「ふつう展」日記

ひとつの展覧会の裏側には、展覧会を訪れただけでは見えない、さまざまなプロセスと試行錯誤があります。「ふつう展」日記は、「ふつうの系譜 「奇想」があるなら「ふつう」もあります 京の絵画と敦賀コレクション」展、略して「ふつう展」に関わるスタッフが、折々に皆さんにお伝えしたいことを発信するブログです。


敦賀を歩く(2)建築を巡ってみよう

敦賀市立博物館で『「ふつうの系譜」おかえり展』開催も決まりまして、敦賀行きを計画している方も多くいらっしゃると思います。

ということで、敦賀散策ネタ第2弾です。
前回ご紹介したように、敦賀は歴史ある街。散策していると様々な文化財を観ることができます。今回は、建築物で巡る敦賀です。

 

まずは、前回も登場した「敦賀赤レンガ」から。こちらは「旧紐育スタンダード石油会社倉庫」で、北棟、南棟、煉瓦塀がそれぞれ国の登録有形文化財に指定されています。

 

▲敦賀赤レンガ(旧紐育スタンダード石油会社倉庫)

 

1905年に建設された、石油貯蔵用の倉庫。wikipediaによると、外国人による設計で、フィート単位で造られ、オランダ製煉瓦が使用されているとか。

▲こちらが南棟。煉瓦の積み方は「イギリス式」ですね
▲北棟には前回ご紹介した「ジオラマ」があります。社名が確認できます

▲この「塀」も登録有形文化財です

 

▲ジオラマでは往時の姿を観ることができます。このジオラマの楽しさついては、前回の記事をご覧ください

 

敦賀にはもう一つ建築的に重要な「倉庫」があります。赤レンガから徒歩7〜8分の海沿いにあるのが、敦賀倉庫。こちらも国の登録有形文化財。

▲旧敦賀倉庫株式会社新港第1号・第2号・第3号倉庫

こちらは1933年竣工、当時最先端のデザインが採用された鉄筋コンクリート造りです。

▲この端正さ。かっこいいです!
▲奥に見える木造のものは第4号〜第8号倉庫で、戦後に建てられたもの

 

 

 

そして、敦賀が誇る近代建築の文化財といえば、旧大和田銀行本店。そう、現敦賀市立博物館です。2017年に国の重要文化財に指定されました。昭和の銀行建築としては全国初の重文です。

▲敦賀市立博物館(旧大和田銀行本店)

 

1927年竣工。地上3階、地下1階で、地上部は鉄骨煉瓦造り、地下が鉄筋コンクリート造りです。設計は京都大学の一連の施設の建築で知られる永瀬狂三らで、施工は清水組京都支店。銀行としてだけでなく、レストランや公会堂なども置かれた、当時としては珍しい銀行建築です。
威厳と開放感を兼ね備えた、敦賀の街のシンボルだったのでしょう。

 

 

▲青空に映える、凜々しい建物です。

 

 

この建物の魅力は、『ふつうの系譜』展図録でもたっぷりご紹介しておりますので、ディテールはそちらでもぜひご確認ください。

 

 

▲重厚感あふれる玄関

 

▲1階には銀行窓口の名残

▲2階には貴賓室

▲3階は公会堂として使用されていました

▲国産最初期のエレベーターも観ることができます

▲意匠を見て回るのも楽しいです

 

ということで、敦賀市立博物館へ行くなら、赤レンガ、敦賀倉庫との「建築3点セット」をぜひお楽しみください。

 

おまけ。敦賀駅から敦賀市立博物館まで、歩いてみました

 

 

 

▲もう一つおまけ。赤レンガのジオラマにある旧大和田銀行本店。屋上にいる人は誰でしょう?

 

(図録制作チーム、藤枝)

 

 

敦賀を歩く(1) 敦賀で「鉄分」を補給しよう

会期中に無念の閉幕となってしまった『ふつう展』。ワタクシ街歩き担当(?)も写真で参加しておりましたので、本当に残念です。
それでも、作品が敦賀にある限り、お目にかかる機会は必ずやってくるはず。そう信じてます。そして、作品だけでなく、敦賀という街の魅力も皆さまにご案内したいーー。

 

そんな思いで、『へそ展』でもお送りした番外編、「街歩き」ネタを書いてみます。
外出自粛で旅を渇望していらっしゃる皆様のために、路上観察趣味の私が見た敦賀をお届けします。

 

私が敦賀を訪れたのは、図録の編集作業が佳境に差し掛かる前の昨年12月、東京から日帰りという強行軍でした。限られた時間で主題である博物館取材をし、日本海の海の幸を食べて帰らなくてはなりませんでした(←こういうことをしているから時間が足りなくなるのですが)ので、その魅力のごくごく一部にしか触れることができなかったことを、最初にお断りしておきます。

 

そんな短時間でも、敦賀の街にはたくさんの見所がありました。歴史好き、建築好き、路上観察好き……皆様の様々な趣味を満足させてくれると断言できます。

 

ということで、「敦賀を歩く」シリーズ第1回のテーマは、「敦賀で鉄分を補給する」です。そう、敦賀は日本の鉄道史上重要な「鉄道の町」で、散策でも存分に「鉄分」を補給することができます。

 

敦賀を訪れたのは2019年12月19日。北陸日本海側の寒さを覚悟して降り立ちましたが、この日はそれほど寒くなく、散策日和でした。

まずはタクシーで史跡「金ヶ崎城址」にある神社、金崎宮を目指していますと車中から、ガードレールで分断された線路、つまり廃線跡が見えます。

▲現在は使われていない線路

 

タクシーを降り立つと駐車場の隅にひっそりと煉瓦造りの小さな建物があるのに気づきます。国内最古の鉄道建築物のひとつ、「旧敦賀港駅ランプ小屋」です。

▲駐車場の隅にあまりにひっそりあるので、一瞬トイレかと……

 

そう、敦賀の鉄道の歴史は古く、日本の鉄道開通から10年後の1882年には敦賀港駅(当時は金ヶ崎駅)ー洞々口間(仮駅)で鉄道が運行されます。先ほどの廃線跡は旧敦賀港駅を終点とした敦賀港線で、このランプ小屋は敦賀港駅開業当初から残る鉄道遺産というわけです。

