「ふつう展」日記

ひとつの展覧会の裏側には、展覧会を訪れただけでは見えない、さまざまなプロセスと試行錯誤があります。「ふつう展」日記は、「ふつうの系譜 「奇想」があるなら「ふつう」もあります 京の絵画と敦賀コレクション」展、略して「ふつう展」に関わるスタッフが、折々に皆さんにお伝えしたいことを発信するブログです。


家光の動物画、どこがいいの?③

ー家光の作品、絵そのものだけでなく、表具もすごく気になります。

金子 そうですよね。葵の御紋入りの裂を使った表具が多いので、ついついそこに目がいってしまいますよね。

▲徳川家光《竹に小禽図》個人蔵/いろんな種類の葵の御紋の裂が用いられています。

 

ー表具は家光自らが選んだものではないんですよね?

金子 確かなことはわかっていませんが、おそらく、今に伝わる家光作品には、表具のついていない「まくり」の状態で大名に下賜されたものが多いでしょう。

 

ーそれで、もらった方が掛軸にする。

金子 例えば、大正9年(1916)刊行の図録に掲載されている木兎の絵があるのですが(注:本展出品作ではありません)、その裏書きには、家光からその絵を拝領した館林藩主・老中の松平乗寿(のりなが)がたいそう喜び、早速、表装して「幕下」、つまり将軍に仕える者たちに見せることにした、というようなことが書かれています。

 

ーなるほど、下賜された側が表装していますね。葵御紋入りの表具が多いのは、そういう決まりだったのですか?

金子 どうなんでしょうね。その辺りのことは全く研究がされていないので、わからないことだらけです。どこで作られていたのか、どんなところで表装したのか……。それにしても、こうして見てみると、表具のデザインパターンもいろいろですよね。中廻し全体に葵の御紋がびっしり入った《鳳凰図》から、上下だけに葵も御紋の入った《鶏図》まで。家綱の《枯木うそ図》のようにとびきり大きな葵の御紋入りもある。

▲徳川家光《鳳凰図》德川記念財団蔵/絵のぐるりを葵の御紋が囲みます。

 

 

▲徳川家綱《枯木うそ鳥図》個人蔵/特大の葵の御紋入り。

 

ーすごい圧ですよね。現代人の私ですらそうなのですから、江戸時代の人がこれを見たら……と想像すると面白いですね。

金子 葵御紋入りの裂なんて、当然のことながら勝手に織ることはできなかったはずなので、幕府が何らかの許可を与えたりしていたのだと思いますが、実態はわかっていません。

 

ーわからないといえば、そもそも、家光の作品にはサインのようなもの、ありませんよね。どうしてそれで家光の作品だとわかるのですか?

金子 はい、ありません。例えば、今回出品されている《枯木梟図》は徳川家ゆかりの久能山東照宮の宝物ですが、かつては幕臣の家で大切にされ、明治時代に奉納されたものです。また、今回出品されている作品の中にも、今なお大名家のご子孫が家宝とされているものがあります。そうしたしっかりした伝来を持つ作品を比べていけば、たとえサインがあるものが一つもなくても、これが家光の描き方だろう、という特徴がおおよそ見えてきます。また、先にお話ししたように、作品の中には、沢庵宗彭が賛を着けたものがいくつかありますが、それが間違いなく沢庵の書であれば、絵も家光のものと判断できるでしょう。

▲徳川家光《枯木梟図》久能山東照宮博物館蔵

 

ーつまり、もしかして全ての作品が「伝・家光」ということですか?

金子 それは極論かもしれませんが、考え方によってはそうかもしれません。ただ、サインの代わりといってはなんですが、「伝来」という、きわめて大事な判断材料があるわけです。また、表具や用紙など、色々なものから考えることができます。もし現代人が、単にサインがないというだけで「伝・家光」と処理をしてしまったら、どうなるでしょうか? 作品の一つ一つは、長い間、「家光自ら描いた大切な絵」という歴史をまとっているわけですが、作品一つ一つからそれを剥ぎ取ってしまうようなものでしょう。また、家光の描き手としての姿は、未来永劫、謎に包まれたままということになりかねません。

 

ー表具は、真筆かどうかの判断材料にもなるわけですね。

金子 プロっぽくない、一見拙いような絵に立派な表具が付いていれば、それなりに高い地位にあった人物が描いた絵かもしれない、と思います。そこに葵の御紋が入っていれば、徳川ゆかりの人物であった可能性が高くなるというわけです。そこに、伝来や描き方の共通点などを見つつ、判断しています。

▲徳川家光《竹に雀図》個人蔵/昨年、テレビ信州の情報番組で「発見」された作品。金子学芸員が長野まで足を運んで実見して、家光の真筆であることを確認しました。*前期展示(10/24まで)のため、現在は展示されていません。

 

