「ふつう展」日記

ひとつの展覧会の裏側には、展覧会を訪れただけでは見えない、さまざまなプロセスと試行錯誤があります。「ふつう展」日記は、「ふつうの系譜 「奇想」があるなら「ふつう」もあります 京の絵画と敦賀コレクション」展、略して「ふつう展」に関わるスタッフが、折々に皆さんにお伝えしたいことを発信するブログです。


家光の木兎図のこと①ー初公開にまつわる色々ー

9月18日(土)にスタートする、「動物の絵 日本とヨーロッパ ふしぎ・かわいい・へそまがり」展、先日、その図録をようやく校了いたしました。

 

府中市美術館開館20周年記念というだけあって、今回の展覧会、本当に豪華です。日本とヨーロッパ各地から、計188点もの作品が集められます。

 

今日は数ある作品の中から、府中市美術館ととりわけゆかりの深い、この家光の「木兎図」のことを、お話ししたいと思います。

▲徳川家光「木兎図」(部分、養源寺蔵)。

 

大きな耳(羽角といいます)に、まん丸の目、もふもふの体。この「木兎図」は、2019年の「へそまがり日本美術 禅画からヘタウマまで」(以下、へそ展)の準備中に、府中市美術館の金子学芸員が確認して、初めて一般公開された作品なのです。

 

この作品を所蔵するのは、東京・千駄木にある養源寺。徳川家光の乳母として知られる春日局の子、稲葉正勝創建のお寺です。

▲東京・千駄木にある養源寺。

 

春日局ゆかりの寺に、家光の作品が伝わる、というのは誰もが納得のいくストーリーなのですが、2019年まで「木兎図」のことは、公には知られていなかったのです。それをどうして、へそ展に出品することになったのでしょうか? 実は、そこに一役買ってくださったのは、京都・麟祥院の御住職でした。

▲へそ展の準備中、作品撮影に訪れた京都・麟祥院にて。

 

へそ展出品の雲竜図襖の撮影に伺った際、へそ展に徳川家光の作品が出品されることを知った御住職は、「家光の面白い絵なら、東京の養源寺にあるよ」と、教えてくださったのです。

▲撮影した家光の作品を見せてくださる麟祥院の御住職。

 

麟祥院の御住職は、美術にも造詣が深いので、一度目にした作品はよく覚えていらっしゃるのでしょう。おもむろに携帯電話を取り出して、ご自身で撮影された作品の写真を見せてくださり、なんと、その場で養源寺の御住職にお電話までしてくださいました。麟祥院と養源寺は、同じ臨済宗妙心寺派の寺院なので、皆さんお互いによく知ってらっしゃるのです。

 

そして金子学芸員は後日、養源寺を訪ねて、実際の作品を見せていただき、へそ展で公開されることになったというわけです。麟祥院の撮影に同行していた図録制作チーム一同、展覧会の出品作が、こんな風に決まることもある、ということを目の当たりにする、という大変貴重な機会でした。何事も、人と人とのつながりが大事なんだなあ、としみじみ思いました。

 

そんなわけで、府中市美術館との特別な縁を感じてしまう「木兎図」ですが、今回、動物展への展示を前に、修復に出されるということで、その様子を取材させていただくことができました! 修復の様子は、次回の日記でお伝えしたいと思います!

(図録制作チーム、久保)

 

 

色校会議と、PD高栁さんのこと

すっかり、動物展日記をさぼってしまいました。

 

正確に言いますと、決してさぼっていたわけではなく、あまりに色々なことが、ぎゅぎゅっとタイトに詰まっていて、ちゃんとした日記を書くだけの余裕がなかったのです。でも、そんなことを言っていては、一生日記なんか書けない、と思い直して、「展覧会にまつわることを、少しでも」という気楽な気持ちで、リスタートすることにしました。

 

今日は、先日、Twitterでも少しお知らせしました、色校会議のことをお伝えしたいと思います。

 

印刷は、府中市美術館の図録は、写真集や美術書などの印刷に定評のある東京印書館さんです。「リアル 最大の奇抜」「へそまがり日本美術」「ふつうの系譜」などでもお世話になりました。

 

印刷の全体を統括してくださるのは、高栁昇さんというPD(プリンティング・ディレクター)さんなのですが、もう、高栁さんが本当にすごいのです。

▲「全体の方向性からいくと、ここはもう少しディテールを出した方がいいように思います」と、こちらが指摘しなかった点にも、気づいてくれる高栁さん。

 

「なんか、こうもうちょっとさらっとした絵で〜」とか「もうちょっときれいなんですよねえ」とか、編集サイドがめちゃくちゃ曖昧な感じで印象を言うと、「なるほど!」とおっしゃり、「山口くん(オペレーションをしてくださる方)、ここHP(エイチピー?よく聞き取れない・・)、マイナス3パー行ってみよう!」とか、私には謎の指示をバンバン、テキパキ出して、あっという間に、こちらが思った通りの写真に仕上げてしまうのです。もうそれは、本当に「マジック」みたいです。

▲犬づくしページ。編集が赤字で入れた指示を、高栁さんが青字で印刷用語に翻訳してくれます。私には全然読めませんが、現場の方たちはちゃんと解読して、どんどん手を動かしていきます。

 

 

▲高栁さんは、いつもダブルのスーツに、ハンカチ、ブローチを欠かさないダンティな装いです。この日は、マスクもおしゃれ。古いネクタイを奥様がマスクに仕立ててくれたのだそうです。素敵すぎます。

 

▲「ここ、赤が●パーセント入ってます」とルーペ でのぞいて、数値化しちゃいます。

 

▲潾二郎の猫。絨毯の赤が実物はワインレッドに近いのですが、写真ではそれが出ていなかったので、調整してもらうことに。「猫はキープ」の高栁さんの指示が、なんだかかわいいです。

 

