。まっさらな状態で始まった日本画との付き合い、それでも時を置かず、自然の美しさを沁み入る様に写し再現する様を始め、きれいな色や細やかな筆遣いの見事さ、物理的な厚みはないはずなのに感じる鮮やかさや深み、独特の余白を効かせた構図など面白く感じるようになりました。

      

▲長沢蘆雪《雪中鴛鴦図》(敦賀市立博物館所蔵)前期展示
痛いくらいの冷たい雪、寄り添うオシドリ、一輪だけ添えられた赤い椿。きゅぅぅんってなりませんか。

 

そんな絵の中の一つにウズラがいました。土佐光起の「菊に鶉図」(後期展示)の、菊の根元に繊細に描かれた、茶色くて白や濃茶のまだらがある羽の鳥です。まあるくて小顔の鳥です。衝撃の出会いと言って良いでしょう。

     

▲土佐光起《菊鶉図》(敦賀市立博物館所蔵) 後期展示
ウズラってこんな鳥なんですって。知ってました?

 

あれ、鶉ってあのウズラの卵のウズラ(※)? こんな鳥なの? 鶏の小さいのじゃないの?(当たり前です) 自分はそれまでの人生で、ウズラという鳥の姿を一度でも思い浮かべてウズラの卵を食べたことがあっただろうか。いやない。 (※品種は異なるようです。)

 

ウズラの卵はお好きでしょうか? 前世紀のあの頃は八宝菜の一皿に一個か二個、秘密のご褒美のようにしかお目にかかることもなかったように思うのです。ざるそばの薬味について来ると今でもちょっとわくわくするのはそうした経験ゆえでしょうが、昨今ではレシピサイトなどを検索すると多彩なメニューで楽しまれているようですね。なんにせよ若かりし頃は、少し特別感のある、ただ小さい卵、という認識でいただいていたように思います。

 

今にして思えば何も知らない、知らないことに気が付きもしない若造だったのです。とても怖い話ですね。

鶉の絵が好まれた理由や、土佐派の鶉が人気であったことなどは、展示図録に詳しく解説されています。かわいいだけではない情報量、なるほどそうだったのかと思うばかりです。

 

ウズラのみならず、敦賀コレクションとの出会いを通し、学んだことは少なくありません。とりどりの花や愛らしい鳥の姿、名前。繰り返し絵画化されている風景。古くからの風習や歴史、古典文学の一節。知識として知るだけでなく、それまでは特に意識せずにいた伝統的な自然観や移り変わる季節の捉え方なども、すとんと腑に落ちるように認識できるようになった気がしています。それはその後民俗調査などに多く携わり、自身の専門分野として取り組んでいくこととなった際にも肌感覚として役に立ったと感じています。

ふつう、とはそういう事でもあるのだと思います。

 

▲狩野探幽《業平東下図》(敦賀市立博物館所蔵)
みんな東下りが大好き…。

 

 

▲中島来章《五節句図》(敦賀市立博物館所蔵)
重陽の節句(9月9日))の菊の被せ綿ってとても可愛らしくてなにこれってなりました。

 

 

▲原在中《春秋山水図屏風》(敦賀市立博物館所蔵)
春と秋を描いた一対の作品は、どの季節に飾るためのものなのか、ずっと考えています。
本作の秋の図は紅葉は控えめに、景色の奥深くまで広がる黄金の稲穂が描かれ、春の海と相俟って穏やかな季節の巡りと豊かな恵みへの祈りが込められていると感じます。

 

 

 今回の「ふつう」展、お客様はどんな「ふつう」と出会われることになるのでしょうか。付き合いだけは長い敦賀コレクションが多くのお客様にとってわくわくする「ふつう」であることを想い、私もわくわくしている次第です。

(敦賀市立博物館 高早恵美)

 

 

「美術品輸送」というお仕事のこと、聞きました!(後編)

 

「美術品輸送」という部門があるのをご存知でしょうか? 美術展の開催には欠かせない、そのお仕事について、今回、「ふつうの系譜」展を担当してくださったヤマト運輸の方々にお伺いいたしました(画面を下にスクロールでインタビュー前編、ご覧いただけます)。

▲ふつうの系譜展会場で、お話を聞かせてくださったヤマト運輸の方々。左から森内翔澄さん、藤原大さん、三宅璃咲さん。

 

ー展覧会の作品の梱包から輸送、展示、撤収と展覧会にまつわる幅広いお仕事をなさっておられますが、事前に、今回はこれこれこういう作品を展示するのだと、全部わかっているものなんですか?

 

森内翔澄さん(ヤマト運輸/以下、森内) 基本的にはわかっています。

 

ーじゃあ、細かな作品リストのようなものが提出されるわけですね。絵柄なども含めて、どんな作品かわかっている。

 

金子信久(府中市美術館/以下、金子) いやあ、耳が痛いです(笑)。

 

ー展覧会直前は皆さんお忙しいから、予定通りに進めるのは大変そうですね。たとえば、今回のふつう展で言えば、全体を統括なさっているのは、どなたなんですか?

 

三宅璃咲さん(ヤマト運輸/以下、三宅) 私です。営業として府中市美術館さんを担当させていただいています。

 

音ゆみ子(府中市美術館/以下、音) 営業さんは、現場での作業もなさるので、本当にお忙しいんです。ですから、三宅さんから、書類などの催促があったりして、こちらから折り返し連絡をすると、「三宅は現場です」となったりするんです。

 

金子 他の現場の作業に出ながら、頭の中では「府中からリストが来ないよ」、となっているわけです。

 

ーいくら学芸員が忙しくても、美術品輸送のご担当としては、事前にどうしても知っておかねばならないことがあるんですね。

 

森内 そうなんです。輸送・梱包するにあたって重要な、サイズや形状について詳細に教えていただきます。そのほか、箱の有り無しや作品の状態において気をつけるべき点など、こちらが対応すべきポイントについて、事前に情報提供していただくようにしています。

 

ー梱包とおっしゃいましたが、これは包むの困ったなあ、みたいのありますか?