ーところで、家光の絵、2019年に府中市美術館で開催された「へそまがり日本美術 禅画からヘタウマまで」で初めて知りましたが、それ以前の評価はどうだったのでしょうか。

金子 へそ展で初めて家光の絵を見て、その世界に魅了された方はたくさんいらしたようです。今回の動物展で初めてご覧になった方も多いようで、展覧会企画者としては、嬉しい声が届いています。へそ展以前、将軍や大名が描いた絵は、歴史分野の展覧会ではよく取り上げられるものの、美術としての注目度は今ひとつでした。でも、実は、かつてはちゃんと注目されていたんです。

 

ー江戸時代ですね。

金子 そうです。江戸時代の終わりの画人伝『古画備考』には、木兎の絵の略図入りで家光が紹介されていますし、明治21年(1888)の『扶桑画人伝』では、家光と家綱が「奇画」と評されています。二人の他に「奇画」とされたのは、曽我蕭白、岩佐又兵衛ら4人だけです。いかに、家光と家綱が画家として評価されていたかがわかるでしょう。

 

ー家光の絵は、あの将軍・家光が描いたと思うから、面白いんでしょうか?

金子 「純粋に美術的に見たとき、家光の絵はどうなのか?」という質問をよく受けます。「純粋に」というのはつまり、これが家光という将軍が描いたものでないとして、という意味だと思いますが、これらの絵が家光の手によるものだと知ってしまっている私たちは、もはや「純粋に美術的に」見ることはできず、作品を家光と切り離すことはできません。けれども、展覧会にいらっしゃるお客様たちの反応を見ていると、家光の絵には他の絵にはない魅力があるようです。そこにはもちろん、将軍という地位にあった人が、ヘタウマとも言えるような絵を描いたというギャップの面白さもあると思いますが、それだけではないようです。家光の絵に、心の底からかわらしさや得体の知れない怪しさを感じているのです。

 

ー確かに、家光の絵には、とにかく特別な魅力がありますよね。

金子 これだけ自由なアートの表現がある現代にあっても、やはり現代のアートは現代のアートとしての雰囲気を持っています。家光の絵からは、どんな作家にもない飛び抜けたものが感じられるようです。「ありのままでよいのだ」という泰然とした空気を、多くの人が感じ取っているのだと思います。まったく与り知らない世界から突如私たちの目の前に現れて、激しく心を揺さぶるもの、それが家光の絵の魅力かもしれませんね。

▲徳川家光《木兎図》個人蔵/「奇画」という言葉がしっくりする、風変わりな表情です。

 

ー金子先生も家光の絵が好きですか?

金子 はい、大好きです。本当にいいですよね、家光の絵。何より、私にとっては、「美術とは何か」という根本的な問題を考えるきっかけになりました。

(図録編集チーム、久保)

家光をめぐる散策その2ー久能山編

みんな大好き、家光作品の魅力は語り尽くせませんが、その一つは「眼」だと思っています。押しも押されもせぬ代表作となった兎も、本当にたくさん描いた木兎も、すべてその「眼」の描かれ方に「やられた」人は多いのではないでしょうか?

 

なかでも私がいちばん惹かれたのが、久能山東照宮博物館蔵の「枯木梟図」。

兎や木兎と違って、「耳」がないだけで、「見つめられてる」感がぐっとアップして、ちょっと不思議な感情を抱いてしまうのです。

 

その久能山東照宮所蔵の「ふくろう」が、動物展の後期展示で府中市美術館へやってきました。作品は府中でじっくりご鑑賞いただくとして、今回はこの「ふくろう」をめぐる散策レポートです。

 

久能山東照宮といえば、徳川家康がその遺言によって葬られ、息子・秀忠、孫・家光が整備した、家光ゆかりの地の中でも最重要スポットのひとつ。参道の「1159段の石段」はあまりにも有名で、いつかは訪れてみたいと思っていたのですが、そんな話を金子学芸員としていたところ、

 

「久能山は、8月に行くべきです」

 

とのこと。

 

その理由については深く掘り下げなかったのですが、それでは、8月中になんとしても行かなくては、と、取り損ねていた夏休みを取得して行ってみたところ、散策どころか修行のような事態になりました、というレポートです。

▲この「まなざし」の虜になってしまったばかりに……

 

 

久能山へは徒歩で「1159段の石段」を登るルートと、ロープウェイの2つのルートがあり、「枯木梟図」はロープウェイで府中にやってきました。私は徒歩で登ってみます。

 

静岡駅からバスを乗り継ぐこと約50分、久能山下バス停に降り立ちます。

▲バス停から参道をめざして歩くと、すぐにお山の姿が。石段も見えます。久能山といえば、石垣いちごですね

 

▲一ノ鳥居に辿り着きました。さあ、いよいよ1159段の始まりです

 

麓からは、ややなだらかに石段が続きますが、進んでも進んでも石段です。

▲進んでも

 

▲進んでも

 

▲進んでも

 

眺めが変わりません。

 

当日の気温は31.8℃。曇り空のため猛暑というほどではありませんでしたが、湿気がまとわりつくような、じっとりした暑さで早くもバテてきました。

 

200段ほど登ったあたりからでしょうか、駿河湾が眺められるようになり、景色に変化が。

 

▲木々の間から海が!