ランプ小屋はその名の通り、当時の鉄道に使われていた灯火の燃料を保管する場所。2015年に修復復元が行われ、現在はその内部も含めて公開されています。

 

▲回り込んでみます

 

▲中はこんな感じ。SLのランプが展示されてます。赤は旅客列車、青は貨物のサインです。

 

▲戦後の頃に使われていた灯油用のドラム缶です
▲鉄道開通当時の敦賀

 

敦賀港駅はウラジオストク航路と接続する欧亜国際連絡列車の拠点でした。列車で東京の新橋駅から金ヶ崎(敦賀港)駅まで。そしてそこから海路をウラジオストクへ渡り、シベリア鉄道に乗り継ぐ。大河ドラマ「いだてん」をご記憶の方も多いと思いますが。金栗四三たちもこのルートで、日本人初のオリンピック選手として、日本を出発したのです。
第二次大戦で航路が廃止になったことから、敦賀港線の旅客運輸は休止、1940年以降は貨物専用線(北陸本線貨物支線)となります。その貨物線も2006年に休止となり、その後敦賀港駅はORS(オフレールステーション。トラック輸送でコンテナを扱う貨物駅)となったため、線路は使われなくなったのです。

▲その後2019年に敦賀港線は完全に廃止となりましたが、現在もコンテナ輸送は行われているようです。

 

▲廃線跡としてはまだ「新しい」ので、今にも列車がやってきそうです

 

敦賀の鉄道の歴史については、旧敦賀港駅駅舎を模して造られた「敦賀鉄道資料館」で展示される様々な資料で深く知ることができます。

▲敦賀鉄道資料館。ランプ小屋からは徒歩10分ほどです。

 

 

▲いろいろ面白いものが展示されていますが、中でも古レールの刻印がカーネギー社で胸アツです!

 

そういった敦賀の鉄道史を一通りお勉強したら、ぜひ訪れていただきたいのが、「敦賀赤レンガ倉庫」です。国の登録有形文化財である「旧紐育スタンダード石油会社倉庫」を利用した商業施設ですが、ここにある巨大ジオラマでさらなる鉄分を補給しましょう。鉄道資料館からは徒歩数分です。

 

▲赤レンガ倉庫。国の指定文化財、旧紐育スタンダード石油会社倉庫です。建物についてはあらためて。

 

レストラン&ショップとオープンガーデン、ジオラマ館からなる施設ですがとにかく、このジオラマ館に入ってください。観光施設によくあるジオラマを想像して入館すると、これがすごかったのです。

 

赤レンガ倉庫のwebサイトに制作過程が公開されていますが、いろいろと執念を感じる、いつまで眺めていても飽きないジオラマです。

 

昭和20年当時の復元地図をもとに、敦賀の街並み1/80スケールで制作されており、ここで敦賀の鉄道が俯瞰できるのです。

 

▲福井方向から敦賀駅を眺めます

 

▲敦賀駅の敦賀第一機関区(現在は休止)と転車台
▲奥にある船のあたりが敦賀港駅

 

そしてこの鉄道模型、ただ動くだけでなく、マスコンを使って運転することができます。しかも、新疋田ー敦賀間に実際ある「ループ線」区間です。

 

▲ループ線を疾走するキハ52

 

 

鉄道が急勾配を克服するために造られるループ線。新疋田ー敦賀間のループ線は多くがトンネル区間のため「姿なきループ線」として知られています。敦賀から新疋田へ向かう際、敦賀を背にして進んでいたはずが、トンネルを出ると再び敦賀の街が見える……という不思議な体験をする、アレです。

 

▲文章だけではわかりにくいという方のために。これがループ線です。ループすることによって、非力な動力車でも上れるよう10パーミルの勾配になっています。この区間を2つのトンネルがほとんどを占めていて、第2衣掛トンネルを抜けて第1衣掛トンネルに入るまでの一瞬、敦賀の街並みが見えるというわけです。(川島令三編著『図説日本の鉄道 中部ライン 第5巻』講談社刊より)

 

このジオラマでは、キハ52の模型でこのループ線運転を体験できるのです。

 

▲運転は緊張しますね

 

とにかくこのジオラマ、規模といい、細部への作り込みといい、そして模型を動かせたりと、時間を忘れて楽しめます。

▲赤レンガ倉庫の脇にはキハ28-3019気動車(希少車両!)が保存展示されていますので、お見逃しなく!

 

ランプ小屋をスタートして、敦賀鉄道資料館、赤レンガ倉庫と散策には1時間ほどでしょうか。「鉄道の町」敦賀をコンパクトに堪能できる散策コース、オススメです。

 

(図録制作チーム、藤枝)

 

「ふつう展」の開幕と閉幕、これからのこと

ふつうの系譜展、本来ならば、今頃は二カ月間でたくさんの方々に、敦賀市立博物館の素晴らしいコレクションを見ていただけたことの感慨に浸っていた頃かもしれません。

ところが、今回、途中で閉幕という想像もしなかった事態が起こりました。前期、後期ほぼ全点入れ替えの予定が、前期の途中で閉幕となったため、全作品をお披露目することは叶いませんでした。担当の金子学芸員に、開幕から今までのこと、そして今後について話を聞きました。

 

──企画して、準備して、ようやく開幕に漕ぎ着けた展覧会、途中で閉幕となってしまって、本当に無念ですね。

今思えば、開幕できたことがしあわせだったと感じています。17日間のことでしたが、三千人を超えるお客様に来ていただけました。その間にグッズや図録もたくさんお買い上げいただきました。展覧会というのは何度担当しても、実際に開いてみるまで不安なものですが、今回も、「ふつう展、楽しかった」という感想を、アンケートやSNSでたくさんいただけて、ほっとしました。

▲仮フランス装の図録、印刷も本当にきれいな自信作です。

 

▲応挙の子犬をあしらった箱入りの豆菓子が大好評でした。

 

──前期の途中で休館となり、後期を一日も開館することができませんでした。

本当に残念です。各地で美術館が休館となっていく中で、感染症対策をしつつ開館していた際には、「府中市美術館、がんばれ」という励ましのお電話があり、電話を受けた職員も、その話を聞いた者も、みんなすごく喜んでいました。SNSでもたくさんの応援をいただき、ありがたいと思いましたが、途中閉幕はやむを得なかったです。

▲後期展示の様子。

 

──会期延長という選択肢はなかったのですか?