 

藤原大さん(ヤマト運輸/以下、藤原) 包むの困ったなあ、というのは……ああ、飴細工というのがありましたね。

 

ー飴細工!? 飴細工を美術品として運んだ、ということですか?

 

藤原 はい。あるイベントで、飴細工を美術品として運んでほしいといわれたんです。

 

ー大きいものですか?

 

藤原 かなり大きかったですね。そうですねえ、ちょっとしたクリスマスツリーみたいな大きさをイメージしていただければいいかと。

 

ーそれは、確かに包むのも運ぶのも難しそうですね。

 

藤原 一生懸命作ったパティシエさんご本人は、「壊れてもいいから」とおっしゃるんですが、壊しちゃまずいのでがんばりました(笑)。

 

ーそれで、どのように包んだんですか?

 

藤原 クリスマスツリーの土台に当たる部分だけ箱を作って、そこに固定して載せました。あとは、弊社でよく使う紙紐があるんですが、それで危ないと思われるところを全部縛って、輸送しました。

 

ー仏像みたいに。

 

藤原 そうですね。

 

ー飴に紙がくっついちゃいませんか?

 

藤原 飴細工を支えている針金の部分があって、そこをピンポイントで狙って縛るんです。

 

ーなるほど。展示についてお伺いします。この展示は面白かった、というようなものはありますか?

 

藤原 現代アートの展覧会などは、作家さんと一緒に作り上げていくので、まるで文化祭をやっているような、和気あいあいとした雰囲気もあって、とても面白いですね。それと、自分の知らない作品に出会えた時は、面白いと感じます。府中市美術館さんでは、自分が今まで知らなかったかわいらしい作品が出てきたりすることも多くて、展示していて面白いなあと思いますね。

 

ーそれは嬉しいですね。普段から美術はお好きなんですね。

 

藤原 仕事で携わっているので、見る機会は多いです。

 

音 逆に私は、藤原さんからこの展示が面白いよ、と教わることもあるんですよ。実際に、展示をなさった藤原さんがおっしゃるなら間違いないと思って、行くようにしています。

 

ーそれにしても、展示の様子を拝見していますと、作業現場の整理整頓がすごーくお上手です。普段から整理整頓はお得意なんですよね。

 

藤原 それを言われると……。会社のロッカーや自分の棚は、人には見せられない状態のこともあります(笑)。

 

ーなんと! それは、逆にすごいですね。仕事のスイッチが入ると、整理整頓ができちゃうわけですね。

 

藤原 作品がケースに入る前は、余計なものにひっかけて壊してしまったり、ということも考えられるので、そういったリスクをなくすために、整理整頓は非常に重要です。ですから、現場では、整理整頓をするように常に心がけているんです。

ー掛軸を掛けたり、屛風を開いたり、素人としては単純に、「楽しそうだなー」と思いますが、いかがですか?

 

藤原 そうですね、作品を開ける時、「どういうのが出てくるのかな」という楽しみは、やはり、ありますね。

 

ー今回の展示の中で、印象に残った作品はありますか?

 

藤原 正直に申し上げますと、作業の間は仕事に集中してしまうので、美術作品をじっくり「鑑賞する」ということはないんです。

 

ーお仕事中は気が張ってらして、楽しく作品鑑賞、というわけにはいかないものなんですね。

 

藤原 気を引き締めているよう、心掛けています。事故をなくすには緊張感を持っていることが大事ですから。

 

音 輸送・展示をしてくださった皆さんが、開幕後に「展示の時にちゃんと見られなかったから」と、展覧会に来てくださったりすると、すごく嬉しいです。

 

藤原 今回の展示も、後ほど、改めてゆっくり拝見するのを楽しみにしています。

 

掛軸や屛風といった日本美術の作品から、ダミアン・ハーストのような現代美術、さらには飴細工まで!! 実に多様な作品を梱包して、輸送して、展示して、さらに撤収して、ご返却するという、美術品輸送にまつわる一連のお仕事をなさっている方々──それぞれに、お仕事に対する熱い使命感と情熱を持っておられ、とても素敵でした!

 

展示作業中のお忙しい合間を縫って、インタビューに応じてくださった皆さん、どうもありがとうございました!

(図録編集チーム、久保)

「美術品輸送」というお仕事のこと、聞きました!(前編)

展覧会ができるまでのあれこれをお伝えしています、府中市美術館「春の江戸絵画まつり」特設サイト。今回は、「ふつうの系譜」展の作品輸送に携わってくださった、ヤマト運輸の方々に、美術品輸送のお仕事について、色々とお話をうがいました!

▲開幕直前の展示室で、お話を聞かせてくれたヤマト運輸の美術品輸送課の方々。左から森内翔澄さん、藤原大さん、三宅璃咲さん。

 

ー私は図録編集チームの編集者なのですが、「美術品輸送」というお仕事のこと、これまで全然知りませんでした。府中市美術館でのお仕事を拝見していますと、作品を包んで、運んで、展示して……「美術品輸送」という言葉から連想される業務以上に、とても幅広いお仕事なんですね。

 

藤原大さん(ヤマト運輸/以下、藤原) もともとは美術品の輸送業務から始りましたが、美術品は特殊な形状のものも多いので、その輸送にあたっては、作品の安全のために梱包もさせていただくことになりました。それがさらに発展して、輸送・梱包以外にも、作品の展示から撤収まで、展覧会に携わる業務を含めたサービスという形を取らせていただくようになりました。

 

ー藤原さんはこのお仕事に携わって、どれくらいになるのですか?

藤原 この前、25年を超えました。

 

ーヤマトさんのお仕事といえば、一般的には宅急便を思い浮かべる方が多いと思うのですが、藤原さんは、はじめから「美術品輸送」というお仕事があることをご存知で、入社なさったのですか?

 

藤原 僕はアルバイトから入ったのですが、その時の募集で初めて、「美術品輸送」という部門があって、展覧会に関する業務を行なっているということを知りました。当時は、舞台の大道具の仕事をしていたので、展覧会の裏方という仕事に魅力を感じて、応募したんです。

 

ー以来、展覧会の裏方一筋25年、というわけですね。

 

藤原 この仕事の実際がどんなものか、最初はよく知りませんでしたが、やっているうちに美術館・博物館の学芸員の方をはじめ、お客様たちとの繋がりができて楽しくなって、この世界の魅力にハマっていった、という感じですね。

 

ーおふたりは、美術品輸送というお仕事、ご存知でしたか?