高栁さんは、森山大道さん、本橋成一さん、石元泰博さんはじめ錚々たる顔ぶれの写真家の方々からの信頼厚い、凄腕PDさんとして有名な方で、初めてお目にかかる時は、実はめちゃくちゃ緊張したのです。でも、1点1点、丁寧にこちらの意見を聞いて、こちらが求めているのはどんなことなのかを粘り強く探ってくださるその姿を目の当たりにして、素晴らしいお仕事をなさる方はすごいなあ、と感激したのでした。百戦錬磨なのに、勘だけに頼らないんですね。勘も抜群にさえてらっしゃるのに。今回も、相変わらずの高栁さんで、図録制作チーム一同、なんだかやる気を倍増させて、帰路につきました。

 

実は高栁さん、先日NHKの「サラメシ」に出演なさったのですが、その時、夢でも色校をしていたエピソードを披露して、「私は24時間ONです!」とお話ししていました。「それ夢じゃん!」って思った方もいらっしゃるかもしれませんが、実際に高栁さんを知っている私からすると、さもありなん、という感じなのです。高栁さんなら、寝てても色校をしているだろうなあ、と。

 

「引退して、印刷のことを考えないで、気楽に美術展や写真展を見るのが夢です」なんておっしゃっていましたが、どうか、引退しないで現場に立ち続けて欲しいものです。

 

というわけで、動物展の図録、今回も100%の自信を持って、皆さんにお届けできる仕上がりになりそうです!お楽しみに!

(図録制作チーム、久保)

「ふつう展」の開幕と閉幕、これからのこと

ふつうの系譜展、本来ならば、今頃は二カ月間でたくさんの方々に、敦賀市立博物館の素晴らしいコレクションを見ていただけたことの感慨に浸っていた頃かもしれません。

ところが、今回、途中で閉幕という想像もしなかった事態が起こりました。前期、後期ほぼ全点入れ替えの予定が、前期の途中で閉幕となったため、全作品をお披露目することは叶いませんでした。担当の金子学芸員に、開幕から今までのこと、そして今後について話を聞きました。

 

──企画して、準備して、ようやく開幕に漕ぎ着けた展覧会、途中で閉幕となってしまって、本当に無念ですね。

今思えば、開幕できたことがしあわせだったと感じています。17日間のことでしたが、三千人を超えるお客様に来ていただけました。その間にグッズや図録もたくさんお買い上げいただきました。展覧会というのは何度担当しても、実際に開いてみるまで不安なものですが、今回も、「ふつう展、楽しかった」という感想を、アンケートやSNSでたくさんいただけて、ほっとしました。

▲仮フランス装の図録、印刷も本当にきれいな自信作です。

 

▲応挙の子犬をあしらった箱入りの豆菓子が大好評でした。

 

──前期の途中で休館となり、後期を一日も開館することができませんでした。

本当に残念です。各地で美術館が休館となっていく中で、感染症対策をしつつ開館していた際には、「府中市美術館、がんばれ」という励ましのお電話があり、電話を受けた職員も、その話を聞いた者も、みんなすごく喜んでいました。SNSでもたくさんの応援をいただき、ありがたいと思いましたが、途中閉幕はやむを得なかったです。

▲後期展示の様子。

 

──会期延長という選択肢はなかったのですか?

そのようなご要望もいただきました。どうするべきか、館内でも真剣に意見を出し合い、色々な意見が出されました。しかし、結局のところ、果たしていつまで延長すれば再び開館することができるのか、その見通しが立たなかったのです。「楽しみにしていた」という声を寄せてくださる方々もたくさんいらっしゃって、多くの方が「見たかったのに」と感じてくださったと思うと、本当に残念です。館内も、「悔しい」という空気でいっぱいです。

 

──話は変わりますが、「ふつうの系譜」というタイトルについて、どんな反応がありましたか?

みなさん、聞いた瞬間、にこやかになってくださるので、いいタイトルを選んだなと思っています。敦賀コレクションの素晴らしさを、どうしたら多くの方にお伝えできるのか──ということを考えて考えて、たどり着いたタイトルですから、好評で嬉しいです。

 

──美術ファンの皆さんにとっては、辻惟雄さんの『奇想の系譜』をすぐに思い起こさせるタイトルですよね。昨年は展覧会もあって話題になりましたし。

「ふつうの系譜」というタイトル案は、スタッフから出たのですが、敦賀コレクションを表すのに言い得て妙だと思ったのと同時に、美術の世界で使うには引っかかりがあるこの言葉を、あえて使ってみたいとも考えたんです。そして、『奇想の系譜』にひっかけたのと同時に、「美術はきれいが当たり前」という、敦賀コレクションの最大の魅力をストレートに伝える意味を「ふつう」という言葉に込めました。ですから、広報でもそのことを前面に出してきました。

▲展覧会の冒頭は、「奇想」の画家の作品が並びます。写真は後期展示の様子。

 

──『奇想の系譜』を知らないお客様もたくさんいらっしゃいますしね。

もちろんそうです。一人でも多くの方々に楽しんでいただけるように、ということは展覧会を企画する際に常に頭にあります。その結果、たとえ『奇想の系譜』を知らなくても、「そうだよな、アートといっても気持ち悪いものとか、ぎょっとするものもあるけど、きれいは普通だよな」と思っていただけたようです。また、当時はそれが「ふつう」でも、今見ると、実はかなり個性的と言えるようなものがたくさんある、などと、それぞれの方が感じたり考えたりしてくださったようです。これはとてもうれしいです。

 

──何よりも、「ふつうの系譜」展も、「春の江戸絵画まつり」の一つですしね。

そうなんです。「春の江戸絵画まつり」では、江戸絵画のいろいろな魅力や私たちにとっての価値を、いろいろな角度から眺めてみよう、そうして、それまで気づかなかった楽しさや魅力を見つけていこうとしています。わかりやすい内容もあれば、少し変わった内容の展覧会もあるし、華やかなものもあれば、地味なものもありますが、当館としては、そうやって、毎年来てくださる多くのお客さまと一緒に、江戸絵画のいろいろな楽しみ方を探していこう、楽しみ方の幅を広げていこう、という気持ちで開催しています。時には少し変わったテーマ、ややマニアックに思えるようなテーマがあってもいいとも思いますし、そこからまた、さらに興味を持っていただけたら、と考えています。莫大な利益を目的としない、公立美術館が自前の予算で開催する展覧会だからこそできるのかもしれません。