そのようなご要望もいただきました。どうするべきか、館内でも真剣に意見を出し合い、色々な意見が出されました。しかし、結局のところ、果たしていつまで延長すれば再び開館することができるのか、その見通しが立たなかったのです。「楽しみにしていた」という声を寄せてくださる方々もたくさんいらっしゃって、多くの方が「見たかったのに」と感じてくださったと思うと、本当に残念です。館内も、「悔しい」という空気でいっぱいです。

 

──話は変わりますが、「ふつうの系譜」というタイトルについて、どんな反応がありましたか?

みなさん、聞いた瞬間、にこやかになってくださるので、いいタイトルを選んだなと思っています。敦賀コレクションの素晴らしさを、どうしたら多くの方にお伝えできるのか──ということを考えて考えて、たどり着いたタイトルですから、好評で嬉しいです。

 

──美術ファンの皆さんにとっては、辻惟雄さんの『奇想の系譜』をすぐに思い起こさせるタイトルですよね。昨年は展覧会もあって話題になりましたし。

「ふつうの系譜」というタイトル案は、スタッフから出たのですが、敦賀コレクションを表すのに言い得て妙だと思ったのと同時に、美術の世界で使うには引っかかりがあるこの言葉を、あえて使ってみたいとも考えたんです。そして、『奇想の系譜』にひっかけたのと同時に、「美術はきれいが当たり前」という、敦賀コレクションの最大の魅力をストレートに伝える意味を「ふつう」という言葉に込めました。ですから、広報でもそのことを前面に出してきました。

▲展覧会の冒頭は、「奇想」の画家の作品が並びます。写真は後期展示の様子。

 

──『奇想の系譜』を知らないお客様もたくさんいらっしゃいますしね。

もちろんそうです。一人でも多くの方々に楽しんでいただけるように、ということは展覧会を企画する際に常に頭にあります。その結果、たとえ『奇想の系譜』を知らなくても、「そうだよな、アートといっても気持ち悪いものとか、ぎょっとするものもあるけど、きれいは普通だよな」と思っていただけたようです。また、当時はそれが「ふつう」でも、今見ると、実はかなり個性的と言えるようなものがたくさんある、などと、それぞれの方が感じたり考えたりしてくださったようです。これはとてもうれしいです。

 

──何よりも、「ふつうの系譜」展も、「春の江戸絵画まつり」の一つですしね。

そうなんです。「春の江戸絵画まつり」では、江戸絵画のいろいろな魅力や私たちにとっての価値を、いろいろな角度から眺めてみよう、そうして、それまで気づかなかった楽しさや魅力を見つけていこうとしています。わかりやすい内容もあれば、少し変わった内容の展覧会もあるし、華やかなものもあれば、地味なものもありますが、当館としては、そうやって、毎年来てくださる多くのお客さまと一緒に、江戸絵画のいろいろな楽しみ方を探していこう、楽しみ方の幅を広げていこう、という気持ちで開催しています。時には少し変わったテーマ、ややマニアックに思えるようなテーマがあってもいいとも思いますし、そこからまた、さらに興味を持っていただけたら、と考えています。莫大な利益を目的としない、公立美術館が自前の予算で開催する展覧会だからこそできるのかもしれません。

 

──それにしても、「ふつう展」はこのまま終わり、では何とも寂しいです。

展覧会は、テーマを考えて、作品をリストアップして、どんなところに興味を持っていただけるか、どんなイメージで広報するかを考え、宣伝物を製作したり、PRにつとめたり、そしてかなり手間をかけて図録を作って、会場を考え、作品を並べる……という一連の作業です。それは言うまでもなく、多くの方々に楽しんでいただくためです。今回、その最終目的が、十分には達成できませんでした。会場に展示はしたものの、一度もお客様に見ていただけなかった作品のことを思うと、作品もかわいそうでなりません。

 

──いつか、もう一度皆さんに「ふつう展」をご覧いただける機会があるといいですね。

本当にそう思います。幸いふつう展の場合は、いろいろな所から作品をお借りしてくる展覧会とは違い、敦賀コレクションが主ですから、これで終わりと決めつけなくてもよいのではないでしょうか。「ふつうの系譜」展は、まだ完結していないと思っています。

 

──今後の展覧会のことも心配です。

新型コロナウイルスの流行を経験し、これからは展覧会のあり方が変わるだろう、とか、新しいアートとの付き合い方が生まれるだろう、と、もうおっしゃっている方もいて驚かされます。でも、今までのような展覧会がちゃんとまた開けるように、原状回復を目指すべきではないかと思います。実物の作品が目の前になければ成り立たない美術の楽しみ方もあるわけですから。インターネットがいくら便利になっても、インターネットの世界と現実は違いますよね。秋には当館20周年記念の「動物の絵 日本とヨーロッパ」展も控えていますし、なんとか、皆さんにいい形で作品を見ていただけるように、色々な手立てを考えていきたいと思っています。

 

3月からこの方、楽しみにしていた展覧会が行く前に休館、そのまま閉幕……なんていうことばかりで、美術ファンの方々は本当に残念な気持ちでいらっしゃることと思います。今回、金子学芸員へのインタビューでは、お話の最後に、今年の秋開催予定の「動物の絵 日本とヨーロッパ」展に向けた希望のあるお話も伺えました。今後も注目していきたいと思いますので、皆さんも楽しみになさっていてください!