 

それでも、まだ石段は続きます。カメラ機材を少し減らしてくればよかったと後悔するなどしながら、さらに上を目指します。

 

▲上を見上げると、石段は続くよどこまでも……

 

 

▲お詣りを済ませ、参道を下っていく母娘とすれ違いましたが、その姿が、輝いて見えました

 

▲600段、だいたい半分ですね

 

 

この辺りで完全に息が上がってしまいました。さすが武田信玄公が要害と目をつけ城砦を築いた山。一筋縄ではいきません。

 

▲眺めはどんどんよくなりますが、あまり見ている余裕もなく……

 

▲一ノ門に到着。あと一息です!

 

▲ついに楼門。重要文化財です

 

▲扁額は後水尾天皇筆

 

▲これも重要文化財の神厩。左甚五郎作と伝わる神馬の像が納められています

 

▲鼓楼。重要文化財

 

▲そして、権現造りの国宝、御社殿。二代将軍秀忠、つまり家光のお父さんの命によって造営された、最古の東照宮建築です

 

本殿の裏手に、徳川家にとってとても大切な場所があります。

 

▲神廟。徳川家康埋葬の地です。創建当初は木造でしたが、寛永17年(1640)に徳川家光が石造の宝塔に造り替えました

 

家光が祖父のために拵えた宝塔。これもまた家光の感性が生み出したものであり、久能山が家光にとって特別な場所の一つである証なのです。

 

久能山東照宮博物館には歴代将軍の武器・武具のほか、「動物展」にも作品が出品されている、谷文晁、狩野養信の作品なども展示されていました。

 

▲久能山東照宮博物館

 

暑さの中の、修行のような「1159段」の先は、見どころだらけで、疲れも吹き飛びました。そんな久能山からやってきた「枯木梟図」。ぜひ、後期展示でお楽し

みください。

おまけ。

▲静岡に戻って、家康が築いた駿府城も散策。天守台発掘調査の様子が公開されています。おすすめです。

 

(図録制作チーム、藤枝)

 

 

 

家光の動物画、どこがいいの?②

ー家光には「天然」で良いのだ、という確信があったとのことですが、その確信はどこからきたのでしょうか?

金子 もちろん、将軍という地位にあったことはその背景にあるでしょう。将軍たるもの、狩野派のようなお決まりの描き方ではなく、自分だけの表現でもよいと考えたとしても不思議ではありません。

 

▲徳川家光「竹に雀図」(部分)。昨年、長野県で新発見された作品。ヘルメットみたいな髪型とか、胸からピョロっと出た謎の描線とか、確かに、家光だけの表現です。前期(10/24まで)展示

 

ー確かに。狩野派風に描いたら、狩野派を越えることはできませんものね。

金子 そうなんです。逆に、唯一無二の表現をすれば、その絵そのものが、全てを超えた存在としての将軍という存在を物語っていることになるのです。そんな想像も浮かびますが、家光がこんな風に独自の絵を描いた背景としては、もうひとつ、禅の思想があると私は考えています。

 

ー禅ですか? 

金子 「木兎図」のように、家光の絵には沢庵宗彭(たくあん・そうほう)が賛を付けたものが何点かあります。漬物のたくあんで知られる沢庵和尚は、大徳寺の住持を務めた高名な禅僧ですが、家光はこの沢庵に熱心に帰依していたのです。

▲徳川家光「木兎図」。賛は沢庵宗彭で、家光の描いた木兎の「奇怪」さを詠う内容。後期(10/26〜11/28まで)展示

 

ー禅と絵画といえば、仙厓さんが思い浮かびますが…… 

金子 仙厓の絵も、他とは全く違う、突拍子もない描き方ばかりです。禅という別世界への案内役となるべき禅画には、常識を越えることを「描き方」によって示すことが求められるのです。

 

ー「描き方」によってですか?

金子 もちろん、描き方だけでなく、主題も重要です。例えば、家光は木兎や梟を好んで描きましたが、両者ともに古くから姿が奇妙で、奇っ怪とされた鳥でした。嫌われ者の鳥をあえて描く「へそまがり」の感性は、常識を疑う禅の精神に通じているのです。家光は、そんな非常識な題材を、上手い下手という価値基準を飛び越えた、自由な描き方で表したのです。立派な禅画と言ってもいいのではないでしょうか?