 

──それにしても、「ふつう展」はこのまま終わり、では何とも寂しいです。

展覧会は、テーマを考えて、作品をリストアップして、どんなところに興味を持っていただけるか、どんなイメージで広報するかを考え、宣伝物を製作したり、PRにつとめたり、そしてかなり手間をかけて図録を作って、会場を考え、作品を並べる……という一連の作業です。それは言うまでもなく、多くの方々に楽しんでいただくためです。今回、その最終目的が、十分には達成できませんでした。会場に展示はしたものの、一度もお客様に見ていただけなかった作品のことを思うと、作品もかわいそうでなりません。

 

──いつか、もう一度皆さんに「ふつう展」をご覧いただける機会があるといいですね。

本当にそう思います。幸いふつう展の場合は、いろいろな所から作品をお借りしてくる展覧会とは違い、敦賀コレクションが主ですから、これで終わりと決めつけなくてもよいのではないでしょうか。「ふつうの系譜」展は、まだ完結していないと思っています。

 

──今後の展覧会のことも心配です。

新型コロナウイルスの流行を経験し、これからは展覧会のあり方が変わるだろう、とか、新しいアートとの付き合い方が生まれるだろう、と、もうおっしゃっている方もいて驚かされます。でも、今までのような展覧会がちゃんとまた開けるように、原状回復を目指すべきではないかと思います。実物の作品が目の前になければ成り立たない美術の楽しみ方もあるわけですから。インターネットがいくら便利になっても、インターネットの世界と現実は違いますよね。秋には当館20周年記念の「動物の絵 日本とヨーロッパ」展も控えていますし、なんとか、皆さんにいい形で作品を見ていただけるように、色々な手立てを考えていきたいと思っています。

 

3月からこの方、楽しみにしていた展覧会が行く前に休館、そのまま閉幕……なんていうことばかりで、美術ファンの方々は本当に残念な気持ちでいらっしゃることと思います。今回、金子学芸員へのインタビューでは、お話の最後に、今年の秋開催予定の「動物の絵 日本とヨーロッパ」展に向けた希望のあるお話も伺えました。今後も注目していきたいと思いますので、皆さんも楽しみになさっていてください!

(図録編集チーム、久保)

 

音声ガイドのナレーターさんがすごすぎでした。

展覧会の開幕前の重要なお仕事に、「音声ガイドの収録」というものがあります。3月初旬のある日、収録に立ち会う金子学芸員に同行し、その現場を見学させていただきました!

収録の現場は都内のスタジオ、ナレーションをつとめるのは、ベテランナレーターの中村啓子さんです。当日は、まず中村さんから金子学芸員に、アクセントなど、気になる点についての質問がいくつか。その後、中村さん一人が録音のためのブースに入って、収録が始まります。ガイドの原稿は事前にシェアされていて、私も、先に読ませていただいていたのですが、いざ、収録が始まってみて、本当に驚かされました。

▲TVドラマに出てくるみたいな、かっこいいスタジオです。

 

絵の情景が目の前にぱーっと広がるんです。今まで音声ガイドを聴いたことがあるのは、もちろん、展覧会場で絵を目の前にしてのことだったので気づきませんでしたが、収録現場で、中村さんが読んでいる声を聴いていると、その場にない一枚の絵が、実に鮮やかに思い浮かぶことに、心から感動しました。プロフェッショナルな声には、ものすごい力があるんですね。

 

そして、収録後、中村さんにお時間を頂戴し、お話を伺いました!

 

ー絵の中の情景がぱーっと浮かんで来るような読まれ方をされていて、驚きました。

中村啓子(以下、中村) それは金子さんの文章が、情景が浮かぶように書いてあるからなんですよ。言葉が溢れるように豊富で、素敵な文章です。

 

ー読み方も同じようにすばらしかったです。

中村 ありがとうございます。でも、本当に文章がいいの。しかも、そんなにあらたまった言葉ではなくって。

 

ー確かに、金子学芸員は、あまり難しい言葉は使いませんね。

中村 人に話しかけるような優しさで書いてくださっていますよね。だから私、すごく幸せだな、と思って読ませていただいているんです。昨日も、下読みをしているときに、こんな素敵な文章を読ませていただけて、なんて幸せなんだろう、って思っていました。

 

ー中村さんは、ナレーターとして幅広く活躍してらっしゃいますが、他にどのようなお仕事があるのですか?

中村 昔から医学ものなどが多いですね。とても専門的で難易度が高く、私自身が内容を理解しづらいようなお仕事もよくあります。気持ちを入れて、楽しんで読めるお仕事というのは、滅多にないものです。

 

ー皆さんご存知の「時報」の声も中村さんなんですよね。ちょっと話がそれますが、時報の声には、オーディションで採用されたのですか?

中村 時報の収録をしたのは1991年のことですが、その少し前、NTTが音声合成の研究をする時に、「電話で聞き取りやすい声」を探していたんです。人間は20ヘルツから200万ヘルツの間にある周波数の音を聞き取ることができるのだそうですが、電話では、その伝送過程で、300ヘルツより低い音域と、3400ヘルツより高い音域はカットされて聞こえなくなってしまうんです。それで、最初は女優さん、さらに、局アナウンサーも含めて何百人かの声を試してみたらしんですけど、私の声がその幅にすっぽり入る周波数成分だったそうです。私自身はオーディションされていることを知らされていませんでした。ですから、努力の結果というよりは、頂き物のようなものかもしれません。

 

ーガラスの靴のようですね。

中村 本当に。それで選ばれて、色々な音声の研究なんかをずっと一緒にやらせていただきました。そして、104の番号案内をはじめ、様々なものの声を担当させていただく中で、あの時報の声を収録したんです。

 

ー時報の声、懐かしく思われる方も多いと思います。

中村 昔は一日100万件ほども聞かれていたそうです。今はもう、聞く方も減っていると思いますが、長い歳月の中で色々な聞かれ方をしたようで、例えば、ご主人が亡くなって寂しい時、夜中に人に電話をかけたら迷惑だから時報を聴いていたとか、登校拒否になって寂しいから聴いていた、とか、そんな方々もいらしたようです。

 

ー寂しい時に聞くと安心するような声なんでしょうね。

中村 そうなんでしょうか。ただ時刻を告げているだけなのに、不思議ですね。

 

ーちなみに、あれは、全部言ってるんじゃないですよね?