(図録編集チーム、久保)

 

「姫」の描き方

途中で閉幕となった一昨年のふつう展でも、そして今回のふつう展でも、ポスターの主役は、土佐光起が描いた《伊勢図》です。ポスターの後に実物をご覧になって、あまりの小ささに驚かれた方も多いことでしょう。いつしかスタッフの間で「姫」と呼ばれるようになった作品です。

▲伊勢は、百人一首でも知られる平安時代の歌人。失恋の傷を癒やしに大和の国を訪れ、竜門寺というお寺に滞在して、滝を見て歌を詠んだエピソードを描いた作品です。

 

画面の縦の長さは、100.9センチ。その多くの部分が、墨だけで、しかも、かなりあっさり描かれています。ところが、「姫」だけが、くっきりと濃密に、色鮮やかです。薄暗くてほわっとした光景の中で、そこだけが、きりっと際立った美しさは、ありきたりの言葉ですが息をのむようです。

 

作者の光起は、江戸時代前期の土佐派の画家です。この派は、室町時代から続くやまと絵の派で、宮中の「絵所預」という役職をつとめてきました。社会的にはナンバーワンの地位にあった派といえるかもしれませんが、それだけでなく、日本独特の「やまと絵」の技術や美しさを代々守ってきた派です。そう考えると、今だったら芸術家としてだけでなく、伝統技術の保持者として注目されていても、おかしくないでしょう。

 

一昨年のふつう展の際、ポスターのデザイン案がデザイナーの島内泰弘さんから送られてきた時、本当に驚きました。実物は数センチほどの小さな「姫」の姿を、B2サイズのポスターにしようというデザインだったのです。「この作品を使ってデザインしてください」という依頼はしていなかったので、デザインを見た時、ほんの一瞬だけですが、「こんな作品あったっけ?」と思ったほどでした。次の瞬間には光起の《伊勢図》だとわかりましたが、実物の印象とはまた違う、絵としてのすさまじい完成度の高さを見せつけられる思いでした。

▲一昨年の「ふつうの系譜」展のポスター。

 

実物の印象しか頭になかった私には、およそ思いつかなかった作品の選択です。もしかしたら、デザイナーは、作品のデジタル画像を大きなディスプレイで一つ一つ拡大したりしながら、ポスターの主役を探したのかもしれません。現代の技術が、かつての名手の技と美の素晴らしさを教えてくれたような気がしますが、もし光起がこのデザインを見ても、きっと驚いたことでしょう。余談ですが、一昨年は、開幕後にその島内さんが実物の「姫」と対面して、その小ささに驚くのを楽しみにしていたのですが、展覧会は途中で閉幕となり、叶いませんでした。今年こそ、島内さんにも見てほしいものです。

 

ポスターになり、巨大化された「姫」を見ながら、日々、作者光起の巧みさに驚いていました。展覧会図録の文章でも紹介しましたが、光起は、自ら書いた秘伝書で、目や鼻を描く位置についての秘訣を記しています。ですが、それを知ったところで、細い筆の筆先を使って、目や鼻を、美しく、そしてイメージどおりの位置にちゃんと描くことなど、簡単にはできません。よほどの腕をもった人でなければ、筆を持つ手が震えたり揺れたりして、描けないでしょう。

▲「完璧」という言葉がぴったりな美しさです。

 

《伊勢図》の美しさがどうやって生まれたのか。もう一つのポイントが、彩色の技法です。

 

下の画像は、扇を持つ手の袖口のあたりの拡大写真です。「絵絹」と呼ばれる絵画用の絹に描かれているので、布目が見えます。左から、青色の部分、明るいベージュ色の部分、更に、朱色、ピンク色、少しピンクがかった白、普通の白が塗られ、一番右に暗い緑色の部分が見えます。この色の並びだけでも、とてもきれいです。

 

更に、青く塗られた部分に注目してみましょう。濃く見える部分と、薄く見える部分があるのがわかるでしょうか? 青い部分の形に沿って、濃いところがありますが、その内側は薄くなっています。

▲この写真の範囲は、実物では約1.5センチ四方です。

 

下の写真は、上の写真の一部分です。よくご覧ください。右の方の薄い部分では、青い絵の具は、格子状になった絹の糸の「向こう」にだけ見えています。つまり、絹の裏側から絵の具を塗っているのです。そして、濃い青のところは、絹糸にも色が着いていて、表側から塗られていることがわかります。

▲右の方は、絹目の向こうに絵の具が見えます。

 

恐らく、青く表す部分全体を裏から塗って、一段階濃く表したい部分だけ、表からも塗ったのでしょう。青の絵の具は、岩絵具の「群青」ですが、一種類の絵の具だけで、しかし、それを裏と表から塗ることによって、強弱のある美しさを作り出しているのです。裏側から塗るこの技法は、「裏彩色」と呼ばれています。

▲着物の「地」の部分を塗った後に、金や赤、緑や白で模様を描いています。

 

裏彩色といえば、近年、伊藤若冲の《動植綵絵》に使われていることがわかり、話題になりました。《動植綵絵》の場合は絹目がとても詰んでいるので、表から見ただけではわからず、修理の時にはじめて見つかりました。しかし、ご覧いただいたように、この光起の作品の場合は絹の目が粗いので、拡大写真やルーペを使えば、表からでもある程度わかります。

 

絹という、透けるような素材に描く場合、その特性を生かして裏からも色を塗るのは、平安時代の昔からごく普通のことでした。古代や中世の仏画の研究をしている人たちなどは、作品調査の時に、裏彩色にも注意して観察するのが普通です。私も、江戸時代の絵画を調査する時、裏彩色があるかどうかをできるだけ見るようにしていますが、たとえば、浮世絵師の菱川師宣の作品にも使われていた例があります。若冲や光起のすごさは、裏彩色を使ったことではありません。その手法をどんなふうに使って、どんな効果を出すのか、その技術の生かし方が素晴らしいのです。

 

江戸時代以前の日本には、あまり多くの色の絵の具はありませんでした。しかし、きれいな絵を描くには、色の数が多ければよいというわけではありません。少ない種類の絵の具を使って、工夫を凝らして、見事な「美しいもの」を作り上げる。光起の「色彩の精密感」が醸し出す美しさには、そんな平安時代から続く歴史が生きているわけです。

 

▲こうして見ると、裏彩色の青色にも、濃淡が付けられているのがわかります。

 

(府中市美術館、金子)

音声ガイドのナレーターさんがすごすぎでした。

展覧会の開幕前の重要なお仕事に、「音声ガイドの収録」というものがあります。3月初旬のある日、収録に立ち会う金子学芸員に同行し、その現場を見学させていただきました!

収録の現場は都内のスタジオ、ナレーションをつとめるのは、ベテランナレーターの中村啓子さんです。当日は、まず中村さんから金子学芸員に、アクセントなど、気になる点についての質問がいくつか。その後、中村さん一人が録音のためのブースに入って、収録が始まります。ガイドの原稿は事前にシェアされていて、私も、先に読ませていただいていたのですが、いざ、収録が始まってみて、本当に驚かされました。

▲TVドラマに出てくるみたいな、かっこいいスタジオです。

 

絵の情景が目の前にぱーっと広がるんです。今まで音声ガイドを聴いたことがあるのは、もちろん、展覧会場で絵を目の前にしてのことだったので気づきませんでしたが、収録現場で、中村さんが読んでいる声を聴いていると、その場にない一枚の絵が、実に鮮やかに思い浮かぶことに、心から感動しました。プロフェッショナルな声には、ものすごい力があるんですね。

 

そして、収録後、中村さんにお時間を頂戴し、お話を伺いました!