 

▲徳川家光「古木に木兎図」(部分)。同じ木兎が主題でも、全く同じ絵を描かないところが家光らしい。前期(10/24まで)展示

▲徳川家光「木兎図」(部分)。「奇っ怪な鳥とされた木兎を、あえてこんなに可愛らしく描く、というのもまた、常識では考えられない描き方です」と金子学芸員。なるほど、そう考えると、この可愛さも奥深いですね

 

家光の絵についてのお話、まだまだ続きます。次回は、ありがたき葵御紋の表具についても伺いたいと思います。お楽しみに!

(図録編集チーム、久保)

 

家光の動物画、どこがいいの?①

徳川家光の描いた動物画が人気です。さりげなくTwitterで紹介するだけで、「いいね」をしてくださる方が大勢いらっしゃいますし、「家光の絵が今回の展示作品の中で一番好き」という方も、少なくありません。私ももちろん大好きです、家光の動物画。家光の絵のどこがそれほどまでに、私たちの心に響くのでしょうか? その理由を、本展の企画者の一人である府中市美術館の金子学芸員に聞いてみました。

▲徳川家光の絵が並ぶ「家光の部屋」

 

ー家光の動物画、すごい人気ですね。私も好きですが、どこがいいのかと尋ねられると、うまく説明できなくて困ってしまいます。

金子信久(以下、金子) そうですよね。どの系列にも属さない絵ですから、説明が難しいのかもしれません。以前、BS日テレの「ぶらぶら美術・博物館」の収録の際に、山田五郎さんが「ルソークラスの画家」という表現をなさっていましたが、確かに、家光の絵にはルソーに通じるところがあるように思います。

▲徳川家光「木兎図」(部分)下関市立歴史博物館寄託 前期(10/24まで)展示

 

ー下手だということですか?

金子 意図していなことの強さ、と言ったらいいかもしれません。例えば、ルソーの絵は面白いけれど、ルソーのマネをした数多の作品のほとんどは、面白くないですよね。家光の絵は、見れば分かるように、非常に丁寧に、一生懸命に描かれています。おそらく本人も自分が普通の意味で「上手い」とは思っていなかったはずですが、本人の評価や意図はさておき、私たちが今見ると、まるでヘタウマの絵のようで、そこが面白いと映るのではないでしょうか。

▲徳川家光「兎図」(部分)前期(10/24まで)展示

 

ーでは、家光は何を意図していたのでしょうか?

金子 意図は色々あると思いますが、まず第一に「リアリズム」でしょう。作品からは、非常に細やかに動物の姿を再現しようとする意図がはっきり見て取れます。例えば「兎図」ならば、毛のもふもふ感にこだわって、紙を筆で撫でるような描き方をしています。また、耳の輪郭を破線で表していることも重要です。本物のウサギの耳には輪郭がないので、形をはっきりさせることと、本物のように描くことの間をとって、このような表現になったのだと思います。

▲耳と尻尾の輪郭は破線。

 

ー確かに、とてもリアルです。それでも、家光は自分で「上手い」と思っていなかった?

金子 家光は将軍です。そばには、狩野探幽、安信、尚信らの御用絵師がいて、彼らを呼んでは絵を鑑賞したりしていたことが記録でわかっています。日頃から一流の書画に親しんできたので、どんな絵がいわゆる「上手い」絵なのか、ということはもちろんわかっていたでしょう。

 

ー確かに、上手い系の絵もありますよね。

金子 そうです。今回の出品作では「竹に小禽図」などは狩野派風の描き方です。お手本通りに描こうと思えばできたんです。それでも家光は、あえて、見慣れた絵画とは違う描き方をしたのだと考えています。今風の言葉で言えば「天然」で良いのだという確信があったのだと思います。

▲徳川家光「竹に小禽図」(部分)後期(10/26から)展示

 

家光の絵の魅力について、お話しはまだまだ続きます。次回をお楽しみに!

(図録編集チーム、久保)

家光をめぐる散策その1ー三島編

さて、動物展日記でも「散策」レポートを綴って参ります。

へそ展に続き動物展でも皆様を熱狂させている、徳川家光。
家光画伯、いや将軍をめぐる散策を2回に分けてお届けしようと思います。

ちなみに、家光をめぐってはへそ展日記で府中との不思議な縁について散策しましたので、ご興味のある方はお読みください。

図録の表紙にもなった、養源寺の「木兎図」。2019年の「へそまがり日本美術」展で初公開され、今回の展覧会を前に修復されたことは、図録やこのブログでもご紹介した通りです。ぜひ、図録でもご覧ください。

木兎図修復の様子
▲修復される木兎図

 