中村 もちろん違います(笑)。時報の収録は、たった1時間で終わったんです。時と分と秒をバラバラに録音して、繋いであるんです。

 

ーそうなんですね! それが30年近くずっと使われているんだから、すごいことですね。しかも、ある年齢以上の方なら、誰もがわかる声ですよね。

中村 「ドコモの留守番電話サービスセンターの声」と言って、わかっていただけることも多いです。「おかけになった電話は……」というのです。

ーあー! あの声もですか!

中村 はい。そうやってわかっていただけると嬉しいです。

 

ー『氷点』や『塩狩峠』など、三浦綾子さんの作品の朗読もなさっているそうですね。

中村 はい、ライフワークとして取り組ませていただいていて、ライブもしています。

 

ー小説の朗読、ぜひ、聴いてみたいです。今日の収録を聴かせていただいても、ちょっとした接続詞のひとつにも、何かが籠っている感じがしました。

中村 接続詞、すごく大事にしているんです。気付いていただけて、すごく嬉しいです。接続詞で次に来る言葉を予測できるような読み方をしたいな、と思っているんです。例えば、「しかし」の言い方ひとつとっても、その後にいいことがくるのか、あるいはあまり知られていない内容がくるのか、そういうことを少し予感させるような読み方ができたらなあ、と。

 

ー所々、接続詞の読み方に、ハッとさせられることがありました。でも、その後にくる言葉を聴くと、それがとても自然に繋がって、「ああ、なるほどな」って思うんです。

中村 とても嬉しいです。本文じゃないけれど、とても大切だなと思っているところなので。

 

▲身振り、手振りを使いながら、気持ちを込めて読む中村さん。

 

ー美術展の音声ガイド、ということで、特に気をつけてらっしゃることはありますか?

中村 音声ガイドってやっぱり特殊だと思うんです。イヤホンで一人の人が聴いているんですよね。ですから、絵とそれを観ている方と私の声だけの世界。金子さんの解説は、お客様と私が一緒に観ている、という感覚になれる文章なので、私もたった一人の方と一緒に絵を観ている感覚で、読ませていただいています。自然にそういう世界に入れるので、すごく楽しいんです。

 

ー中村さんの楽しい気持ちが伝わってきました。今日、音声ガイドの原稿を事前にもらって、私も頭の中で読んでいたのですが、中村さんが読まれるものは、私が頭の中で読んでいたものと違うんです。その違いが、すごいと思いました。

中村 そうでしょうか。

 

─はい、私の頭の中より楽しいんです。例えば、岸駒の《寒山拾得図》の解説のところで、「この絵の気持ち悪さは破格です」という文章があります。ここで金子学芸員は、気持ち悪さがダメだというのではなく、気持ち悪いのがいいことだと言っているわけですが、それが、中村さんのナレーションだと、すごく楽しく伝わってくるんです。

中村 ここ、実は私もすごく感心させられたところでした。「気持ち悪さ」を褒める言葉として、「破格」という言葉を持ってきたところがすごいですよね。「抜群」って書いてもダメですし、「破格」以外にないんです。

 

ー金子学芸員は「中村さんは、文章の理解力も卓越しているんだ」とおっしゃっていました。

中村 いつも、私がどこまで理解できているかはわからないのですが、金子さんがお書きになることをそのまま伝えることができるように、どこがポイントか、どの言葉を立てたらいいのか、何が狙いか、など、私のできる範囲では考えるようにしています。もし私の理解が外れていたら、収録の現場でおっしゃっていただけるのかな、と、思いつつ、いつもスムーズにやらせていただいていて、本当にありがたいです。

 

ー府中市美術館は、今年で二十周年を迎えますが、中村さんとは、開館当時からのお付き合いと聞きました。

中村 そうなんです。開館の時に、美術館を紹介する様々なビデオなどをつくられて、そのナレーションをさせていただきました。

 

ーそれ以来、何回かの例外をのぞいて、ほとんどの音声ガイドが中村さんの声。評判も良いそうで、「毎回、借りるのが楽しみです」と、わざわざ言いにきてくださるお客さんもいらっしゃるほどだそうです。

中村 ありがたいことです。今回も多くの方に、楽しんでいただけたら本当に嬉しいです。

 

▲アクセントや読みに関するメモでいっぱいの、中村さんの原稿。

 

実を言うとこれまで、取材などの場合をのぞいて、音声ガイドを借りることは、あまりなかったのですが、今回、中村さんの読まれる現場に立ち会って、音声ガイドに対する意識が、ガラッと変わってしまいました。本当にすごいです! 他の方はどうかはわかりませんが、中村さんが読むならば、借りた方が絶対、楽しく鑑賞できるに決まってます。これからは絶対に借りようと心に誓いました。

(図録制作チーム、久保)

 

特別協力:ノムラテクノ株式会社、株式会社ジーアングル

 

展覧会場をつくるお仕事って?