 

ー絵の中の情景がぱーっと浮かんで来るような読まれ方をされていて、驚きました。

中村啓子(以下、中村) それは金子さんの文章が、情景が浮かぶように書いてあるからなんですよ。言葉が溢れるように豊富で、素敵な文章です。

 

ー読み方も同じようにすばらしかったです。

中村 ありがとうございます。でも、本当に文章がいいの。しかも、そんなにあらたまった言葉ではなくって。

 

ー確かに、金子学芸員は、あまり難しい言葉は使いませんね。

中村 人に話しかけるような優しさで書いてくださっていますよね。だから私、すごく幸せだな、と思って読ませていただいているんです。昨日も、下読みをしているときに、こんな素敵な文章を読ませていただけて、なんて幸せなんだろう、って思っていました。

 

ー中村さんは、ナレーターとして幅広く活躍してらっしゃいますが、他にどのようなお仕事があるのですか?

中村 昔から医学ものなどが多いですね。とても専門的で難易度が高く、私自身が内容を理解しづらいようなお仕事もよくあります。気持ちを入れて、楽しんで読めるお仕事というのは、滅多にないものです。

 

ー皆さんご存知の「時報」の声も中村さんなんですよね。ちょっと話がそれますが、時報の声には、オーディションで採用されたのですか?

中村 時報の収録をしたのは1991年のことですが、その少し前、NTTが音声合成の研究をする時に、「電話で聞き取りやすい声」を探していたんです。人間は20ヘルツから200万ヘルツの間にある周波数の音を聞き取ることができるのだそうですが、電話では、その伝送過程で、300ヘルツより低い音域と、3400ヘルツより高い音域はカットされて聞こえなくなってしまうんです。それで、最初は女優さん、さらに、局アナウンサーも含めて何百人かの声を試してみたらしんですけど、私の声がその幅にすっぽり入る周波数成分だったそうです。私自身はオーディションされていることを知らされていませんでした。ですから、努力の結果というよりは、頂き物のようなものかもしれません。

 

ーガラスの靴のようですね。

中村 本当に。それで選ばれて、色々な音声の研究なんかをずっと一緒にやらせていただきました。そして、104の番号案内をはじめ、様々なものの声を担当させていただく中で、あの時報の声を収録したんです。

 

ー時報の声、懐かしく思われる方も多いと思います。

中村 昔は一日100万件ほども聞かれていたそうです。今はもう、聞く方も減っていると思いますが、長い歳月の中で色々な聞かれ方をしたようで、例えば、ご主人が亡くなって寂しい時、夜中に人に電話をかけたら迷惑だから時報を聴いていたとか、登校拒否になって寂しいから聴いていた、とか、そんな方々もいらしたようです。

 

ー寂しい時に聞くと安心するような声なんでしょうね。

中村 そうなんでしょうか。ただ時刻を告げているだけなのに、不思議ですね。

 

ーちなみに、あれは、全部言ってるんじゃないですよね?

中村 もちろん違います(笑)。時報の収録は、たった1時間で終わったんです。時と分と秒をバラバラに録音して、繋いであるんです。

 

ーそうなんですね! それが30年近くずっと使われているんだから、すごいことですね。しかも、ある年齢以上の方なら、誰もがわかる声ですよね。

中村 「ドコモの留守番電話サービスセンターの声」と言って、わかっていただけることも多いです。「おかけになった電話は……」というのです。

ーあー! あの声もですか!

中村 はい。そうやってわかっていただけると嬉しいです。

 

ー『氷点』や『塩狩峠』など、三浦綾子さんの作品の朗読もなさっているそうですね。

中村 はい、ライフワークとして取り組ませていただいていて、ライブもしています。

 

ー小説の朗読、ぜひ、聴いてみたいです。今日の収録を聴かせていただいても、ちょっとした接続詞のひとつにも、何かが籠っている感じがしました。

中村 接続詞、すごく大事にしているんです。気付いていただけて、すごく嬉しいです。接続詞で次に来る言葉を予測できるような読み方をしたいな、と思っているんです。例えば、「しかし」の言い方ひとつとっても、その後にいいことがくるのか、あるいはあまり知られていない内容がくるのか、そういうことを少し予感させるような読み方ができたらなあ、と。

 

ー所々、接続詞の読み方に、ハッとさせられることがありました。でも、その後にくる言葉を聴くと、それがとても自然に繋がって、「ああ、なるほどな」って思うんです。

中村 とても嬉しいです。本文じゃないけれど、とても大切だなと思っているところなので。

 

▲身振り、手振りを使いながら、気持ちを込めて読む中村さん。

 

ー美術展の音声ガイド、ということで、特に気をつけてらっしゃることはありますか?

中村 音声ガイドってやっぱり特殊だと思うんです。イヤホンで一人の人が聴いているんですよね。ですから、絵とそれを観ている方と私の声だけの世界。金子さんの解説は、お客様と私が一緒に観ている、という感覚になれる文章なので、私もたった一人の方と一緒に絵を観ている感覚で、読ませていただいています。自然にそういう世界に入れるので、すごく楽しいんです。

 

ー中村さんの楽しい気持ちが伝わってきました。今日、音声ガイドの原稿を事前にもらって、私も頭の中で読んでいたのですが、中村さんが読まれるものは、私が頭の中で読んでいたものと違うんです。その違いが、すごいと思いました。

中村 そうでしょうか。

 

─はい、私の頭の中より楽しいんです。例えば、岸駒の《寒山拾得図》の解説のところで、「この絵の気持ち悪さは破格です」という文章があります。ここで金子学芸員は、気持ち悪さがダメだというのではなく、気持ち悪いのがいいことだと言っているわけですが、それが、中村さんのナレーションだと、すごく楽しく伝わってくるんです。