 

森内翔澄さん(ヤマト運輸/以下、森内) 私は大学で国際関係を学んでいたので、じつは、通関や国際関係の仕事を志望して入社したんです。けれども、4月1日の辞令の際に出た紙を見たら、「美術品輸送」と書いてあって、驚きました。

 

ー最初から美術品輸送を志望していたわけではなかったんですね。

 

森内 そうなんです。しかも、あとで知ったことですが、美術品輸送はすごく人気のある部署なので、配属後も同期からはどんな面談をしたら、美術品輸送に配属してもらえるのかと聞かれたりして(笑)。そして、楽しく仕事をしているうちに、気付いたら10年が経っていました。

 

金子信久(府中市美術館/以下、金子) 森内さん、外国にもいらっしゃいましたよね?

 

森内 はい、研修生としてオランダに一年いました。その時は美術品輸送部門から離れて、国際宅急便ですとか、引越しとか、そういうお仕事をしていました。

 

ーそして現在、また美術品輸送部門にいらっしゃるのは、改めてご希望を出して、ということですか?

 

森内 はい。美術に戻りたいです、という希望を出して、戻らせていただいたんです。

 

ー三宅さんはどうして、このお仕事に就かれたのですか?

三宅璃さん(ヤマト運輸/以下、三宅) 私は最初から美術品輸送部門に入りたいと希望して、応募したんです。

 

ー学生時代、何か美術に関わるようなことを勉強しておられたのですか?

 

三宅 学芸員の資格の勉強をしていて、できることなら美術に関わる仕事がいいなと思っていたんですが、なかなかなくて。それで、物流業界で何かないかと探していたら、美術品輸送というお仕事があることを知って、志望しました。

 

ー実は、御社では、宅急便よりも前から美術品輸送をやっておられたんですよね。

 

森内 そうなんです。1958年の「インカ帝国文化展」が最初です。

 

ーなんと、60年以上もの歴史ですね。これまでに、様々な美術品を運んでこられたと思いますが、実際に携わられた中で、印象に残っている作品があれば、教えてください。

 

藤原 自分の中でいちばん強烈だったのは、ダミアン・ハーストの作品です。真っ二つになった本物の牛が、ホルマリン漬けにされた作品なんですが、非常に印象に残っています。

 

音ゆみ子(府中市美術館/以下、音) 《母と子、分断されて》という作品ですね。

 

ー大きな作品ですよね、何人ぐらいで運ぶんですか?

 

藤原 ダミアン・ハーストくらいの作家さんになると、運搬専門のスタッフも来日します。それに、我々日本のスタッフと合わせて、全部で8人~10人くらいで作業しました。

 

ー海外の作品も多いと思いますが、向こうの美術品輸送の方との交流、というのもあるんですか?

 

藤原 スタッフが海外から来る場合は、現場でコミュニケーションをとりながら一緒に進めますが、多くの場合は、事前に学芸員の方が海外に調査にいかれますので、我々は、学芸員の方の指示に従って作業をすることになります。

 

ー海外のやり方と日本のやり方、違うなあというようなことはありますか?

 

藤原 僕は海外での展示の経験は少ないのですが、絵画に限って言いますと、海外のすごく大きな作品は特殊な展示の仕方をすることがあるので、日本とはやり方が違うんだな、と思ったことはあります。

 

 

音 海外からクーリエの方がいらっしゃると、皆さんのお仕事にものすごく感動して帰られますよ。すごく丁寧だって。

 

ークーリエとは、海外の輸送担当の方のことですか?

 

音 海外の美術館などから作品をお借りする場合、作品と一緒に所蔵館の方が来日して、日本での展示作業に立ち会うことが多くあります。その方たちのことを、クーリエと言います。

 

ーなるほど。では、そのクーリエさんたちは、どこにそんなに感動なさったんでしょうね?

 

音 全然違うんです! 先日、海外で現地の業者さんの作業を見る機会があって、その時初めて、そうおっしゃったクーリエの方の気持ちがよくわかりました。今回、改めてふつう展でのお仕事を拝見していても思いますが、作品の搬入・搬出ひとつとっても、本当に本当に丁寧です。

 

ーでは、搬入・搬出の際に、どんな点に気をつけておられるのですか?

 

藤原 いろいろありますが、たとえば、段差などで作品に衝撃を与えないことです。エレベーターの乗り降りの際にも、きちんとベニヤ板を敷いて段差を極力なくすなどして、できる限り衝撃を少なくするように気を使つけています。

 

ーそういう点では、美術館・博物館さんなら、搬出・搬入にもある程度の広さもあるので大丈夫そうですが、個人のお宅などでは大変なこともありそうです。

 

藤原 そうですね。たとえば、山の中にあるお寺さんなどで、トラックが入っていけない場合などは、みんなで人力で運んだり、という経験もありますね。

 

ーお寺さんだと、襖絵など大きな作品もあったりするので、さらに大変そうです。

 

藤原 そういったことも含めて、学芸員の方と一緒に事前に作品が展示または保管されている場所に行くことも大切です。そもそも動かすこと自体が、作品にとってはリスクになるので、そのリスクを軽減させる方法はないか、というのを下見の時に考えさせてもらうようにしています。

 

ー下見をなさることは多いんですか?

 

藤原 学芸員の方が調査に行かれた際に撮影した写真で状況判断できることも多いのですが、それだけでは不安だという場合には、同行させていただくようにしています。

 

金子 例えば、2019年の「へそまがり 日本美術」展に麟祥院の襖絵を出品する際、下見に来ていただきました。

 

ー下見して、搬出・搬入口の確認、ということですか?

 

金子 それもありますし、あとは、現場で細かく採寸して、事前にきちんとした運搬用の箱を用意してもらいました。

▲京都の麟祥院さんから作品を搬出するところ。ぴったりサイズの箱に梱包して運んでくれました。2019年開催の「へそまがり日本美術」展にて。

 

たくさんお話を聞かせていただきました。次回に続きます、お楽しみに!