ひとつの展覧会ができるまでには実に様々な工程があります。中でも、「展覧会場の設営」は、春の江戸絵画まつり担当の金子学芸員が、「いちばん好きな仕事のひとつ」と話す、開幕直前の「山場」です。私も、設営の現場に立ち合わせていただく度に、朝からたくさんの大工さんや経師屋さんが来て、皆で会場を造り上げていく、その賑やかな様子、職人さんたちのわざと素晴らしい手際に、感動してしまいます。

▲設営初日、何もない展示室に、3×6(さぶろく)パネルがたくさん搬入されます。

 

▲設営の日は、朝から、色々な音が賑やかに響きます。

 

会場の設営を手掛けるのは、美術展業界で昨今、超売れっ子の設営会社「くんカンパニー」さん。その代表の花形一雄さんにお話を伺いました。

 

 

ー今回の「ふつうの系譜」展の会場づくりは、3日間。あっという間に出来上がってびっくりしています。職人さんがたくさん出入りしていましたが、何人くらいいらしたのでしょう?

  

▲その場で、黙々と、きびきびと作業をされる大工さんたちのかっこいいこと!

 

花形一雄(以下、花形) 今回は、3日間で大工が15~16人、経師(きょうじ)が25人、それからグラフィック1人です。

 

ーグラフィックというのは、何をなさる方なのですか?

花形 展示会場での「文字」に関わることをやってくれる人です。あそこにある、「ふつうの系譜」というタイトルや、解説、それから導線を示す矢印なんかも、グラフィックの仕事です。

 

  

▲グラフィック屋さんが、タイトルを入れます。

 

ー展覧会の設営とひと口に言っても、色々なお仕事があって、ずいぶんたくさんの人手が必要なんですね。普段、私などには耳慣れない職業も多くて、経師屋さんが紙を貼る方たちだということすら、初めて知ってしまいました。花形さんが集めてこられる職人さんたちは、皆さん、本当に凄腕の方ばかりと伺いました。経師屋さんたちの技など、私のような素人の目にも本当に素晴らしくて、Twitterで紹介した時も、とても反応が良かったです。

 

 

花形 親方は今井さんと言いますが、あの経師屋さんは、本当に上手いんですよ。ふつう経師屋さんって、腰から雑巾をぶら下げているでしょ?

 

ー雑巾? どうしてですか?

花形 経師は紙裏にローラーで糊を引いて付けるのですが、その糊は、はみ出ることが当たり前で、それを拭き取るために雑巾が必要になります。でも、今井さんところの経師屋さんはみんな、雑巾を使わないんです。

 

ー確かに、そうでしたね。

花形 普通、糊はどうしても出ちゃうもので、だから雑巾で拭き取るんですが、そうするとどうしても、乾いた時にその部分が光っちゃうんですよね。今井さんのところは、意識が違うんです。はみ出したら拭けばいいやと思っている人たちと、はみ出さないという前提でやっている人たちでは、仕上がりが異なるのは当たり前ですよね。

 

  

▲脚立に立つ姿がもうかっこよくて、しびれます。指先を見ると、細心の注意を払って貼っていることがよくわかります。

 

ーそういう凄腕の職人さんとは、どうやって出会うんですか?

花形 今井さんとは、昔、ある国立博物館の仕事で、非常に扱いづらいクロスを使わなければいけない時があって、その時に知り合いました。

 

ーどんなクロスですか?

花形 エイトクロスという、普通は上製本の装丁などに使う布クロスで、展示会場にも時々使うんですが、ちょっとでも糊が付くと、もう落ちない。扱いづらいので、普通は貼る前に撥水加工をかけてもらうんです。でも、その時は、納期が非常に短くて、撥水加工を施してもらっている時間がなくて、どうしようかと困っていたところ、その紙屋さんが、「すごい上手くて、撥水加工なしでも貼れる経師屋さんがいる」と教えてくれたんです。

 

ーそれが今井さんだった!

花形 そうなんです。それでやってもらったら、全然はみ出ない! それ以来のお付き合いです。高いのですが、仕上がりを見たら、それも納得です。

 

ーいい職人さんたちとの出会いが重要なんですね。花形さんのお仕事は、そうした職人さんたちの取りまとめ役、といったところでしょうか?

花形 会場設営の全般を請け負うのが仕事です。「木工屋さん」なんて呼ばれたりします。そもそも、僕も大工なんですよ。

▲図面とにらめっこの花形さん。

 

ー確かに、花形さんもトントンやってらっしゃいましたね。展覧会の設営のお仕事には、いつ頃から携わってらっしゃるんですか?

花形 初めはイベントや展示会のブース制作をやっていたんですが、独立して、最初に展覧会設営を請負ったのは、2002年のことです。その少し前に、インターネット博覧会の授賞式で、美術展の仕事をしている方と出会ったことがきっかけでした。

 

ーインターネット博覧会で何か受賞なさったのですね?

花形 そうなんです。「イベントブースビルダー入門」という今でいうブログのようなものをやっていて、そこで、イベント会場の設営の仕方や、CAD(コンピュータを使って設計すること)を取り入れた設営のことなんかに関するマニュアルのようなものを載せていたら、なんと、それが審査員特別賞を受賞したんです。

 

ーそれはすごいですね! それから20年弱、今では、上野界隈で引っ張りだこと聞いていますが、そうした大規模展覧会と、府中市美術館の展覧会、双方の設営を手掛けられていて、何か違いみたいなもの、ありますか?

花形 うーん、全然違いますよね。金子さんや音さん、府中の先生方は、何でもかんでも全部自分たちでやるから、すごいなあと思いますよ。例えば、この前まで僕がやっていたところなんかは、完全に僕らにお任せでしたし、作品展示の当日まで、館の人は誰もこない、なんてことも普通ですよ。

 

ー金子学芸員なんか、細かなところまで全部、ご自分で決めてらっしゃいますよね。設営の現場にもずっといて、花形さんと打ち合わせをしているところは、とても楽しそうです。

▲金子学芸員、音学芸員と打ち合わせをする花形さん(右)。

 

花形 そうですね。府中市美術館さんとは、2004年以来の付き合いになりますが、音さんと一緒に紙屋さんに経師紙を探しに行ったり、夏の「ぱれたん」で巨大万華鏡を作ったりと、思い出深いお仕事もたくさんあります。

 

設営終了後、帰り支度をなさっていたところをお引き留めして、お話を伺いましたが、インターネット博覧会での受賞から、超売れっ子の設営屋さんとなるまでの歩みを、本当に楽しそうにお話しくださいました。次回、お目にかかる時には、もうちょっと、設営に関する苦労話など、詳しいお話をお伺いできたらと思います。

(図録編集チーム、久保)

 

▲笑顔がとっても素敵な花形さんでした!