中村 ここ、実は私もすごく感心させられたところでした。「気持ち悪さ」を褒める言葉として、「破格」という言葉を持ってきたところがすごいですよね。「抜群」って書いてもダメですし、「破格」以外にないんです。

 

ー金子学芸員は「中村さんは、文章の理解力も卓越しているんだ」とおっしゃっていました。

中村 いつも、私がどこまで理解できているかはわからないのですが、金子さんがお書きになることをそのまま伝えることができるように、どこがポイントか、どの言葉を立てたらいいのか、何が狙いか、など、私のできる範囲では考えるようにしています。もし私の理解が外れていたら、収録の現場でおっしゃっていただけるのかな、と、思いつつ、いつもスムーズにやらせていただいていて、本当にありがたいです。

 

ー府中市美術館は、今年で二十周年を迎えますが、中村さんとは、開館当時からのお付き合いと聞きました。

中村 そうなんです。開館の時に、美術館を紹介する様々なビデオなどをつくられて、そのナレーションをさせていただきました。

 

ーそれ以来、何回かの例外をのぞいて、ほとんどの音声ガイドが中村さんの声。評判も良いそうで、「毎回、借りるのが楽しみです」と、わざわざ言いにきてくださるお客さんもいらっしゃるほどだそうです。

中村 ありがたいことです。今回も多くの方に、楽しんでいただけたら本当に嬉しいです。

 

▲アクセントや読みに関するメモでいっぱいの、中村さんの原稿。

 

実を言うとこれまで、取材などの場合をのぞいて、音声ガイドを借りることは、あまりなかったのですが、今回、中村さんの読まれる現場に立ち会って、音声ガイドに対する意識が、ガラッと変わってしまいました。本当にすごいです! 他の方はどうかはわかりませんが、中村さんが読むならば、借りた方が絶対、楽しく鑑賞できるに決まってます。これからは絶対に借りようと心に誓いました。

(図録制作チーム、久保)

 

特別協力:ノムラテクノ株式会社、株式会社ジーアングル

 

展覧会場をつくるお仕事って?

ひとつの展覧会ができるまでには実に様々な工程があります。中でも、「展覧会場の設営」は、春の江戸絵画まつり担当の金子学芸員が、「いちばん好きな仕事のひとつ」と話す、開幕直前の「山場」です。私も、設営の現場に立ち合わせていただく度に、朝からたくさんの大工さんや経師屋さんが来て、皆で会場を造り上げていく、その賑やかな様子、職人さんたちのわざと素晴らしい手際に、感動してしまいます。

▲設営初日、何もない展示室に、3×6(さぶろく)パネルがたくさん搬入されます。

 

▲設営の日は、朝から、色々な音が賑やかに響きます。

 

会場の設営を手掛けるのは、美術展業界で昨今、超売れっ子の設営会社「くんカンパニー」さん。その代表の花形一雄さんにお話を伺いました。

 

 

ー今回の「ふつうの系譜」展の会場づくりは、3日間。あっという間に出来上がってびっくりしています。職人さんがたくさん出入りしていましたが、何人くらいいらしたのでしょう?

  

▲その場で、黙々と、きびきびと作業をされる大工さんたちのかっこいいこと!

 

花形一雄(以下、花形) 今回は、3日間で大工が15~16人、経師(きょうじ)が25人、それからグラフィック1人です。

 

ーグラフィックというのは、何をなさる方なのですか?

花形 展示会場での「文字」に関わることをやってくれる人です。あそこにある、「ふつうの系譜」というタイトルや、解説、それから導線を示す矢印なんかも、グラフィックの仕事です。

 

  

▲グラフィック屋さんが、タイトルを入れます。

 

ー展覧会の設営とひと口に言っても、色々なお仕事があって、ずいぶんたくさんの人手が必要なんですね。普段、私などには耳慣れない職業も多くて、経師屋さんが紙を貼る方たちだということすら、初めて知ってしまいました。花形さんが集めてこられる職人さんたちは、皆さん、本当に凄腕の方ばかりと伺いました。経師屋さんたちの技など、私のような素人の目にも本当に素晴らしくて、Twitterで紹介した時も、とても反応が良かったです。

 

 

花形 親方は今井さんと言いますが、あの経師屋さんは、本当に上手いんですよ。ふつう経師屋さんって、腰から雑巾をぶら下げているでしょ?

 

ー雑巾? どうしてですか?

花形 経師は紙裏にローラーで糊を引いて付けるのですが、その糊は、はみ出ることが当たり前で、それを拭き取るために雑巾が必要になります。でも、今井さんところの経師屋さんはみんな、雑巾を使わないんです。

 

ー確かに、そうでしたね。

花形 普通、糊はどうしても出ちゃうもので、だから雑巾で拭き取るんですが、そうするとどうしても、乾いた時にその部分が光っちゃうんですよね。今井さんのところは、意識が違うんです。はみ出したら拭けばいいやと思っている人たちと、はみ出さないという前提でやっている人たちでは、仕上がりが異なるのは当たり前ですよね。

 

  

▲脚立に立つ姿がもうかっこよくて、しびれます。指先を見ると、細心の注意を払って貼っていることがよくわかります。

 

ーそういう凄腕の職人さんとは、どうやって出会うんですか?

花形 今井さんとは、昔、ある国立博物館の仕事で、非常に扱いづらいクロスを使わなければいけない時があって、その時に知り合いました。

 

ーどんなクロスですか?

花形 エイトクロスという、普通は上製本の装丁などに使う布クロスで、展示会場にも時々使うんですが、ちょっとでも糊が付くと、もう落ちない。扱いづらいので、普通は貼る前に撥水加工をかけてもらうんです。でも、その時は、納期が非常に短くて、撥水加工を施してもらっている時間がなくて、どうしようかと困っていたところ、その紙屋さんが、「すごい上手くて、撥水加工なしでも貼れる経師屋さんがいる」と教えてくれたんです。

 

ーそれが今井さんだった!

花形 そうなんです。それでやってもらったら、全然はみ出ない! それ以来のお付き合いです。高いのですが、仕上がりを見たら、それも納得です。

 

ーいい職人さんたちとの出会いが重要なんですね。花形さんのお仕事は、そうした職人さんたちの取りまとめ役、といったところでしょうか?