(図録編集チーム、久保)

庚申様の旅(下)

「動物の絵 日本とヨーロッパ」展でご覧いただける庚申様。それは、原在照(はら・ざいしょう)の《三猿図》です。作者は江戸後期の京都の画家で、宮廷の仕事をする地下官人(じげかんじん)でもあり、春日大社の仕事をする春日絵所の絵師でもありました。描き方がきちんとしていて、色づかいも典雅で、一言で言えば、「みやび」を絵に描いたような作品が得意でした。

 

《三猿図》といっても三匹ではなく、一匹だけで「見ざる、言わざる、聞かざる」をしています。後ろ足も動員して、球のように体を丸めていますが、そうするとお尻が丸見えになってしまいます。そこで、もう一本の足、つまり尻尾を使ってカバーです。これと同じような三猿は、円山応挙の作品や当時の工芸品にもあります。最初に誰が考えたのかはわかりませんが、みんなに面白がられていたのでしょう。

 

 

在照は、薄めの墨を使って、体の毛を細かく重ね、リアルに描いています。でも、丸まった猿の大きさは、直径で言えば12センチほど。小さい猿ですが、濃淡も丁寧に施され、ふっくら、かつ、こんもりとして、ぎゅっと丸まった感じがかわいらしいお猿さんです。

 

▲小さな描写ですが、指の柔らかさや爪の先まで、上手に表されています。

 

猿の下には作者の落款があって、安政7年(1860)に描かれたことがわかりますが、この年の干支は庚申です。しかも「初庚申」、すなわち、その年の最初の庚申の日に描いたと書かれています。作者がみやびな世界で活躍したことや、絵の雰囲気から察するに、もしかしたら、宮廷や貴族らが催す庚申待のために描いたのでしょうか。

 

▲「安政七庚申年初庚申日写之 春日画所正六位上近江介平朝臣在照」と書かれ、「原在照印」と「字子写」というハンコが押されています。

 

さて、ご覧のとおり、この作品は掛軸に仕立てられていますが、よく見ると普通のそれとは違います。普通は、画家が完成させた絵に、表具師がさまざまな裂を取り合わせて、一幅の掛軸に仕立てます。つまり、絵が描かれた絹と表具は別々のものです。ところがこの作品は、絵の部分だけでなく、周りの表具も、すべてが一枚の絹に描かれているのです。

 

絵の周りの「中廻し」と呼ばれる所だけでなく、絵の上下にある細い「一文字」も、また、上と下の淡い茶色の「天」「地」も、更には、上から下がる「風帯」と呼ばれる二本の帯も、すべて一枚の絹に描かれています。

 

▲下の両端の赤い軸端をのぞいたすべてが、一枚のつながった絹に描かれています。

▲絵の左下の拡大写真。右上の黄色く見えるのが絵の部分。絹目を見ると、それ以外も一枚の絹に描かれていることがわかります。

▲(参考)これは普通の表具の場合です。右上の茶色っぽいところが絵で、その下と左は表具裂です。別々のものを組み合わせて作られているのがわかります。

 

こうしたやり方は、「描表具(かきひょうぐ)」「描表装(かきびょうそう)」などと呼ばれています。まるで西洋のだまし絵のようにも思えますが、日本では古くから仏画などにも見られる手法です。「この絵にどんな表具をつけようか?」と思案するのは、絵を手に入れた人が掛軸を仕立てる時の楽しみですが、絵を描く画家が「こういう掛軸にしたい」という強いイメージを持っている場合もあるでしょう。一つの想像にすぎませんが、イメージに合う表具裂がなければ、表具の部分も描いてしまおうと考えるかもしれません。

 

そうして描かれた「描表具」の、何とかわいらしいことでしょう。渋めに抑えた緑色で地を塗って、その上に、ピンクや白の絵の具で、現代風に言えばパステルカラーで、こまごまと、なにやらかわいらしい物を描いています。それに、明るい茶色と墨のグラデーションが表された天と地、真っ白な所にくっきりと輪繋(わつなぎ)の文様が描かれた一文字と風帯。すべてがこんなにも柔らかく、かわいらしい掛軸は、普通の作り方では、なかなかできそうにありません。

 

 

この描表具を見た何人かの人が、「なんとなく美味しそう」と口にしました。それもそのはずで、ピンクや白や緑で描かれた色々な物は、実は、庚申様にお供えする「七色菓子」なのです。下のリンク先は、明治時代の画家、川崎巨泉が描いた七色菓子の図です。

http://e-library2.gprime.jp/lib_pref_osaka/da/detail?tilcod=0000000019-00021595

 

府中駅から始まる庚申様の旅は、いかがでしたか? 前編でご覧いただいた、けやき並木の庚申塔が建てられたのは天保7年(1836)、「新宿庚申塔」は嘉永5年(1852)。そして、在照が《三猿図》を描いたのは、安政7年(1860)のこと。風雨に耐えながらも摩耗してきた石塔と、きのう描いたかのように綺麗な在照の絵のありさまは激しく違いますが、どちらも同じ時代の一つの信仰から生まれたかたちなのです。

 

(府中市美術館学芸員、金子)

 

 

春日大社へ行って鹿をひたすら見つめただけの話

動物展、後期展示の見どころのひとつ、『春日鹿曼荼羅図』(展示は11月14日まで)と、『鹿図屏風』。

▲重要文化財『春日鹿曼荼羅図』
▲『鹿図屏風』

 

展示室でモローの『一角獣』から振り返って、この2点が並ぶ様は、まさに「ファンタスティック」! 『春日鹿曼荼羅図』が描いた、得も言われぬ空気感がもたらす神秘さ。『鹿図屏風』の大きさと金箔の輝きで迫り来る鹿たちの躍動感。その神々しさ、美しさに思わず息を呑みます。

 

神の使いとされ、神々しさをもって描かれた鹿。ご存じのように、奈良公園一体には今なお棲み続けています。

 

ということで、今回は図録制作にあたり『鹿図屏風』の作品撮影のため訪れた春日大社で、ただひたすら鹿にまみれて、その「神秘」を体感してきたというレポートをお届けします。