図録、校了しました! そして印刷。 100%満足の仕上がりです。

秋の撮影から始まった図録が、校了を迎えました。

 

前回の日記でも書いたとおり、今回はほぼ全ての写真が撮り下ろしで、いい状態の画像を入稿することができました。さらに、東京印書館のプリンティング・ディレクターの高柳さんは、もう本当に、百戦錬磨の超すごい人な上に、作品の撮影にも立ち会ってくださいました。

▲撮影時に高柳さんがとったメモ。「Greenの色調差あり」とか、「雲部分は金泥ある」とか、画像だけでは見極めが難しそうなことが、書かれています。

 

というわけで、初校の段階からとてもいい仕上がり。それでも、地色の色調が赤っぽく出てしまったり、墨色がきちんと出なかったりと、江戸絵画ならではの難しさはやはりあって、微妙な調整が必要でした。美術本を作る時、いつも色校正の段階で、とっても悩みます。この色、なんか違うんだけど、どうやって指示を入れたら、思う通りに印刷所が直してくれるのかしら、と。

ですが、今回のFace to Faceの色校では、編集サイドの言葉にしきれない意向を高柳さんがどんどん汲み取ってくださるので、「ああ、こうやって印刷の言語に変換していくんだなあ」と、とても勉強になりました!

▲色初校紙。私の指示は赤字。それを高柳さんが青字で印刷用語に「翻訳」してくれます。高柳さんはなかなかの達筆で、まるで呪文のようですが、現場の方はきちんと解読できます。

 

▲色初校時の打ち合わせ。「うずらがもっと、存在感あるんですよね」というような印象を伝えると、そのように印刷の方向を持って行ってくれます。

 

このようなやりとりを経て、先日、ついに校了! 印刷が始まるということで、東京印書館の工場に、印刷の立ち会いに行ってきました!

印刷立ち会いとは、印刷の現場に行って、最終的に色などを確認して、OKを出すことです。

▲再校戻し時の赤字がきちんと反映されているかどうか、確認していきます。

 

▲版を見ながら、印刷機の前で最終調整をしてくれます。手前のつまみで、インクの濃度が調節ができます。この時は、手前の伝又兵衛の作品の墨を少しだけボリュームアップ。

 

▲墨のボリュームを調整後の刷りでは、伝又兵衛、ぴしっと締まった印象になりました。金子学芸員が「責了」の意味のサインをします。

 

▲印刷機の周りはこんな感じ。高柳さんが校了紙をチェックして、微調整。OKが出ると、後ろの印刷機で、じゃんじゃか刷られていきます。

 

▲工場の天井部分には、パイプラインが走っていて、インクが印刷機へと送られています。

 

▲パイプラインをたどっていくと、こんなに大きなインクのタンクが! 基本の4色が入った220リットルの大きな缶です。

 

こうして、無事、印刷立ち会い(と工場見学)も終わりました。もう、色については思い残すことのないくらい、満足な仕上がりです。

これを書いている今頃もう、全部刷り終わって製本中。今回は仮フランス装という素敵な造本なのですが、そのことはまた後日、詳しく書きたいと思います。

(図録制作チーム、久保)

 

 

撮影のこと①図録の写真、ほとんど撮り下ろしました。

ふつう展、正式名称「ふつうの系譜 「奇想」があるなら「ふつう」もありますー京の絵画と敦賀コレクション」展、開催までいよいよ2ヵ月を切りました。目下、図録の制作が佳境を迎えつつあります。

ふつう展は、若冲や蕭白ら奇抜な絵を描いた「奇想」の画家たちに対して、やまと絵や土佐派といった古くからの画派に属する、「ふつう」の画家たちの残したものを、改めて、じっくりと見てみよう、という内容の展覧会です。

▲ポスターのメインビジュアルは、「ふつう」の画家の代表する土佐光起の描いたお姫様。

 

「ふつう」の画家たちは、その時々において、顧客となる人々が求めるものを描いてきましたが、彼らの仕事とは、ひと言で言えば「きれいなものづくり」です。ということは、ふつう展の図録とは「きれいなもの」図鑑なのです。

ですから、図録の制作にあたっては、「図版の美しさ」に徹底的にこだわろう、ということになりました。当たり前のことのように聞こえるかもしれませんが、それが意外と難しいのです。通常、美術展の図録を作る際、作品の画像は美術館などの各所蔵機関から借用して印刷にまわすものです。たとえ一枚一枚の画像のクオリティが良くても、それぞれに異なる条件下で撮影された画像を使って、記憶を頼りに色校正をし、仕上げるというのは、言うほど簡単なことではありません。そこで今回は、可能な限り全ての作品の写真をこの展覧会のために撮り下ろすことを計画しました(結果、1点を除いて全ての作品を新たに撮影することができました!)

▲撮影初日。まずは、屛風などの大物から始めます。

出品作品の9割は敦賀コレクション、つまり、敦賀市立博物館の所蔵品です。通常、作品をお借りするのは、展覧会の直前なのですが、今回は、撮影のためにそれを大幅に早めて、半年前にほとんどの作品をお借りし、府中市美術館で撮影を行いました。

▲箱を開けると、美しさに歓声が上がります。

実物の「ふつう画」は本当にきれいな作品ばかりです。岩絵の具の輝き、墨の色の多彩さ、金の豪華さ、描線の繊細さ──やまと絵や狩野派の作品を「主役」として、じっくり見る機会を、持ったことのない私には、どれも本当に驚くべき美しさで、「すごい!」「きれい!」を連呼するばかりでした。ぜひ、皆さんにも会場でじっくりとご覧いただきたいです。

▲撮影現場には、東京印書館の「超すご腕」プリンティング・ディレクターの高柳さんもご同席なさって、一つ一つの色をご確認くださいました! 色校正はこれからですが、本当に楽しみです。

(図録制作チーム、久保)

今度は「ふつう展」日記です!