この修復が行われたのは、伊豆に工房を構える「春鳳堂」さん。三島駅から伊豆箱根鉄道に乗り継いで修善寺方面、大仁駅近くにその工房はあります。

乗り換えのために降り立った三島には家光ゆかりの地がある、ということで取材の前に少し散策してきました。

三島にはかつて「御殿地」と呼ばれたエリアがありました。御殿があった場所。そう、徳川家光が江戸から上洛する際の宿泊地が置かれていたのです。
三島市のwebサイトによると総面積は推定1万坪以上だったとか。1635年以降に将軍の上洛が行われなくなってからは廃止されたそうですが、現在もその面影が少しだけ遺されています。

御殿神社
▲御殿神社

 

御殿を護るために祀られていた稲荷神社がこの「御殿神社」です。街の景色に溶け込んで、まったくもって目立たず、ひっそりしていて通り過ぎてしまいそうですが、御殿地がここにあった証です。

御殿神社

お詣りを済ませ、御殿神社の前の道を少し歩くとせせらぎが。御殿地の東側を流れる「御殿川」です。

御殿川
▲御殿川

 

富士山の湧水をルーツとする四筋の川が流れ、水の都と言われた三島らしいこの風景を、家光も眺めたのでしょうか。そしてこの御殿地でも何か絵を描いたのでしょうか。せせらぎの音を聴きながら、そんなことを考えました。

御殿川沿いに三島駅方面へ戻る途中、気になるスポットに出会いました。

孝行犬
▲これです

 

日蓮宗の古刹・円明寺には江戸時代から「孝行犬」のお話が伝わっていて、その孝行犬の墓があるのです。
お寺の本堂の床下に暮らす母犬と5匹の子犬。ある日子犬のうち一匹が死んだことをきっかけに母犬が病に臥してしまいます。子犬たちは母犬のためにエサを集めるなど奔走しますが、必死の看病むなしく、母犬は半年後に死に、遺された4匹の子犬たちも後を追うように死んでしまったというのです。

孝行犬の墓
▲孝行犬の墓

 

その様子を見守っていたお寺の住職が供養のために建てたのがこの孝行犬の墓。毎年4月18日には供養祭が行われるのだとか。6匹の犬へのやさしいまなざしに、動物展のテーマに通ずるものを感じました。

孝行犬の墓
▲母犬の名「タマ」、子犬たちの名「トク」「ツル」「マツ」「サト」「フジ」が刻まれています。

 

家光に触れ、思いがけず動物へのまなざしについて考える。ついでのつもりの散策で、なんだかトクをした気分になりました。

家光をめぐる散策、次回は後期出品作に関連する散策をお届け予定です。

(図録制作チーム、藤枝)

 

 

 

 

 

展覧会を支える修復家さんの仕事

先日、家光の「木兎図」の修復の様子をご覧いただきましたが、今回は西洋編です。

 

日頃から、美術館は修復家さんにとてもお世話になっています。収蔵品の修理だけでなく、保存方法を相談したり、光学調査をお願いしたり、とても頼りになる存在なのです。さらに実は、展覧会でもとても重要な仕事をお願いしています。

 

それは展示の前後に行う作品の状態確認です。特に、海外から作品を輸送する場合や、複数の会場を巡回する展覧会の場合、修復家による入念な確認作業は欠かせません。

 

「動物の絵」展をご担当いただいたのは、「修復研究所21」所長の渡邉郁夫さん。油彩画の保存修復の第一人者で、海外の文化財の修復調査などの経験も豊富です。ヨーロッパの美術館の学芸員や修復家からの信頼も厚く、今回ぜひにとお願いしました。

 

 

画面や額を点検し、すでに傷や欠損のある箇所をチェックし、「作品調書」を作成します。この時、これから破損の恐れがある場所、取扱の注意点なども記入します。修復家さんがお医者さんだとすれば、作品調書はカルテのようなもの。会期終了後に作品に変化がないか、この作品調書をもとにしっかりと確認してから、所蔵館やご所蔵家に作品をお返しします。

▲ナント美術館所蔵の《鳥のコンサート》。ライトやルーペを使って、作品の隅々まで確認します。

 

▲輸送前に所蔵館が作成した作品調書。この状態から変化のないことを確認しつつ、新たに気づいたことや注意点を書き加えていきます。

 

 

幸いなことに、今回は必要はありませんでしたが、展示や輸送に際して危険な箇所が見かった場合、ご所蔵家や所蔵館に承諾を得た上で、例えば、額のひび割れを固定するなど、応急的な処置をしていただくこともあります。

 

 

▲額裏のチェックも大切です。

 

海外から作品を借りた場合、通常、こうした作品チェックは、修復家、私たち開催館の学芸員、所蔵館の学芸員の3者で行います。しかし、今回、渡航制限のため来日できなかった所蔵館の学芸員は、オンラインで作品のチェックを見守ってくれました。

▲輸送用木箱を開梱する際もビデオカメラでしっかり撮影。所蔵館にも確認してもらいながら行います。

 