 

JR奈良駅から春日大社のある奈良公園をめざしていると、さっそく。

 

▲商家をのぞきこむ鹿
▲何かを待っているのでしょうか

 

奈良公園とその周辺一帯に生息する「奈良のシカ」は現在1200頭弱。奈良公園は街と一体化した都市公園ですから、鹿さんたち普通に路上をフラフラしています。街の風景に鹿が溶け込んでいます。

いよいよ公園に入っていきます。

神様の使いとして、1000年以上も大切にされてきた鹿。本来とても臆病ですが、その歴史からか、まったく人を恐れる様子はありません。ヨーロッパでは人と動物の境界が宗教でしたが、日本ではその宗教観ゆえに、野生動物とこんな距離感で共生してきた、その不思議にあらためて思いを馳せます。

それにしても、いくら眺めていても飽きません。

ベンチで休んでいても、気がつけば横に佇んでいます。

▲か、かわいい

 

訪れたのは8月の暑い盛り。この日も猛暑日でしたから、水浴びするコたちが気持ちよさそうです。

そして、一心不乱に水草を食べるコ。鹿は基本草食で、主食はノシバとのことですが、こんなものも食べるのですね。

▲おいしいのでしょうか?

もちろん、春日大社の参道にもたくさんいます。

▲つよそうなコに会いました
▲鹿の角は毎年生え替わるそうです

 

売店前に陣取るのは「鹿せんべい」待ちでしょうか。

そして、やっぱり鹿せんべい、あげてみたいですよね。でもこれが、なかなかの恐怖体験。あちらこちらで、子どもや女性の叫び声が!

鹿せんべいを手にするやいなや、群れで突撃してきます。そして、あっという間に吸い込んでいきます。もぐもぐ食べる優雅な様子を想像していましたが、本当に吸い込むんです。一瞬です。

なくなったら即解散。この間1分もありません。

そんな散策を続けるなか、参道脇でこの日もっとも神々しい光景にめぐりあいました。

授乳中の親子です。授乳中の母鹿は攻撃的になるため不用意に近づいてはいけないとのことで、望遠レンズで捉えています。

▲この脚の角度!

こうした生命の営みをこの距離感で見つめていて、その姿に奇跡というか、神を感じる。それが絵画に描かれる……そんな「まなざし」について考える散策でした。

『春日鹿曼荼羅』の展示は今週末の14日(日)まで。『鹿図屏風』は会期末まで展示されます。どうか動物展で「奇跡」に触れてください。

 

(図録制作チーム、藤枝)

家光の動物画、どこがいいの?③

ー家光の作品、絵そのものだけでなく、表具もすごく気になります。

金子 そうですよね。葵の御紋入りの裂を使った表具が多いので、ついついそこに目がいってしまいますよね。

▲徳川家光《竹に小禽図》個人蔵/いろんな種類の葵の御紋の裂が用いられています。

 

ー表具は家光自らが選んだものではないんですよね?

金子 確かなことはわかっていませんが、おそらく、今に伝わる家光作品には、表具のついていない「まくり」の状態で大名に下賜されたものが多いでしょう。

 

ーそれで、もらった方が掛軸にする。

金子 例えば、大正9年(1916)刊行の図録に掲載されている木兎の絵があるのですが(注:本展出品作ではありません)、その裏書きには、家光からその絵を拝領した館林藩主・老中の松平乗寿(のりなが)がたいそう喜び、早速、表装して「幕下」、つまり将軍に仕える者たちに見せることにした、というようなことが書かれています。

 

ーなるほど、下賜された側が表装していますね。葵御紋入りの表具が多いのは、そういう決まりだったのですか?

金子 どうなんでしょうね。その辺りのことは全く研究がされていないので、わからないことだらけです。どこで作られていたのか、どんなところで表装したのか……。それにしても、こうして見てみると、表具のデザインパターンもいろいろですよね。中廻し全体に葵の御紋がびっしり入った《鳳凰図》から、上下だけに葵も御紋の入った《鶏図》まで。家綱の《枯木うそ図》のようにとびきり大きな葵の御紋入りもある。

▲徳川家光《鳳凰図》德川記念財団蔵/絵のぐるりを葵の御紋が囲みます。

 

 

▲徳川家綱《枯木うそ鳥図》個人蔵/特大の葵の御紋入り。

 

ーすごい圧ですよね。現代人の私ですらそうなのですから、江戸時代の人がこれを見たら……と想像すると面白いですね。

金子 葵御紋入りの裂なんて、当然のことながら勝手に織ることはできなかったはずなので、幕府が何らかの許可を与えたりしていたのだと思いますが、実態はわかっていません。

 

ーわからないといえば、そもそも、家光の作品にはサインのようなもの、ありませんよね。どうしてそれで家光の作品だとわかるのですか?

金子 はい、ありません。例えば、今回出品されている《枯木梟図》は徳川家ゆかりの久能山東照宮の宝物ですが、かつては幕臣の家で大切にされ、明治時代に奉納されたものです。また、今回出品されている作品の中にも、今なお大名家のご子孫が家宝とされているものがあります。そうしたしっかりした伝来を持つ作品を比べていけば、たとえサインがあるものが一つもなくても、これが家光の描き方だろう、という特徴がおおよそ見えてきます。また、先にお話ししたように、作品の中には、沢庵宗彭が賛を着けたものがいくつかありますが、それが間違いなく沢庵の書であれば、絵も家光のものと判断できるでしょう。

▲徳川家光《枯木梟図》久能山東照宮博物館蔵

 

ーつまり、もしかして全ての作品が「伝・家光」ということですか?