花形 会場設営の全般を請け負うのが仕事です。「木工屋さん」なんて呼ばれたりします。そもそも、僕も大工なんですよ。

▲図面とにらめっこの花形さん。

 

ー確かに、花形さんもトントンやってらっしゃいましたね。展覧会の設営のお仕事には、いつ頃から携わってらっしゃるんですか?

花形 初めはイベントや展示会のブース制作をやっていたんですが、独立して、最初に展覧会設営を請負ったのは、2002年のことです。その少し前に、インターネット博覧会の授賞式で、美術展の仕事をしている方と出会ったことがきっかけでした。

 

ーインターネット博覧会で何か受賞なさったのですね?

花形 そうなんです。「イベントブースビルダー入門」という今でいうブログのようなものをやっていて、そこで、イベント会場の設営の仕方や、CAD(コンピュータを使って設計すること)を取り入れた設営のことなんかに関するマニュアルのようなものを載せていたら、なんと、それが審査員特別賞を受賞したんです。

 

ーそれはすごいですね! それから20年弱、今では、上野界隈で引っ張りだこと聞いていますが、そうした大規模展覧会と、府中市美術館の展覧会、双方の設営を手掛けられていて、何か違いみたいなもの、ありますか?

花形 うーん、全然違いますよね。金子さんや音さん、府中の先生方は、何でもかんでも全部自分たちでやるから、すごいなあと思いますよ。例えば、この前まで僕がやっていたところなんかは、完全に僕らにお任せでしたし、作品展示の当日まで、館の人は誰もこない、なんてことも普通ですよ。

 

ー金子学芸員なんか、細かなところまで全部、ご自分で決めてらっしゃいますよね。設営の現場にもずっといて、花形さんと打ち合わせをしているところは、とても楽しそうです。

▲金子学芸員、音学芸員と打ち合わせをする花形さん(右)。

 

花形 そうですね。府中市美術館さんとは、2004年以来の付き合いになりますが、音さんと一緒に紙屋さんに経師紙を探しに行ったり、夏の「ぱれたん」で巨大万華鏡を作ったりと、思い出深いお仕事もたくさんあります。

 

設営終了後、帰り支度をなさっていたところをお引き留めして、お話を伺いましたが、インターネット博覧会での受賞から、超売れっ子の設営屋さんとなるまでの歩みを、本当に楽しそうにお話しくださいました。次回、お目にかかる時には、もうちょっと、設営に関する苦労話など、詳しいお話をお伺いできたらと思います。

(図録編集チーム、久保)

 

▲笑顔がとっても素敵な花形さんでした!

図録、校了しました! そして印刷。 100%満足の仕上がりです。

秋の撮影から始まった図録が、校了を迎えました。

 

前回の日記でも書いたとおり、今回はほぼ全ての写真が撮り下ろしで、いい状態の画像を入稿することができました。さらに、東京印書館のプリンティング・ディレクターの高柳さんは、もう本当に、百戦錬磨の超すごい人な上に、作品の撮影にも立ち会ってくださいました。

▲撮影時に高柳さんがとったメモ。「Greenの色調差あり」とか、「雲部分は金泥ある」とか、画像だけでは見極めが難しそうなことが、書かれています。

 

というわけで、初校の段階からとてもいい仕上がり。それでも、地色の色調が赤っぽく出てしまったり、墨色がきちんと出なかったりと、江戸絵画ならではの難しさはやはりあって、微妙な調整が必要でした。美術本を作る時、いつも色校正の段階で、とっても悩みます。この色、なんか違うんだけど、どうやって指示を入れたら、思う通りに印刷所が直してくれるのかしら、と。

ですが、今回のFace to Faceの色校では、編集サイドの言葉にしきれない意向を高柳さんがどんどん汲み取ってくださるので、「ああ、こうやって印刷の言語に変換していくんだなあ」と、とても勉強になりました!

▲色初校紙。私の指示は赤字。それを高柳さんが青字で印刷用語に「翻訳」してくれます。高柳さんはなかなかの達筆で、まるで呪文のようですが、現場の方はきちんと解読できます。

 

▲色初校時の打ち合わせ。「うずらがもっと、存在感あるんですよね」というような印象を伝えると、そのように印刷の方向を持って行ってくれます。

 

このようなやりとりを経て、先日、ついに校了! 印刷が始まるということで、東京印書館の工場に、印刷の立ち会いに行ってきました!

印刷立ち会いとは、印刷の現場に行って、最終的に色などを確認して、OKを出すことです。

▲再校戻し時の赤字がきちんと反映されているかどうか、確認していきます。

 

▲版を見ながら、印刷機の前で最終調整をしてくれます。手前のつまみで、インクの濃度が調節ができます。この時は、手前の伝又兵衛の作品の墨を少しだけボリュームアップ。

 

▲墨のボリュームを調整後の刷りでは、伝又兵衛、ぴしっと締まった印象になりました。金子学芸員が「責了」の意味のサインをします。

 

▲印刷機の周りはこんな感じ。高柳さんが校了紙をチェックして、微調整。OKが出ると、後ろの印刷機で、じゃんじゃか刷られていきます。

 

▲工場の天井部分には、パイプラインが走っていて、インクが印刷機へと送られています。

 

▲パイプラインをたどっていくと、こんなに大きなインクのタンクが! 基本の4色が入った220リットルの大きな缶です。

 

こうして、無事、印刷立ち会い(と工場見学)も終わりました。もう、色については思い残すことのないくらい、満足な仕上がりです。

これを書いている今頃もう、全部刷り終わって製本中。今回は仮フランス装という素敵な造本なのですが、そのことはまた後日、詳しく書きたいと思います。

(図録制作チーム、久保)

 

 

撮影のこと①図録の写真、ほとんど撮り下ろしました。

ふつう展、正式名称「ふつうの系譜 「奇想」があるなら「ふつう」もありますー京の絵画と敦賀コレクション」展、開催までいよいよ2ヵ月を切りました。目下、図録の制作が佳境を迎えつつあります。

ふつう展は、若冲や蕭白ら奇抜な絵を描いた「奇想」の画家たちに対して、やまと絵や土佐派といった古くからの画派に属する、「ふつう」の画家たちの残したものを、改めて、じっくりと見てみよう、という内容の展覧会です。

▲ポスターのメインビジュアルは、「ふつう」の画家の代表する土佐光起の描いたお姫様。

 

「ふつう」の画家たちは、その時々において、顧客となる人々が求めるものを描いてきましたが、彼らの仕事とは、ひと言で言えば「きれいなものづくり」です。ということは、ふつう展の図録とは「きれいなもの」図鑑なのです。

ですから、図録の制作にあたっては、「図版の美しさ」に徹底的にこだわろう、ということになりました。当たり前のことのように聞こえるかもしれませんが、それが意外と難しいのです。通常、美術展の図録を作る際、作品の画像は美術館などの各所蔵機関から借用して印刷にまわすものです。たとえ一枚一枚の画像のクオリティが良くても、それぞれに異なる条件下で撮影された画像を使って、記憶を頼りに色校正をし、仕上げるというのは、言うほど簡単なことではありません。そこで今回は、可能な限り全ての作品の写真をこの展覧会のために撮り下ろすことを計画しました(結果、1点を除いて全ての作品を新たに撮影することができました!)