 

この度の展覧会では、国内外から沢山の作品をお借りしました。どれもとても貴重な作品です。お預かりした大切な作品を、安全に安心して展示できるのは、渡邊さんのおかげです。きめ細やかで丁寧なお仕事で、展覧会の一番大切な部分をしっかりと支えてくださっています。(府中市美術館、音)

家光の木兎図のこと②ー修復して生まれ変わりましたー

へそ展で、この家光の「木兎図」をご覧になった方は、お気づきかもしれませんが、この作品、実は、当初はかなり傷んでいたのです。

▲本紙には強い折れが入り、表具の軸部分には破れも。

 

 

傷みが進んでいるのには、訳があります。御住職によれば、第二次世界大戦で千駄木一帯が空襲に見舞われる中、当時の御住職は、寺の伝来品をできるだけ守ろうと、かさばる箱から掛軸を取り出して長持ちに詰め込み、避難させたのだそうです。

 

その時の御住職の孫にあたるのが、現在の御住職。蔵に眠っていた伝来品を、専門家の手を借りて整理しつつ、後世に伝えようと尽力しています。そして、この度、家光の「木兎図」が修復に出されることになったのです。

 

修復を任されたのは、伊豆に工房を構える「春鳳堂」。正倉院御物や東大寺宝物の修復も手掛ける老舗です。

▲「春鳳堂」初代の師岡恒夫さん。今回は特別に修復の現場を見せていただきました。

 

この日行われたのは、主に本紙の汚れを落とす「洗い」と新しくする裂地を選ぶ作業です。その様子を、写真とともに、ざっくり紹介させていただきます。

 

▲裏側に向けられた「木兎図」。

 

▲絵柄の描かれた部分を、古い表具裂から切り離していきます。真剣なまなざしでこの工程に取り組むのは、二代目の恒平さん。

 

 

▲今度は掛軸を表側に向けて、作業を続けます。恒平さんが手にしているのは、畳用の針。

 

▲丁寧に本紙を持ち上げる恒平さん。

 

 

▲絵柄のある部分から古い表具裂が外されました。

 

 

▲新しい表装のために、裂地を選んでいきます。

 

 

▲工房には、たくさんの裂地が。どれもいかにも高級そうです。

 

 

 

    

▲「格のある作品には、格のある裂をつけないと」と話す師岡さん。色々な組み合わせをご提案くださり、その中から養源寺の御住職が選びます。

 

 

▲裂地が決まったら、今度は「洗い」の工程です。きれいな水で本紙の汚れを落としていきます。

 

▲掛軸は何層かのレイヤー構造になっています。本紙の裏には、「総裏」「増裏」「肌裏」などのと裏打ち紙が施されているので、水に浸して、それらの裏打ち紙を剥がしていきます。

 

 

 

 

▲「折れ伏せ」と呼ばれる、小さく細長い紙を剥がしていきます。折れ伏せとは、本紙の折れや亀裂の部分に、折れの予防や補強のために裏面から貼る紙のこと。この写真では、白い横線のように見えるのが、折れ伏せです。この作品も、いつの時代かに、修復が行われていたのですね。

 

▲本紙に接する裏打ち紙「肌裏」を上げます。

 

 

▲本紙だけになった「木兎図」。洗いも終えて、見違えました!

 

この日、見せていただいたのはここまでです。古書画を洗うところなど目の当たりにしたのは初めてでしたが、水に浸けても、絵柄の墨は全く滲まないんです!(当たり前かもしれませんが、とにかくびっくり!)しかも、小麦を主原料とする古糊は紙時間の経過とともに、接着力が弱まるそうで、裏打ちの紙も簡単に剥がせる。だから、掛軸は何度でも生まれ変わることができるんですね。先人の知恵、本当にすごいです。

 

そして後日、完成した掛軸を見せていただき、養源寺に行ってきました!

 

表具が新しくなってどうなるのか、師岡さんが裂地を並べてくださっていた時は、きちんと想像できていなかったのですが、こうして仕上がりを見てみると、本当に素晴らしい。心なしか、木兎も喜んでいるように見えるから不思議です。

そして、洗いを終えた「木兎図」では、筆づかいもよりはっきりと見え、家光がいかに丁寧にこの絵を描いたかがよくわかります。私の感覚では、修復前の100倍くらいかわいくなりました。

生まれ変わった「木兎図」、ぜひ、展覧会場にてご覧ください。

(図録制作チーム、久保)

 

 

 

 

家光の木兎図のこと①ー初公開にまつわる色々ー

9月18日(土)にスタートする、「動物の絵 日本とヨーロッパ ふしぎ・かわいい・へそまがり」展、先日、その図録をようやく校了いたしました。

 

府中市美術館開館20周年記念というだけあって、今回の展覧会、本当に豪華です。日本とヨーロッパ各地から、計188点もの作品が集められます。

 