金子 それは極論かもしれませんが、考え方によってはそうかもしれません。ただ、サインの代わりといってはなんですが、「伝来」という、きわめて大事な判断材料があるわけです。また、表具や用紙など、色々なものから考えることができます。もし現代人が、単にサインがないというだけで「伝・家光」と処理をしてしまったら、どうなるでしょうか? 作品の一つ一つは、長い間、「家光自ら描いた大切な絵」という歴史をまとっているわけですが、作品一つ一つからそれを剥ぎ取ってしまうようなものでしょう。また、家光の描き手としての姿は、未来永劫、謎に包まれたままということになりかねません。

 

ー表具は、真筆かどうかの判断材料にもなるわけですね。

金子 プロっぽくない、一見拙いような絵に立派な表具が付いていれば、それなりに高い地位にあった人物が描いた絵かもしれない、と思います。そこに葵の御紋が入っていれば、徳川ゆかりの人物であった可能性が高くなるというわけです。そこに、伝来や描き方の共通点などを見つつ、判断しています。

▲徳川家光《竹に雀図》個人蔵/昨年、テレビ信州の情報番組で「発見」された作品。金子学芸員が長野まで足を運んで実見して、家光の真筆であることを確認しました。*前期展示(10/24まで)のため、現在は展示されていません。

 

ーところで、家光の絵、2019年に府中市美術館で開催された「へそまがり日本美術 禅画からヘタウマまで」で初めて知りましたが、それ以前の評価はどうだったのでしょうか。

金子 へそ展で初めて家光の絵を見て、その世界に魅了された方はたくさんいらしたようです。今回の動物展で初めてご覧になった方も多いようで、展覧会企画者としては、嬉しい声が届いています。へそ展以前、将軍や大名が描いた絵は、歴史分野の展覧会ではよく取り上げられるものの、美術としての注目度は今ひとつでした。でも、実は、かつてはちゃんと注目されていたんです。

 

ー江戸時代ですね。

金子 そうです。江戸時代の終わりの画人伝『古画備考』には、木兎の絵の略図入りで家光が紹介されていますし、明治21年(1888)の『扶桑画人伝』では、家光と家綱が「奇画」と評されています。二人の他に「奇画」とされたのは、曽我蕭白、岩佐又兵衛ら4人だけです。いかに、家光と家綱が画家として評価されていたかがわかるでしょう。

 

ー家光の絵は、あの将軍・家光が描いたと思うから、面白いんでしょうか?

金子 「純粋に美術的に見たとき、家光の絵はどうなのか?」という質問をよく受けます。「純粋に」というのはつまり、これが家光という将軍が描いたものでないとして、という意味だと思いますが、これらの絵が家光の手によるものだと知ってしまっている私たちは、もはや「純粋に美術的に」見ることはできず、作品を家光と切り離すことはできません。けれども、展覧会にいらっしゃるお客様たちの反応を見ていると、家光の絵には他の絵にはない魅力があるようです。そこにはもちろん、将軍という地位にあった人が、ヘタウマとも言えるような絵を描いたというギャップの面白さもあると思いますが、それだけではないようです。家光の絵に、心の底からかわらしさや得体の知れない怪しさを感じているのです。

 

ー確かに、家光の絵には、とにかく特別な魅力がありますよね。

金子 これだけ自由なアートの表現がある現代にあっても、やはり現代のアートは現代のアートとしての雰囲気を持っています。家光の絵からは、どんな作家にもない飛び抜けたものが感じられるようです。「ありのままでよいのだ」という泰然とした空気を、多くの人が感じ取っているのだと思います。まったく与り知らない世界から突如私たちの目の前に現れて、激しく心を揺さぶるもの、それが家光の絵の魅力かもしれませんね。

▲徳川家光《木兎図》個人蔵/「奇画」という言葉がしっくりする、風変わりな表情です。

 

ー金子先生も家光の絵が好きですか?

金子 はい、大好きです。本当にいいですよね、家光の絵。何より、私にとっては、「美術とは何か」という根本的な問題を考えるきっかけになりました。

(図録編集チーム、久保)

家光をめぐる散策その2ー久能山編

みんな大好き、家光作品の魅力は語り尽くせませんが、その一つは「眼」だと思っています。押しも押されもせぬ代表作となった兎も、本当にたくさん描いた木兎も、すべてその「眼」の描かれ方に「やられた」人は多いのではないでしょうか?

 

なかでも私がいちばん惹かれたのが、久能山東照宮博物館蔵の「枯木梟図」。

兎や木兎と違って、「耳」がないだけで、「見つめられてる」感がぐっとアップして、ちょっと不思議な感情を抱いてしまうのです。

 

その久能山東照宮所蔵の「ふくろう」が、動物展の後期展示で府中市美術館へやってきました。作品は府中でじっくりご鑑賞いただくとして、今回はこの「ふくろう」をめぐる散策レポートです。

 

久能山東照宮といえば、徳川家康がその遺言によって葬られ、息子・秀忠、孫・家光が整備した、家光ゆかりの地の中でも最重要スポットのひとつ。参道の「1159段の石段」はあまりにも有名で、いつかは訪れてみたいと思っていたのですが、そんな話を金子学芸員としていたところ、

 

「久能山は、8月に行くべきです」

 

とのこと。

 

その理由については深く掘り下げなかったのですが、それでは、8月中になんとしても行かなくては、と、取り損ねていた夏休みを取得して行ってみたところ、散策どころか修行のような事態になりました、というレポートです。

▲この「まなざし」の虜になってしまったばかりに……

 

 

久能山へは徒歩で「1159段の石段」を登るルートと、ロープウェイの2つのルートがあり、「枯木梟図」はロープウェイで府中にやってきました。私は徒歩で登ってみます。

 

静岡駅からバスを乗り継ぐこと約50分、久能山下バス停に降り立ちます。

▲バス停から参道をめざして歩くと、すぐにお山の姿が。石段も見えます。久能山といえば、石垣いちごですね

 

▲一ノ鳥居に辿り着きました。さあ、いよいよ1159段の始まりです

 

麓からは、ややなだらかに石段が続きますが、進んでも進んでも石段です。

▲進んでも

 

▲進んでも

 

▲進んでも

 

眺めが変わりません。

 

当日の気温は31.8℃。曇り空のため猛暑というほどではありませんでしたが、湿気がまとわりつくような、じっとりした暑さで早くもバテてきました。

 

200段ほど登ったあたりからでしょうか、駿河湾が眺められるようになり、景色に変化が。

 

▲木々の間から海が!