「へそ展」日記、読んでくださっていた皆さん、どうもありがとうございました。

今度は「ふつう展」日記を始めます。来年3月、「ふつうの系譜」展が始まって、それから閉幕するまで、いろいろなことをここでお伝えしていきたいと思っています。

 

どうぞよろしくお願いいたします!!

(図録制作チーム、久保)

国分寺→府中、将軍様をめぐる散策

せっかくへそ展へ行くなら、周辺も散策してみよう! というこで、これまで府中通信施設浅間山公園をご紹介してきた「へそぶら」シリーズ。ゴールデンウィーク拡大版の今回はちょっと本格的にぶらぶらしてみたい人向けの散策ルートをご紹介します。

府中市美術館へ電車で行く方はほとんどが京王線府中駅か東府中駅、またはJR中央線武蔵小金井駅からバスをご利用かと思いますが、今回私が降り立ったのは、JR中央線西国分寺駅。

▲美術館との位置関係はこのようになっています。

今回はここから歩いて美術館を目指すのですが、2ヵ所寄り道します。「武蔵国分寺跡資料館」と「大国魂神社(おおくにたまじんじゃ)」です。寺社巡りといえばそれまでですが、これが、「へそ展」とおおいに関係があるのです。

▲ということで西国分寺駅南口を出発です。

まずは「国分寺」を目指します。聖武天皇の詔で全国に建立された国分寺のひとつ、武蔵国分寺跡です。武蔵国分寺は、鎌倉末期の戦で焼失(現存の国分寺は、その後新田義貞が再建した真言宗豊山派の寺院)し、今はその跡地が国の史跡に指定されています。武蔵国分寺は、全国の国分寺の中でも有数の規模だったそうで、とにかく広大。街中いたるところに史跡があります。

▲西国分寺駅から数分のところにある東山道武蔵路史跡。古代の官道(都と国府を結ぶ道)です。この東山道武蔵路の東側に僧寺、西側に尼寺(国分尼寺)が置かれていました。
▲竪穴式住居跡なんかを見つつ、さらに進んでいきます。
▲いよいよです。僧寺伽藍中枢部跡地。
▲本尊を安置する金堂や講堂、鐘楼などがあった中枢部。現在は緑地になっています。

 

ここまで来ると、お目当て「武蔵国分寺跡資料館」はもう少しです。

▲資料館は「おたかの道湧水園」にあり、入口の「史跡の駅 おたカフェ」で入場料を支払います。一般100円です。
▲園の入口は、「旧本多家住宅長屋門」で、市の重要文化財。江戸末期の建築です。
▲資料館に入ると、再現ジオラマがお出迎え。国分寺がどうなっていたかよくわかります。中央にあるのが、先ほど見てきた伽藍中枢部ですね。

さて、いよいよお目当てです。

▲これです!

なんだかわかりますか? 兎、ピヨピヨ鳳凰、木兎で皆様の心を鷲掴みにした、三代将軍家光の朱印状です。徳川将軍は寺院や神社を保護するために朱印地を与えましたが、その証文というわけですね。上様といえども、流石に本業ではお絵描きのような独創性を発揮する余地はなかったようです。

▲ギャップをお楽しみください。

 

国分寺史跡は、他にも七重塔跡地や、国分尼寺など見どころたくさんなのですが、いつまでたっても府中にたどり着けませんので、朱印状でテンションが上がったところで、移動します。

▲国分寺の史跡群を抜けると、異様な壁にぶつかりました。府中刑務所です。
▲東芝府中工場のエレベーター試験塔も見えます。

 

次に目指すは、府中市美術館とは府中駅の反対側に位置する大国魂神社。東京五社のひとつ、武蔵国の総大社です。府中街道をひたすら南下していきます。

▲しばらく歩くと美術館通り。左折すれば府中市美術館ですが、直進します。
▲甲州街道を越えると、そこは、
▲われらが京王線! 府中駅はすぐそこです。
▲天然記念物という銀杏並木を抜けると
▲大国魂神社です。
▲境内では間近に迫った「くらやみ祭り」の準備が着々と進んでいました。今年はへそ展とのセットもいいですね。
▲結婚式にも遭遇しました。おめでとうございます。
▲お詣りを済ませたら、目的の宝物殿へ。

 

大国魂神社の創建は西暦111年と、その歴史は古いのですが、府中市美術館の金子学芸員にうかがったところ、近世の歴史は徳川家康による大造営に始まるのだとか。その本殿は、1646年に火災で焼失したものを四代家綱が再建を命じて1667年に完成したもの。現存します。そう、家綱様です。へそ展とつながりましたね。

本殿は残念ながら特別な日にしか公開されないのですが、ここ大国魂神社にもやはり、将軍様の「朱印状」が残されています。徳川幕府からの社領寄進の朱印状として、六代・七代・十五代将軍を除く、歴代将軍の12通もの朱印状が残されているのです。この宝物殿には家光・家綱親子の朱印状が並んで展示されています。館内撮影厳禁なので、写真はご紹介できません。気になる方は、へそ展の親子展示と併せて、ぜひ皆様の眼でお確かめください。

▲家光・家綱親子、朱印状はともかく、自分たちの描いた絵が並べて展示されている未来を想像していたでしょうか?