今日は数ある作品の中から、府中市美術館ととりわけゆかりの深い、この家光の「木兎図」のことを、お話ししたいと思います。

▲徳川家光「木兎図」(部分、養源寺蔵)。

 

大きな耳(羽角といいます)に、まん丸の目、もふもふの体。この「木兎図」は、2019年の「へそまがり日本美術 禅画からヘタウマまで」(以下、へそ展)の準備中に、府中市美術館の金子学芸員が確認して、初めて一般公開された作品なのです。

 

この作品を所蔵するのは、東京・千駄木にある養源寺。徳川家光の乳母として知られる春日局の子、稲葉正勝創建のお寺です。

▲東京・千駄木にある養源寺。

 

春日局ゆかりの寺に、家光の作品が伝わる、というのは誰もが納得のいくストーリーなのですが、2019年まで「木兎図」のことは、公には知られていなかったのです。それをどうして、へそ展に出品することになったのでしょうか? 実は、そこに一役買ってくださったのは、京都・麟祥院の御住職でした。

▲へそ展の準備中、作品撮影に訪れた京都・麟祥院にて。

 

へそ展出品の雲竜図襖の撮影に伺った際、へそ展に徳川家光の作品が出品されることを知った御住職は、「家光の面白い絵なら、東京の養源寺にあるよ」と、教えてくださったのです。

▲撮影した家光の作品を見せてくださる麟祥院の御住職。

 

麟祥院の御住職は、美術にも造詣が深いので、一度目にした作品はよく覚えていらっしゃるのでしょう。おもむろに携帯電話を取り出して、ご自身で撮影された作品の写真を見せてくださり、なんと、その場で養源寺の御住職にお電話までしてくださいました。麟祥院と養源寺は、同じ臨済宗妙心寺派の寺院なので、皆さんお互いによく知ってらっしゃるのです。

 

そして金子学芸員は後日、養源寺を訪ねて、実際の作品を見せていただき、へそ展で公開されることになったというわけです。麟祥院の撮影に同行していた図録制作チーム一同、展覧会の出品作が、こんな風に決まることもある、ということを目の当たりにする、という大変貴重な機会でした。何事も、人と人とのつながりが大事なんだなあ、としみじみ思いました。

 

そんなわけで、府中市美術館との特別な縁を感じてしまう「木兎図」ですが、今回、動物展への展示を前に、修復に出されるということで、その様子を取材させていただくことができました! 修復の様子は、次回の日記でお伝えしたいと思います!

(図録制作チーム、久保)

 

 

色校会議と、PD高栁さんのこと

すっかり、動物展日記をさぼってしまいました。

 

正確に言いますと、決してさぼっていたわけではなく、あまりに色々なことが、ぎゅぎゅっとタイトに詰まっていて、ちゃんとした日記を書くだけの余裕がなかったのです。でも、そんなことを言っていては、一生日記なんか書けない、と思い直して、「展覧会にまつわることを、少しでも」という気楽な気持ちで、リスタートすることにしました。

 

今日は、先日、Twitterでも少しお知らせしました、色校会議のことをお伝えしたいと思います。

 

印刷は、府中市美術館の図録は、写真集や美術書などの印刷に定評のある東京印書館さんです。「リアル 最大の奇抜」「へそまがり日本美術」「ふつうの系譜」などでもお世話になりました。

 

印刷の全体を統括してくださるのは、高栁昇さんというPD(プリンティング・ディレクター)さんなのですが、もう、高栁さんが本当にすごいのです。

▲「全体の方向性からいくと、ここはもう少しディテールを出した方がいいように思います」と、こちらが指摘しなかった点にも、気づいてくれる高栁さん。

 

「なんか、こうもうちょっとさらっとした絵で〜」とか「もうちょっときれいなんですよねえ」とか、編集サイドがめちゃくちゃ曖昧な感じで印象を言うと、「なるほど!」とおっしゃり、「山口くん(オペレーションをしてくださる方)、ここHP(エイチピー?よく聞き取れない・・)、マイナス3パー行ってみよう!」とか、私には謎の指示をバンバン、テキパキ出して、あっという間に、こちらが思った通りの写真に仕上げてしまうのです。もうそれは、本当に「マジック」みたいです。

▲犬づくしページ。編集が赤字で入れた指示を、高栁さんが青字で印刷用語に翻訳してくれます。私には全然読めませんが、現場の方たちはちゃんと解読して、どんどん手を動かしていきます。

 

 

▲高栁さんは、いつもダブルのスーツに、ハンカチ、ブローチを欠かさないダンティな装いです。この日は、マスクもおしゃれ。古いネクタイを奥様がマスクに仕立ててくれたのだそうです。素敵すぎます。

 

▲「ここ、赤が●パーセント入ってます」とルーペ でのぞいて、数値化しちゃいます。

 