 

それでも、まだ石段は続きます。カメラ機材を少し減らしてくればよかったと後悔するなどしながら、さらに上を目指します。

 

▲上を見上げると、石段は続くよどこまでも……

 

 

▲お詣りを済ませ、参道を下っていく母娘とすれ違いましたが、その姿が、輝いて見えました

 

▲600段、だいたい半分ですね

 

 

この辺りで完全に息が上がってしまいました。さすが武田信玄公が要害と目をつけ城砦を築いた山。一筋縄ではいきません。

 

▲眺めはどんどんよくなりますが、あまり見ている余裕もなく……

 

▲一ノ門に到着。あと一息です!

 

▲ついに楼門。重要文化財です

 

▲扁額は後水尾天皇筆

 

▲これも重要文化財の神厩。左甚五郎作と伝わる神馬の像が納められています

 

▲鼓楼。重要文化財

 

▲そして、権現造りの国宝、御社殿。二代将軍秀忠、つまり家光のお父さんの命によって造営された、最古の東照宮建築です

 

本殿の裏手に、徳川家にとってとても大切な場所があります。

 

▲神廟。徳川家康埋葬の地です。創建当初は木造でしたが、寛永17年(1640)に徳川家光が石造の宝塔に造り替えました

 

家光が祖父のために拵えた宝塔。これもまた家光の感性が生み出したものであり、久能山が家光にとって特別な場所の一つである証なのです。

 

久能山東照宮博物館には歴代将軍の武器・武具のほか、「動物展」にも作品が出品されている、谷文晁、狩野養信の作品なども展示されていました。

 

▲久能山東照宮博物館

 

暑さの中の、修行のような「1159段」の先は、見どころだらけで、疲れも吹き飛びました。そんな久能山からやってきた「枯木梟図」。ぜひ、後期展示でお楽し

みください。

おまけ。

▲静岡に戻って、家康が築いた駿府城も散策。天守台発掘調査の様子が公開されています。おすすめです。

 

(図録制作チーム、藤枝)

 

 

 

家光の動物画、どこがいいの?②

ー家光には「天然」で良いのだ、という確信があったとのことですが、その確信はどこからきたのでしょうか?

金子 もちろん、将軍という地位にあったことはその背景にあるでしょう。将軍たるもの、狩野派のようなお決まりの描き方ではなく、自分だけの表現でもよいと考えたとしても不思議ではありません。

 

▲徳川家光「竹に雀図」(部分)。昨年、長野県で新発見された作品。ヘルメットみたいな髪型とか、胸からピョロっと出た謎の描線とか、確かに、家光だけの表現です。前期(10/24まで)展示

 

ー確かに。狩野派風に描いたら、狩野派を越えることはできませんものね。

金子 そうなんです。逆に、唯一無二の表現をすれば、その絵そのものが、全てを超えた存在としての将軍という存在を物語っていることになるのです。そんな想像も浮かびますが、家光がこんな風に独自の絵を描いた背景としては、もうひとつ、禅の思想があると私は考えています。

 

ー禅ですか? 

金子 「木兎図」のように、家光の絵には沢庵宗彭(たくあん・そうほう)が賛を付けたものが何点かあります。漬物のたくあんで知られる沢庵和尚は、大徳寺の住持を務めた高名な禅僧ですが、家光はこの沢庵に熱心に帰依していたのです。

▲徳川家光「木兎図」。賛は沢庵宗彭で、家光の描いた木兎の「奇怪」さを詠う内容。後期(10/26〜11/28まで)展示

 

ー禅と絵画といえば、仙厓さんが思い浮かびますが…… 

金子 仙厓の絵も、他とは全く違う、突拍子もない描き方ばかりです。禅という別世界への案内役となるべき禅画には、常識を越えることを「描き方」によって示すことが求められるのです。

 

ー「描き方」によってですか?

金子 もちろん、描き方だけでなく、主題も重要です。例えば、家光は木兎や梟を好んで描きましたが、両者ともに古くから姿が奇妙で、奇っ怪とされた鳥でした。嫌われ者の鳥をあえて描く「へそまがり」の感性は、常識を疑う禅の精神に通じているのです。家光は、そんな非常識な題材を、上手い下手という価値基準を飛び越えた、自由な描き方で表したのです。立派な禅画と言ってもいいのではないでしょうか?

 

▲徳川家光「古木に木兎図」(部分)。同じ木兎が主題でも、全く同じ絵を描かないところが家光らしい。前期(10/24まで)展示

▲徳川家光「木兎図」(部分)。「奇っ怪な鳥とされた木兎を、あえてこんなに可愛らしく描く、というのもまた、常識では考えられない描き方です」と金子学芸員。なるほど、そう考えると、この可愛さも奥深いですね

 

家光の絵についてのお話、まだまだ続きます。次回は、ありがたき葵御紋の表具についても伺いたいと思います。お楽しみに!

(図録編集チーム、久保)

 

家光の動物画、どこがいいの?①

徳川家光の描いた動物画が人気です。さりげなくTwitterで紹介するだけで、「いいね」をしてくださる方が大勢いらっしゃいますし、「家光の絵が今回の展示作品の中で一番好き」という方も、少なくありません。私ももちろん大好きです、家光の動物画。家光の絵のどこがそれほどまでに、私たちの心に響くのでしょうか? その理由を、本展の企画者の一人である府中市美術館の金子学芸員に聞いてみました。

▲徳川家光の絵が並ぶ「家光の部屋」

 

ー家光の動物画、すごい人気ですね。私も好きですが、どこがいいのかと尋ねられると、うまく説明できなくて困ってしまいます。

金子信久(以下、金子) そうですよね。どの系列にも属さない絵ですから、説明が難しいのかもしれません。以前、BS日テレの「ぶらぶら美術・博物館」の収録の際に、山田五郎さんが「ルソークラスの画家」という表現をなさっていましたが、確かに、家光の絵にはルソーに通じるところがあるように思います。

▲徳川家光「木兎図」(部分)下関市立歴史博物館寄託 前期(10/24まで)展示

 

ー下手だということですか?