▲撮影初日。まずは、屛風などの大物から始めます。

出品作品の9割は敦賀コレクション、つまり、敦賀市立博物館の所蔵品です。通常、作品をお借りするのは、展覧会の直前なのですが、今回は、撮影のためにそれを大幅に早めて、半年前にほとんどの作品をお借りし、府中市美術館で撮影を行いました。

▲箱を開けると、美しさに歓声が上がります。

実物の「ふつう画」は本当にきれいな作品ばかりです。岩絵の具の輝き、墨の色の多彩さ、金の豪華さ、描線の繊細さ──やまと絵や狩野派の作品を「主役」として、じっくり見る機会を、持ったことのない私には、どれも本当に驚くべき美しさで、「すごい!」「きれい!」を連呼するばかりでした。ぜひ、皆さんにも会場でじっくりとご覧いただきたいです。

▲撮影現場には、東京印書館の「超すご腕」プリンティング・ディレクターの高柳さんもご同席なさって、一つ一つの色をご確認くださいました! 色校正はこれからですが、本当に楽しみです。

(図録制作チーム、久保)

今度は「ふつう展」日記です!

「へそ展」日記、読んでくださっていた皆さん、どうもありがとうございました。

今度は「ふつう展」日記を始めます。来年3月、「ふつうの系譜」展が始まって、それから閉幕するまで、いろいろなことをここでお伝えしていきたいと思っています。

 

どうぞよろしくお願いいたします!!

(図録制作チーム、久保)

作品のお返しが終わりました。

6月19日、借用作品のご所蔵先へのお返しの行脚が、すべて終わりました。へそ展は、これで本当におしまいです。

旅先では、所蔵先の方々がへそ展の盛況を喜んでくださり、とても嬉しいことでした。

   

 

そして会期中、会場では45,731人のお客様が、おかしな絵を見て笑い、徳川将軍の絵にあれこれ想像を膨らませ、はたまた苦さに満ちた寒山拾得の絵の前では、一緒になって苦い顔をして、心の底から楽しみ、味わってくださいました。このことへの感謝が、閉幕して一ヶ月以上経った今、心にあふれています。

ある方が「(お客様もスタッフも)みんながハッピーになれた展覧会でしたね」とおっしゃったのですが、本当にそんな気がしています。

さらに、会場には来られなかった多くの方が、書店やネットで図録を買ってくださり、今なお、図版と解説をつき合わせながら楽しんでくださっていることも、府中市美術館にとって大きな喜びです。

 

「春の江戸絵画まつり」は、そう冠するようになる前の展覧会も含めれば、へそ展で15回目です。「へそまがり」という言葉をタイトルにするのは、企画担当者としては勇気のいることでした。ですが日本美術の歴史や、禅画、俳画、文人画など、さまざまなジャンルの思想的な成り立ちに本気で向き合った結果、大真面目に思いついた言葉でした。

決してウケを狙ったわけではありません。2014年の「江戸絵画の19世紀」展の時に、図録を制作する出版社の編集者の方から「これ、仮のタイトルですよね?」と言われたことがありましたが、それと同じくらい、展覧会の内容をできるだけそのまま表そうとしたネーミングでした。「へそまがり」という言葉が、少しでも作品の感じ方を広げるきっかけになったなら、大変幸せです。

これからも、愉快とか硬いとか、派手とか地味とか、テーマやタイトルの印象だけにとらわれずに、江戸絵画が私たちにどんなことを見せてくれるのか、どんな思わぬ世界に連れていってくれるのか、そんなことを少しずつ探りながら、大切に伝えられてきた作品と現代の人たちとをつなぐ仕事をしていきたいと思っています。

へそ展で初めて府中市美術館に来てくださった方、美術館の存在を知った方も、大勢いらっしゃるはずです。そしてまた、今まで春の江戸絵画まつりに何度も足を運び、応援、叱咤激励してくださった方も大勢いらっしゃいます。そのすべての皆様に、府中市美術館として心から感謝申し上げます。

さて、来年の春の江戸絵画まつりでは、敦賀市立博物館のコレクションをご覧いただきます。同館には素晴らしいクオリティーの作品が多数ありますが、施設の関係で、一度に多くの作品を展示することはできません。それを眺め渡せるチャンスとなるわけです。

同館のコレクションは、やまと絵、円山四条派、復古大和絵、岸駒や原在中の作品など、「きれい」で、うっとりするほど典雅なものばかりです。その特徴を大まかに言えば、伊藤若冲や曽我蕭白ら、今人気の「奇想の画家」を除いた京都の画家のコレクションと言えるかもしれません。つまりは「奇想以外」の系譜、強いて言えば、「ふつうの系譜」です。

もはや、若冲が江戸絵画のスタンダードだと思う人も少なくない昨今です。「奇想とは何か?」「ふつうとは何か」。敦賀コレクションに若冲や蕭白の作品も加えて、こんなことを考える面白い展覧会にできないものかと、いま懸命に内容とタイトルを考え中です。

どうぞ来年も、春の府中へお越しください。心からお待ちしております。

(府中市美術館、金子)

 

開幕前のバナー(懸垂幕)の準備。展覧会に来てくださった方は、「おや?」と思われるかもしれません。
入口の色が鮮やかすぎないか、実際に会場が出来上がるまで心配でした。
来年も同じ場所に「春の江戸絵画まつり」のポスターが掲載されます。お楽しみに!

 

 

Copyright©2022 府中市美術館 All Rights Reserved.