 

いかがでしたか? へそ展で家光・家綱親子画伯に魅せられた私は、府中市美術館のこんなに近くでその痕跡に触れらるということに、とても不思議な感慨を覚えました。日本美術にこれまでにないムーブメントを起こしつつある秘密には、国分寺と大国魂神社という武蔵国二大パワースポットに残された将軍様たちの何かがあったとしか思えないのです。

 

今回の散策、なんと3時間に及ぶ大行軍となってしまいましたので、この後へそ展を鑑賞する体力が残っているかどうかは保証いたしかねます。国分寺と大国魂神社、どちらかだけというコースでも十分かもしれません。それでも武蔵国国府の史跡の数々を歩いていて、「府中がなぜ府中なのか」ということに少し触れられた気がした、そんな散策でした。

ぬこ
▲おまけ。今回の散策で遭ったねこ。

 

(図録制作チーム、藤枝)

 

 

 

若冲の「振り幅」とへそ展の若冲

福島県立美術館で開催中の「伊藤若冲展」人気ですね。制作チームも先日、行ってきました!《象と鯨図屏風》や《百犬図》など、これまで金子信久学芸員の本でもおなじみの若冲から、見たこともない大胆な絵まであってとても面白くて、福島に行った甲斐があったと思いました。

若冲と言えばへそ展にも出ています。彩色のある《伏見人形図》が2点に、《鯉図》《福禄寿図》2点の水墨画、計4作品です。──というわけで、「へそ展の若冲」について、金子学芸員にいろいろと聞いてみました。

──へそ展の若冲は4点。ちょっと少なめですよね。

金子信久学芸員(以下、金子) そうかもしれませんね。そもそも毎回、どうしても「若冲」がほしいと思って出しているわけではないんです。あくまでテーマありき。けれども、若冲はやっぱり魅力的な画家で、しかもアイデアが豊富で創作の幅が広いので、いろいろなテーマに引っかかってくる、というわけです。

               

▲へそ展出品中の《福禄寿図》と《鯉図》

 

 

──今回は、「へそまがり」な若冲を選んだ、というわけですね。

金子 若冲は本当に「へそまがり」な画家だと思います。あれほどの技術を持ちながら、《伏見人形図》のようにあえて素朴な絵を描いたり、《福禄寿図》のように突拍子もない造形を描いたりするのですから。《鯉図》も面白いですよね。鯉なんて古くからたくさん描かれてきましたが、こんなにびっくりするような形の鯉の絵は、それまでには全くなかったのですから。今回は、「動植綵絵」のような細密な絵を仕上げた若冲とは異なる、ゆったりとしたユーモアあふれる若冲の一面を楽しんでいただけたらと思いました。

▲《伏見人形図》。素朴な造形ですが、とても美しい作品です。

 

──福島の若冲展、初めて見る若冲もたくさんあって、とても面白かったです。初めての若冲といえば、今回の《福禄寿図》もそうですが、これまでに府中市美術館で展覧会デビューした若冲はたくさんありますよね?

金子 そうですね、「江戸絵画まつり」で一般初公開となった作品はいろいろありますが、なかでも《河豚と蛙の相撲図》は思い出深い作品です。あの絵は、「かわいい江戸絵画」展(2013年)の開幕直前に、作品借用の時に借用先で拝見したのです。その場ですぐに出品を決めました。けれども図録はすでに出来上がっているタイミングだったので、別刷りで作品解説を作って、図録に挟み込んだことを覚えています。

 

▲展覧会後に発売された書籍版『かわいい江戸絵画』には、《河豚と蛙の相撲図》を収録しています。

 

──《河豚と蛙の相撲図》は今では京都国立博物館の人気作です。

金子 出世してくれて嬉しいかぎりです。

 

──あの作品には、若冲のサインがありませんね。

金子  はい。ハンコだけ押されています。若冲の水墨画はたくさんありますが、サインや年齢が書かれているものは非常に少ないのです。若冲には何人も弟子がいて、若冲の制作を手伝っていたのではと推測する人もいますし、研究者の中にはハンコしかないものはその工房での作ではないかと考える人もいます。そもそも、江戸時代のほかの人気画家の例からみれば、弟子が手伝っていた可能性が無いとはいえませんが、文献的な根拠はありません。けれども、《河豚と蛙の相撲図》が若冲の作であることを疑う研究者はいないでしょう。

 

──若冲の水墨画はたくさんあるわけですが、描き方は同じなのでしょうか?

金子  大まかに見ればだいたい同じですし、細かく見ればいろいろです。同じ図柄の絵をいくつも描いていますが、少しずつ描き方を変えてみたりしています。それに出来栄えの違いもあります。そりゃそうですよね。むしろ、同じ図柄の水墨画をいくつも比べてみて、若冲の試行錯誤や筆をとった時の気分の違いを想像してみるのも、楽しい見方かもしれません。

 

──出来栄えの違いがあって当然という意味でしょうか? テレビや漫画などではよく、鑑定士のような人が作品をパッと見て「うーん、筆の冴えがないから偽物!」というような場面が出てくるようなイメージがあります。

金子  確かに、時々「筆の冴え」がどうこうというようなことを言って、それで真贋とか弟子の作かどうかを決めたがる人もいるようですが、作品をたくさん見れば見るほど、そんな単純な判断なんてできないことに思い至ります。若冲に限らず、どんな画家でもそうですが。

 

──そういった点も含めて、改めて若冲の魅力はどこにあるのでしょうか?

金子 動植綵絵のような細密でがっちりしたものを描いたかと思えば、へそ展に出ている《伏見人形図》や《福禄寿図》、《鯉図》のような、おかしな絵を描いたりと、その振り幅の大きさもいいですよね。それは時に、見ているこちらが困惑するほどですが、そこが魅力になっているんです。それと、若冲といえば、篤実な仏教徒で、絵のことばかり考えた、というイメージを持つ人が多いようですが、若冲は意外に人を笑わせたり、和ませたりという、サービス精神たっぷりな画家だったと思います。私は、何よりもそこが大好きです。

▲後期展展示中の《伏見人形図》。

 

以前どこかで、「筆の冴え」のような印象だけで作品の良し悪しを語るのを耳にして、なんだかモヤモヤした記憶があったのですが、金子学芸員の説明を聞いてスッキリしました!

若冲を山ほど見てきた金子学芸員が、「へそまがり」をキーワードに選りすぐった若冲4点、本当に面白い作品です。ぜひ、展覧会場で実物をご覧ください。(図録制作チーム、久保)

Copyright©2022 府中市美術館 All Rights Reserved.