金子 意図していなことの強さ、と言ったらいいかもしれません。例えば、ルソーの絵は面白いけれど、ルソーのマネをした数多の作品のほとんどは、面白くないですよね。家光の絵は、見れば分かるように、非常に丁寧に、一生懸命に描かれています。おそらく本人も自分が普通の意味で「上手い」とは思っていなかったはずですが、本人の評価や意図はさておき、私たちが今見ると、まるでヘタウマの絵のようで、そこが面白いと映るのではないでしょうか。

▲徳川家光「兎図」(部分)前期(10/24まで)展示

 

ーでは、家光は何を意図していたのでしょうか?

金子 意図は色々あると思いますが、まず第一に「リアリズム」でしょう。作品からは、非常に細やかに動物の姿を再現しようとする意図がはっきり見て取れます。例えば「兎図」ならば、毛のもふもふ感にこだわって、紙を筆で撫でるような描き方をしています。また、耳の輪郭を破線で表していることも重要です。本物のウサギの耳には輪郭がないので、形をはっきりさせることと、本物のように描くことの間をとって、このような表現になったのだと思います。

▲耳と尻尾の輪郭は破線。

 

ー確かに、とてもリアルです。それでも、家光は自分で「上手い」と思っていなかった?

金子 家光は将軍です。そばには、狩野探幽、安信、尚信らの御用絵師がいて、彼らを呼んでは絵を鑑賞したりしていたことが記録でわかっています。日頃から一流の書画に親しんできたので、どんな絵がいわゆる「上手い」絵なのか、ということはもちろんわかっていたでしょう。

 

ー確かに、上手い系の絵もありますよね。

金子 そうです。今回の出品作では「竹に小禽図」などは狩野派風の描き方です。お手本通りに描こうと思えばできたんです。それでも家光は、あえて、見慣れた絵画とは違う描き方をしたのだと考えています。今風の言葉で言えば「天然」で良いのだという確信があったのだと思います。

▲徳川家光「竹に小禽図」(部分)後期(10/26から)展示

 

家光の絵の魅力について、お話しはまだまだ続きます。次回をお楽しみに!

(図録編集チーム、久保)

家光の木兎図のこと②ー修復して生まれ変わりましたー

へそ展で、この家光の「木兎図」をご覧になった方は、お気づきかもしれませんが、この作品、実は、当初はかなり傷んでいたのです。

▲本紙には強い折れが入り、表具の軸部分には破れも。

 

 

傷みが進んでいるのには、訳があります。御住職によれば、第二次世界大戦で千駄木一帯が空襲に見舞われる中、当時の御住職は、寺の伝来品をできるだけ守ろうと、かさばる箱から掛軸を取り出して長持ちに詰め込み、避難させたのだそうです。

 

その時の御住職の孫にあたるのが、現在の御住職。蔵に眠っていた伝来品を、専門家の手を借りて整理しつつ、後世に伝えようと尽力しています。そして、この度、家光の「木兎図」が修復に出されることになったのです。

 

修復を任されたのは、伊豆に工房を構える「春鳳堂」。正倉院御物や東大寺宝物の修復も手掛ける老舗です。

▲「春鳳堂」初代の師岡恒夫さん。今回は特別に修復の現場を見せていただきました。

 

この日行われたのは、主に本紙の汚れを落とす「洗い」と新しくする裂地を選ぶ作業です。その様子を、写真とともに、ざっくり紹介させていただきます。

 

▲裏側に向けられた「木兎図」。

 

▲絵柄の描かれた部分を、古い表具裂から切り離していきます。真剣なまなざしでこの工程に取り組むのは、二代目の恒平さん。

 

 

▲今度は掛軸を表側に向けて、作業を続けます。恒平さんが手にしているのは、畳用の針。

 

▲丁寧に本紙を持ち上げる恒平さん。

 

 

▲絵柄のある部分から古い表具裂が外されました。

 

 

▲新しい表装のために、裂地を選んでいきます。

 

 

▲工房には、たくさんの裂地が。どれもいかにも高級そうです。

 

 

 

    

▲「格のある作品には、格のある裂をつけないと」と話す師岡さん。色々な組み合わせをご提案くださり、その中から養源寺の御住職が選びます。

 

 

▲裂地が決まったら、今度は「洗い」の工程です。きれいな水で本紙の汚れを落としていきます。

 

▲掛軸は何層かのレイヤー構造になっています。本紙の裏には、「総裏」「増裏」「肌裏」などのと裏打ち紙が施されているので、水に浸して、それらの裏打ち紙を剥がしていきます。

 

 

 

 

▲「折れ伏せ」と呼ばれる、小さく細長い紙を剥がしていきます。折れ伏せとは、本紙の折れや亀裂の部分に、折れの予防や補強のために裏面から貼る紙のこと。この写真では、白い横線のように見えるのが、折れ伏せです。この作品も、いつの時代かに、修復が行われていたのですね。

 

▲本紙に接する裏打ち紙「肌裏」を上げます。

 

 

▲本紙だけになった「木兎図」。洗いも終えて、見違えました!

 

この日、見せていただいたのはここまでです。古書画を洗うところなど目の当たりにしたのは初めてでしたが、水に浸けても、絵柄の墨は全く滲まないんです!(当たり前かもしれませんが、とにかくびっくり!)しかも、小麦を主原料とする古糊は紙時間の経過とともに、接着力が弱まるそうで、裏打ちの紙も簡単に剥がせる。だから、掛軸は何度でも生まれ変わることができるんですね。先人の知恵、本当にすごいです。

 

そして後日、完成した掛軸を見せていただき、養源寺に行ってきました!

 

表具が新しくなってどうなるのか、師岡さんが裂地を並べてくださっていた時は、きちんと想像できていなかったのですが、こうして仕上がりを見てみると、本当に素晴らしい。心なしか、木兎も喜んでいるように見えるから不思議です。

そして、洗いを終えた「木兎図」では、筆づかいもよりはっきりと見え、家光がいかに丁寧にこの絵を描いたかがよくわかります。私の感覚では、修復前の100倍くらいかわいくなりました。

生まれ変わった「木兎図」、ぜひ、展覧会場にてご覧ください。

(図録制作チーム、久保)

 

 

 

 

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