▲潾二郎の猫。絨毯の赤が実物はワインレッドに近いのですが、写真ではそれが出ていなかったので、調整してもらうことに。「猫はキープ」の高栁さんの指示が、なんだかかわいいです。

 

高栁さんは、森山大道さん、本橋成一さん、石元泰博さんはじめ錚々たる顔ぶれの写真家の方々からの信頼厚い、凄腕PDさんとして有名な方で、初めてお目にかかる時は、実はめちゃくちゃ緊張したのです。でも、1点1点、丁寧にこちらの意見を聞いて、こちらが求めているのはどんなことなのかを粘り強く探ってくださるその姿を目の当たりにして、素晴らしいお仕事をなさる方はすごいなあ、と感激したのでした。百戦錬磨なのに、勘だけに頼らないんですね。勘も抜群にさえてらっしゃるのに。今回も、相変わらずの高栁さんで、図録制作チーム一同、なんだかやる気を倍増させて、帰路につきました。

 

実は高栁さん、先日NHKの「サラメシ」に出演なさったのですが、その時、夢でも色校をしていたエピソードを披露して、「私は24時間ONです!」とお話ししていました。「それ夢じゃん!」って思った方もいらっしゃるかもしれませんが、実際に高栁さんを知っている私からすると、さもありなん、という感じなのです。高栁さんなら、寝てても色校をしているだろうなあ、と。

 

「引退して、印刷のことを考えないで、気楽に美術展や写真展を見るのが夢です」なんておっしゃっていましたが、どうか、引退しないで現場に立ち続けて欲しいものです。

 

というわけで、動物展の図録、今回も100%の自信を持って、皆さんにお届けできる仕上がりになりそうです!お楽しみに!

(図録制作チーム、久保)

開館20周年記念展は、秋の江戸絵画まつり!

現在、春の江戸絵画まつり「与謝蕪村『ぎこちない』を芸術にした画家」展が開催中です。美術館のある公園の桜も見頃を迎え、お花見がてら、蕪村展に足を運んでくださる方も増えているようです。

 

この蕪村展の展示室の出口に、今秋の「動物の絵 日本とヨーロッパ ふしぎ・かわいい・へそまがり」展のポスターを設置しました。「春の江戸絵画まつり」によくお越しくださる方々の中には、「あれ、今年は秋も江戸絵画まつり?」と思われた、鋭い方もいらっしゃるかもしれません。

そうなのです。今年は秋も「江戸絵画」。今度の「動物の絵」展は、「春の江戸絵画まつり」シリーズなしには成り立たない展覧会なのです。今年で17回目を迎えた「春の江戸絵画まつり」シリーズでは、「動物絵画の100年」(2009年)と「動物絵画の250年」(2015年)と、これまでに2度、動物をテーマとした展覧会を開催しました。とくに、動物と人の心の関係にも注目した「動物絵画の250年」展の際に、これほど豊かに動物の絵を生み出した江戸時代は、世界的にもめずらしい動物絵画の宝庫ではないだろうかと思い始めました。これが、日本とヨーロッパの動物絵画を同時に眺める「動物の絵 日本とヨーロッパ ふしぎ・かわいい・へそまがり」展の出発点です。

サブタイトルは「ふしぎ・かわいい・へそまがり」としました。お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、「かわいい」と「へそまがり」は、「かわいい江戸絵画」展(2013年)と「へそまがり日本美術」展(2019年)からとりました。江戸時代にかわいい作品が多く生み出されたこと、あるいは、きれいで立派なもの以外に心ひかれるへそまがりな感性が生んだ作品が日本で古くから愛されてきたこと、どちらも現在まで続く日本美術の大きな特徴です。日本の動物絵画を、ヨーロッパの作品とも比べようとする今回の展覧会にも、こうした視点を取り入れたいと考え、サブタイトルとしました。また、これまでの動物展のどちらでも、人が動物に感じる「神秘」に注目しています。今回もこの視点は欠かせないと考え、「ふしぎ」という言葉も加えました。

そして、この展覧会は府中市美術館の開館20周年展でもあります。春の江戸絵画まつりシリーズと、この20年間、主に秋に開催してきた西洋絵画の展覧会。20年の歩みを振り返るひとつの試みとして、そのふたつがタッグを組んで「動物の絵 日本とヨーロッパ ふしぎ・かわいい・へそまがり」展をお届けしたいと思います。

 

西洋絵画、日本の近代絵画、江戸時代以前の絵画も展示されますが、中心となるのは江戸時代の動物絵画です。「秋の江戸絵画まつり」として、楽しく、そして充実した内容の展覧会を開催できるよう準備を進めています。今後、準備の様子も「動物展日記」で発信していきますので、どうぞお楽しみに!

(府中市美術館、音)

 

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